第72話

 ボーリングが終わる頃には、お昼に近くなっていた。

「何か食べたいものある? 菜々留ちゃん。今日はご馳走するよ」

「そうねぇ、少し汗かいちゃったし……冷やし蕎麦なんてどうかしら?」

 外は思った以上に気温が高く、今さらながら菜々留のコーディネイトに納得する。

 さすがに四月の下旬では、冷やし中華などの夏メニューは提供が始まっていなかった。それでも蕎麦屋に入れば、ざる蕎麦にありつける。

「デートでお蕎麦なんて、女の子っぽくなかったりしない?」

「気にすることないよ。僕だって、よくチョコパフェを食べてるじゃないか」

「それは妖精さんの時の話でしょ? うふふ」

 菜々留と一緒だと、時間がゆっくりに感じられた。箸の持ち方ひとつにしても奥ゆかしく、たおやかな気品に溢れている。

 『僕』のほうも普段より作法を意識して、菜々留の彼氏を気取った。

「午後はどこに行こうか」

「えーとねぇ……お買い物と、プリメも撮らなくっちゃ」

「今日はとことん付き合うよ。菜々留ちゃん」

 お喋りはあとでティータイムを設けることにして、お昼はてきぱきと済ませる。

 ふと菜々留から提案が上がった。

「そうだわ。Pくんの水着、買いに行かない? 水泳部で使うかもしれないでしょ?」

「え? いや、S女では変身してるし……」

 男子の姿で、まさか女子校のプールで堂々と泳げるはずがない。認識阻害の魔法でも誤魔化しきれず、社会的制裁を下されるのがオチだろう。

 ただ、水泳パンツは欲しかった。

 里緒奈や菜々留に正体を知られた以上、今後も変身を解除して、裸になる機会が増えるかもしれない。水着の一枚でもあれば、そういったリスクを減らせるはず。

「夏の旅行は海だものね」

「……エ?」

 ところが、どうも菜々留はまた別のことを言っていた。

 昨夜ケータイに届いた、里緒奈からのメッセージも、今になって理解する。

『一緒に泳ごうね、Pクン! それまでに水着を買っておくよーに』

 里緒奈にしろ、菜々留にしろ、ぬいぐるみを海で浮かべるわけではないようだった。どうやら男の子としての『僕』と遊ぶ気でいる。

「みんながいるのに……どうやって?」

「チャンスがあるかもしれないじゃない。ほら、早くぅ」

 心の中で『僕』は悲鳴をあげた。

(海でもやるの、これ? ふたりでエスケープして、水遊び……)

 無理としか思えない。

 今日のデートはまだしも、泊まりがけの旅行でエスケープは不可能に近いだろう。おまけに夏の旅行には、妹の美玖も参加が決まっている。

 当然、美玖は『僕』の正体が人間の男の子だと知っているわけで。

「き、気が早いんじゃないかなあ? 海は夏だよ?」

「だからぁ、ナナルたちが泳ぐのは夏の海だけじゃないでしょう? Pクンも水着の一着くらいは持っててくれないとぉ」

 このまま海に行けば、おそらくバレる。里緒奈とのお風呂デートが菜々留に、同じく菜々留と進展しつつある関係も里緒奈に――。

(ま、まあ……まだ先の話だし? 夏にはふたりとも、飽きてるだろうし……)

 悪い想像を振り払いつつ、『僕』は菜々留と一緒にスポーツショップへ。

 当然、四月は海水浴のシーズンではないものの、大きなスポーツ用品店では水着を扱っていた。スポーツのほか、沖縄や海外での着用を前提にしているらしい。

 しかし季節が季節だけに、レジャー用のものは見当たらなかった。特に紳士用はフロアの隅にこぢんまりと、申し訳程度にスペースが設けられているだけ。

 それを見つけ、菜々留は瞳をぱちくりさせた。

「男の子用の水着って……これだけ?」

「そりゃ女の子と比べたら、少ないかもね」

 選ぶにしても、男性の場合はパンツが一枚、サイズの検討も腰周りひとつで済む。マリンスポーツでもやっていない限り、そう拘るひともいなかった。

「すぐに済ませるよ」

「ナナルはいいのよ? ゆっくりでも」

「いやいや。ナナルちゃんのお買い物に付き合うほうが、楽しいからさ」

 何も彼女相手に気取ったわけではない。

 『僕』が自分の水着を求めるのは、あくまで必要に迫られたから。しかし菜々留のような女の子にとっては、ショッピング自体が娯楽なわけで。

 どちらの買い物がデートらしく有意義に過ごせるか、考えるまでもなかった。

 ところが菜々留はショッピングの感覚で『僕』の水着を選びたがる。

「ナナルがPくんに似合うの、探してあげるわ」

「そう? じゃあお願いしようかな。あんまり派手じゃないやつで頼むよ」

 『僕』の腰元に次々と赤やら緑やらの水着が当てられた。菜々留のほうは真剣な顔つきで、『僕』の水着選びに責任さえ感じている様子。

「こういうパンツだけなら、いつものPくんでも着られるんじゃないかしら?」

 目から鱗が落ちた。

「そうか……ぬいぐるみでも」

「でしょう? なら、ハーフパンツじゃ足が出せないわね。多分」

 変身を解除する際も、あらかじめ穿いておけば、丸裸は回避できるかもしれない。そうとなっては、ますます水着が入用になってくる。

 候補を絞ったうえで、最終的に『僕』たちはショートパンツ風の一枚をお買い上げ。

「ありがとう、菜々留ちゃん。いい買い物ができたよ」

「うふふ、どういたしまして」

 続いて菜々留のショッピングに繰り出す。

「旅行用の水着は?」

「それはシーズンが来たら、みんなで買いに行くわ。今日はブラウスと……」

 案の定、女の子の買い物は長かった。あれを見たら、これを見て、あれとこれを比べもして。鏡があれば、コーディネイトを入念にチェックする。

 とはいえ『僕』も退屈はしなかった。買い物に夢中の菜々留を見ているだけで楽しい。

「白いほうが涼しい感じがするね」

「Pくんがそう言うなら、こっちにしようかしら」

 人気アイドルの休日を傍で守ってあげられるのも嬉しかった。 

(里緒奈ちゃんも、菜々留ちゃんも、本当はもっと遊びたいよな……)

 修行のために彼女たちを巻き込んだ負い目もある。

 大体のショッピングを終える頃には、三時近くになっていた。『僕』は右手で買い物袋を持ち、左手で菜々留と腕を組みながら、交差点を渡っていく。

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