第5話 大司教ゼキュートス視察団


読者皆さまへ


 前話でワンダがおもちに着席しましたが、よく考えたらワンダは断りそうだなと思い、ヒルネが座って意識を飛ばすという流れに変更しました。

 突然の修正申し訳ありません。


 ワンダはおもちに座っていない世界線として物語をお楽しみいただければ幸いです。

 

 引き続きよろしくお願いいたします。

――――――――――――――





 ヒルネが南方へと旅立ってから早半年。


 王都にいる大司教ゼキュートスは様々な予定を前倒しにし、イクセンダールの視察へと向かうことにした。二ヶ月におよぶ旅程である。


 大聖女となったヒルネが大教会を修繕した祝いを目的とした旅でもあった。


 メフィスト星教は国教でありながら政治に関与せず、生きとし生けるすべての者の幸せを願う、清廉潔白な団体である。


 瘴気の浄化を一手に担い、人々からは尊敬され、崇められ、心の拠り所となっていた。


 しかし、大きな団体ともなれば金銭問題は避けられない議題であり、ゼキュートスはメフィスト星教内でも現実派に属する人物であった。効率良く寄付を募り、聖女見習い、聖女たちが苦労なく活動できるよう、常日頃から腐心している。


 政治に与せず、貴族から必要な寄付を引っ張るのは関係値のバランス感覚が高く、相手を納得させる威厳と教養が必要であった。


 聖魔法を使える者は清き心を持つ者のみとされており、ゼキュートスもわずかではあるが男性としてはめずらしく聖魔法を使える人物でもある。


 内外でゼキュートスの評価は非常に高い。


「滞りないか?」


 旅の馬車に乗り込んだゼキュートスが、低い声で部下の聖職者に聞いた。


「問題ございません。定刻の出発となります」

「うむ」


 眉間に刻まれた深い皺、決して笑うことのない威厳ある顔つき、自他ともに厳しく清廉潔白であろうとする生き様。そんなゼキュートスと対話するだけで、部下は言いようのない緊張感で背筋が伸びた。


 常に行動を先回りして考えよ。我々が有能であればあるほど、民が幸せになる。


 新人にそう教えて回るゼキュートスは旅の準備をしている面々へと視線を飛ばす。


 自身も停車している馬車に乗り込んでゼキュートス宛に届いた書簡を読み始めた。


「……相変わらずのようだな」


 南方支部の手紙には、ヒルネがやらかした出来事が羅列してある。


 厳しく接さねばならぬと思いながらも、ヒルネが元気にしている姿を想像して、胸の内があたたかくなった。


 やがて、大司教ゼキュートス一行を乗せた馬車が出発した。


 視察団は全部で馬車五台。


 視察団への参加はかなりの倍率であり、半年で変貌した辺境都市を見たい、最年少の大聖女のご尊顔を拝見したい。そんな志願者が後を絶たず、視察団は極めて優秀な者のみで構成されている。


 メフィスト星教の馬車が通過すると、国民たちは聖印を切る。


 ゼキュートスは揺れる車内で次々と手紙を読み、便箋へ器用に返事を書き記していく。


「寄付は問題なく集まっているか。これも女神さまの御威光であるな」


 幸いにも国には敬虔な信徒が多かった。


 それには理由がある。百年前、隣国では聖魔法を政治利用し、富が王族へと一点集中して民の悲哀が広がった時期があった。なぜかその国では聖魔法が使用できなくなり、聖女たちの力がわずか数年で衰え、魔力がなくなるという事態になった。


