第16話 天井の幽霊と闇に集いし者たち
「あ、あの人知ってる。たぶん、兄貴の同級生だ」
公園の小山に座って児童会館の正門を眺めていた僕は、門の施錠を終えてこちらを向いた女性職員を見てそう呟いた。
「ご近所だものね。ありそうな話だわ」
隣に座っている杏沙が中学生とは思えない冷めた感想を口にした。丸一日、行動を共にしてつくづく感じるのは、同級生と話すときのような親しさが彼女にはないということだ。
「そう言えば君の家族構成を聞いたことがなかったな」
「そうね。言う必要もないと思ってたし。まあ一人っ子の父子家庭みたいなものよ」
投げ槍とも言える口調の裏には、まるで家庭という物を諦めたかのような響きがあった。
「そのお父さんが行方不明じゃ、心細くないかい?僕だったら不安でしょうがないと思うけど」
僕の素朴な問いかけに対し杏沙は「心細いっていったら不安が消える?消えないでしょ。だから口にしないの」と珍しく拗ね加減の口調で言った。
やはり彼女も心細いのだな、と僕は思った。だが気の強い彼女の事だ。それを指摘したら機嫌を損ねてしまうに違いない。
「とにかく、僕は君のお蔭で色んな謎が解けて安心できたよ。……不法侵入だけど、中に入ってのんびりしようぜ。幽霊だって少しは休まなきゃな」
僕はそう言うと小山を降りて児童会館の方へ移動を始めた。杏沙はさすがに疲れたのか、門を抜けて職員用の休息室を見つけるまで終始、静かだった。
「君はここで休みなよ。幽霊だから関係ないかもしれないけど、仮眠用のベッドがある」
僕が小さな簡易ベッドを目で示しながら言うと、杏沙は「いい。真咲君、使いなよ」と言った。
「私はどこかその辺の床かソファーで休むわ。幽霊になってからずっと、ベッドで寝たことなんてないもの」
杏沙はそう言うとすっとドアから外に出ていった。僕は妙な寂しさを覚えつつ簡易ベッドに腰かける姿勢を取った。不思議な物で、幽霊になってもリラックスすると眠気のような物が僕の頭を満たし始め、いつしか僕は服を着たまま深い眠りに落ちていた。
※
「――真咲君、起きてる?」
杏沙の声で我に返った僕は、闇しか見えない状況に一瞬、本当に死んでしまったのかと狼狽えた。照明をつけずに寝たのだと気づいたのは「ふあ」と生返事を返した直後だった。
「どうしたの?」
「おかしいわ。誰かが建物の中にいるの。それも一人じゃないみたい」
「こんな時間にかい?」
僕はドアを抜けて入ってきた杏沙に言った。闇の中で見る彼女の姿は『幽霊』そのものだった。
「こんな時間だからじゃないかしら。……ちょっと一緒に来てくれる?」
「ああ、いいよ。ちょうど目が覚めたところだ」
僕と杏沙は連れ立って移動を始めた。真っ暗な廊下はほんのわずかな距離でもひどく長く感じられた。
「レクリェーションルームの方だわ」
廊下の奥に灯りが漏れているドアがあり、声のような物が漏れ聞こえていた。
「職員じゃないよね。……不法侵入者?」
それって僕らのことか、と僕は一瞬、おかしくなったが、いかんせんあちらは幽霊じゃなさそうだ。僕らはドアの前で動きを止め、存在しない耳をそばだてた。
「で、どこにいるのだその『逃亡者』たちは」
「……わからぬ。ビルを出て逃げた後の足取りはな」
押し殺したような声は、年齢も性別もよくわからなかった。僕が次に取る行動を決めかねていると、杏沙が「上から覗いてみましょう」と囁いた。
「上からって言ったって、いったいどうやって……」
困惑する僕を尻目に杏沙はその場でとんと床を蹴る仕草をすると、天井の向こう側へ姿を消した。やむなく後を追うと、二階の廊下から近くの部屋へと入ってゆく杏沙の姿が見えた。
「ちょっと待てよ」
僕はいったん動きを止めて杏沙の消えたドアを睨んだ。が、やがて諦め、後を追った。
ドアの向こう側で僕が見たものは、暗い部屋の隅に四つん這いになって耳を床につけている杏沙の姿だった。
「おい、何やってるんだ……」
僕が声をかけた、その時だった。杏沙がいきなり床に頭をつっ込み、僕に手招きをした。
「……何だ?まさか、一緒に同じことをしろっての?」
僕が及び腰の問いを投げかけると、杏沙は床に頭を突っ込んだまま、肩を上下させた。
四つん這いになって恐る恐る床に頭をつっ込むと、顔だけが下に飛びだす格好になった。
「……あっ」
僕は向こう側に出た顔の真下に見える光景に言葉を失った。そこでは、数名の男女が輪になって何やら相談をしているところだった。そして集まった人々は全員、目が白かった。
――あれはうちの近所のおばさん、そして商店街のお兄さんたちだ……
僕らが覗いているのはどうやら、『アップデーター』たちの集会らしかった。
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