第90話 ン=ドウェン再び
「セシル、大丈夫?」
「あ……ああ」
ヘレンがセシルの下へと駆け付け、彼に肩を貸す。
そしてターニャたちがいる場所へと移動する。
エドガーとウェンディは倒れ、エルフたちはナエとホルト、それにチェイスの援護もあるので問題はないだろう。
残る問題は、モルタナ率いる本軍と……イースのみ。
イースは厳しい目つきでケイトを睨み付けたままであった。
弓を引き絞り、自身の能力を上乗せする。
「〈
矢の先端が黒く輝いていく。
イースの能力は、相手の罪が重ければ重いほどに力を増すいうものだ。
善人には無力。極悪人には果てしなく強力な一撃を放つことができる。
そしてイースは考える。
この島を占領しようとしているのだから……善人であるはずがない、と。
指を離し、矢を放つイース。
狙いは当然ケイト。
威力はまずまずといったところだった。
完全な善人では無いが、そこまでの悪人でもない。
「そんなものが当たるとでも思っているの――!?」
ケイトは矢を避けたつもりであったが、矢がケイトの体に引き寄せられるように曲がる。
肩に直撃を受けるケイト。
「…………」
ケイトとイースは同時に驚く。
ケイトは矢が曲がったことに、イースは想像よりも威力が出ていなかったことに。
矢が曲がったのは、〈
矢はイースの意思に従い、自由に動く。
一度手から離れれば、敵を穿つまで止まることはない。
問題は威力……イースが考えていたほどの悪人だったのなら、今の一撃で粉砕できるほどであったはずだ。
能力が発動していないのか……それとも、自分が思っているほどの悪人ではないということ?
一瞬そう思案するが、頭を振るイース。
こいつらは島を制圧しようとしている。
いい人間なわけがない。
「……曲芸が得意なようだけど、この程度じゃ私らを止めることなんてできない」
「……止めることぐらいなら、なんとかなるわよ」
イースは駆け出し、弓を放つ。
ケイトに距離を詰められないように、彼女の周囲を駆けまわる。
ケイトは肩の矢を抜き去り、飛翔してくる矢をギリギリまで引き付けながら回避した。
「だから、こんな曲芸程度じゃ――」
クルンと背後で旋回する矢。
ケイトはその気配を察知し、横に飛ぶ。
「ちっ……さっきのナエみたいな攻撃か……でも、あいつほど厄介でもなさそうだな」
「それがおかしいのよ……」
矢はまたイースの意志に軌道を変え、ケイトの方向を向く。
ケイトはその攻撃に嫌気がさし、イースに向かって全力で駆けた。
「うっ!?」
ケイトの動きは速かった。
ドリンクの効果がある上に、ウェンディの能力も途切れていたからだ。
一瞬でイースとの距離を詰め、鎌を振り上げるケイト。
「残念だが、止めることもなんともならなかったようだな」
「このっ……!」
腰のナイフを抜き取るイース。
そんなものでケイトを止められるわけもないが、最後まで彼女は抵抗を止めない。
そのイースの動きよりも速く、ケイトの大鎌は彼女の首に落ちようとしていた。
しかし――
「がっ――」
突如、横から衝撃がケイトを襲う。
肋骨に突き刺さる見えない波動。
ケイトはとてつもない速度で吹き飛ばされる。
「え? どしたの、ケイト!?」
「?」
ターニャが突然吹き飛んだケイトに驚く。
イースは衝撃の発生源を探るように、視線を横に向ける。
そこにいたのは……ン=ドウェン。
そして、白いフードを被った人物が横にいる。
衝撃を放ったのは、その人物のようだ。
「ン=ドウェン……それにあれは……」
シフォンはその人物の正体は分からないようだが……
その秘めたる大きすぎる力に、震えていた。
「と、とてつもない力……いけない。みんな、逃げないと」
「そ、そんな強そうに見えないんだけどなぁ」
ヘレンは白いフードの人物を怪訝そうに見ている。
「貴様……やってくれたな」
「…………」
ホルトが双剣で白いフードの首を狙う。
両側から挟み、打ち取ろうとする。
しかし、スッと伸ばした手から発する力に、ホルトは天高く飛んでいく。
意識は既に無い。
このままでは落下して死んでしまう。
ヘレンは大急ぎでホルトの落下地点まで走り、なんとか彼を抱きとめる。
「こ、こいつ……何者だ?」
ケイトは痛む脇腹を抑えながら起き上がり、白いフードに視線を向けていた。
不意打ちを喰らわされた怒りと、素性の知れない存在に対する不安。
二つの感情を抱きながら、その人物と対峙する。
「……やはり、殺せないようだな」
男の声。
白いフードは男性のようだ。
彼はケイトが生きていることを確認し、自分の手に視線を落としながら、ふんと鼻で笑う。
「運命を変えるほどの力は振るえない、か。面倒な体だ」
男の声は低く、氷のように冷たい印象を受ける。
そして聞くだけで恐怖が湧き上がってくるような、闇を内包しているようだった。
「……あれ、誰なの?」
震えるシフォンにターニャが聞く。
サンデールはチェイスを含め、三人を守るように彼女らの前で構える。
「あれは……〈世界〉……〈世界〉の力を感じる」
「〈世界〉?」
「ン=ドウェン」
「はっ。ヨル様」
ン=ドウェンは彼のことをヨルと呼び、深々と頭を下げる。
「お前ならばもしかしたら運命を変えることができるかも知れん。これを使い、この者たちを冥府へと送り届けよ」
「はっ」
ヨルの右手の中に、黒い宝石が現出する。
その見た目は魔魂石そのものであった。
「この疑似的な魔魂石があれば、お前も魔王に近しい力を振るうことができるはずだ」
「ありがたき幸せ」
「だがあれだけはお前にも対処できない可能性がある。私が処理しておいてやろう」
「え?」
ヨルの目がカッと光ったと思うと、ナエに凄まじい衝撃が走る。
一瞬で気絶してしまうナエ。
「ナエ……ナエ!?」
倒れたナエの体を揺らすターニャ。
死んではいないようだが、反応はない。
ヨルはチラッとイースに視線を向ける。
背筋が氷を乗せたように冷え切るイース。
怖い……とてつもなく、彼が怖い。
青い顔でヨルと視線を交わすイース。
「お前たちに少しだけ協力してやる。可能ならば同じ運命の力を持つ者を殺してみせろ」
「う、運命……?」
ヨルはそれだけ言うと、幻のように消えてしまう。
それを見届けたン=ドウェンは、疑似魔魂石をゴクリと飲み込み、不敵な笑みを浮かべる。
「ヨル様のため、君たちには死んでもらいます」
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