 隣国は十年で滅び、メフィスト星教が瘴気を浄化をして民を救う。


 その関係で隣国はヒルネのいるカンバス王国が吸収し、現在は東側の主要都市となっている。東の大聖女サンサーラがいる街だ。


 教育を受けた貴族ならば誰しもが知っている歴史の事実から、聖女と政治は切り離すべし、というのは当然のルール。暗黙の了解。当たり前の常識となっている。


「道が悪くなります。ご注意を」


 付き人である見習い司祭の青年がゼキュートスへ声をかけた。

 馬車が小刻みに揺れ始め、ゼキュートスは羽ペンを置いた。


 ふと、東の大聖女サンサーラからの手紙を見る。


 東の大聖女サンサーラは食文化を大いに広めた人物であった。


 大聖女が五年をかけて聖魔法を込めた稲穂が不浄の大地を浄化し、秋になると黄金の実をつける。稲穂から取れる米を食べると、ほんの僅かではあるが瘴気から身を護ると言われていた。


 水田はまだまだ広がっていないが、いずれ王都にも種を送ることができそうだと手紙には書いてあった。


「ヒルネは何を成すのであろうな」


 ゼキュートスはぽつりとつぶやく。


 向かいの席に座っていた付き人の司祭見習いの青年が、「ヒルネさまはすでにいくつもの伝説がおありです」と自分のことのように胸を張った。


「報告は上がっているが……実際にこの目で確かめる」


 ゼキュートスは数時間後、ヒルネの偉業を目の当たりにした。


「……賑わっている」


 窓から見える街道には馬車や人が行き来していた。


 兵士と難民しかいなかった南方への街道には、現在、活気のある国民たちが往来している。商人の馬車が窓から顔を出しているゼキュートスを見つけ、嬉しそうに帽子を取って聖印を切った。


 ゼキュートスも静かに聖印を返す。


「ヒルネさまが野営地や宿場町に結界を張ったおかげだそうです。吟遊詩人の詩にあった通りですね。なんと素晴らしい……」


 司祭見習いの青年が、羨望の眼差しを街道へ向けた。


 やがて、最初の野営地が見えてきた。


「これは……なんと大きな結界だ」


 半球状の結界が眼前に出現した。

 結界は泡の幕のような見た目であり、陽光を受けて虹色に変色して美しい。


 街道に透明な壁が現れたようにも見え、野営地の中心部へと広がっておりどこまで続いているのか半円の終点が見えなかった。


 旅人たちが「えいや」と結界内に入り、おお、凄い、と興奮しながら内部へと入っていく。


 ゼキュートス一行も結界を通過した。


 一般人には感じることのできない膨大な魔力の波動が、聖職者たちの肌に感じられた。


「感知の弱い私でもわかります……これは、凄まじい結界です」


 青年が驚き、感動して聖印を切っている。

 ゼキュートスは目を閉じて、「中心部へ」と御者に伝えた。


 結界の中心部には白い大きな岩があり、これが起点となって結界が常時発動しているようであった。さらに、元いた村人たちがこの地に戻り、半年で村の様子を取り戻していた。


 商店や宿屋なども建設中となっており、発展しそうであった。

 そんな人々の笑顔と活気を眺め、ゼキュートスは馬車を下りた。


「結界は川の向こうまで続いているそうです。また、悪しき心を持った者は弾かれてしまうそうです」

「なんとデタラメな……」


 空想の世界で聖職者たちが夢想したような効力の結界である。


 まず、その大きさが異常である。


 村一つを覆い、生活圏内の森や川まで範囲を広げるとは、驚きを通り越して呆れが出てきそうな規模だ。


 さらには悪しき心を持った人間を弾くという、謎の効果である。


 先ほど旅人が「えいや」と気合いを入れて通過したのは、弾き飛ばされるかも、という恐れがあったかららしい。


「盗賊など邪な考えを持っている者は村に入れないと……凄まじいな」


 ゼキュートスは白い岩を眺めてつぶやく。


「ヒルネさまは規格外のお方です」


 青年が隣でうなずいた。


 かつての荒廃が嘘のような賑わいの野営地あらため、村で一泊し、ゼキュートス一行は街道を南下した。


 そこから二週間。

 ヒルネが作った結界がいくつもあった。


 瘴気から身を守ってくれ、安心して休める地点があるおかげで街道は大いに発展していた。南方が活性化している理由をