第86話 残酷なほどに愛しい最後の敵


 公開放送用のブースは、屋上のほぼ中央に作られていた。


 ブースの前にはパイプ椅子が並べられ、見学者がイベントの開始を待っていた。

 僕らは当たり前のようにブースに近づくと、流されているBGMに合わせてでたらめな踊りを披露していた。


「お待たせしました、それでは公開放送に先駆けまして、我々のエグゼクティブリーダーより、この街のすべてのリスナーに向けてメッセージがございます」


 司会者らしい女性アップデーターがそう前置くと、仮設テントの中から小柄な人影が姿を現した。人影の顔がはっきりと見えた瞬間、僕は思わず声を上げそうになっていた。


「こんにちは、みなさん。エグゼクティブ・リーダーのAZあずです」


 少女の姿をした『アップデーター』のボス――それは杏沙だった。


「我々『アップデーター』は新たな居住地を求め、この街にたどり着きました。そして地道な『乗り換え作業』を続けた結果、九十九パーセントの『アップデート』を成し遂げたのです」


 隣にいる杏沙と瓜二つの美少女は、ボスらしい堂々とした挨拶を終えると振り返ってスタッフに何かを告げた。すると背後にいたスタッフたちが、ストレッチャーに布をかけた大きな箱を乗せて運んで来るのが見えた。


「中を見せて」


 『杏沙』が命じると、スタッフが箱を覆っている布を取り払った。布の下から現れたのは、透明なケースに収められて眠っている年配男性だった。


「――パパ!」


 隣で杏沙が小さく叫び、僕ははっとした。じゃあ、あの人が七森博士なのか。

 グレイヘアの七森博士は、静かに眠っているように見えた。おそらく、何らかの手段で奴らに身体を乗っ取られないようにしているのだろう。


「この七森響太郎は我々の計画を阻止し、この街から駆逐しようとしていた疑いがあります。意識をブロックしているのも、我々への反抗の表れだと思われます」


 僕は隣の杏沙を見た。杏沙は前のめりになり、食い入るように『自分』を見つめていた。飛びだしたい気持ちをこらえているのに違いない。


「我々は七森博士の意識をこじ開けようとこの数週間、試行錯誤を続けてきました。が、いずれの方法も成果をあげることはできませんでした。そこで我々は本日、一つの決断を下しました」


 決断、という言葉に杏沙の肩がぴくんと動いた。まさか。


「我々は公開放送が終わり次第、博士の生命を終わらせることにします」


 僕はたまらず隣の杏沙を見た。杏沙は震える手でポケットからナトリウムガンを取りだそうとしていた。


「――ではスピーチを始めます。よく聞いてください、本日、この時をもって我々『アップデーター』は、この街の人間の『アップデート』を完了……」


 『杏沙』がそこまで言った時だった。何かの気配を感じとったのか『杏沙』の顔がほんの少しだけこちらを向いた。次の瞬間、杏沙の水鉄砲から糸のように水がほとばしり、『杏沙』の首筋をかすめた。


「……あっ」


 『杏沙』は目を見開いて僕らの方を見たかと思うと、糸の切れた人形のようにテーブルの上に突っ伏した。


「……リーダー!」


 異変に気づいたスタッフが一斉に騒ぎはじめ、たちまち『杏沙』の周囲を取り囲んだ。

 

 ――まずい、これじゃあ『コントロール・チップ』を取りつけられない!


 五瀬さんと四家さんが『杏沙』に近づこうとじたばたしているのを見て、僕がいてもたってもいられない気持ちになった、その時だった。


「みなさん、落ちついて下さい」


 ふいにテントの方から声がして、別の人影がゆっくりとブースに近づいてきた。


「あれは……」


 突然、姿を現した新たな敵を見て、僕は絶句した。


「時美地区のリーダー、真咲です。『杏沙』にトラブルが発生した場合は、僕がスピーチを代行することになっています。そのままお待ちください」


 テーブルの前から連れだされた『杏沙』に代わってマイクを握ったのは、『僕』だった。 


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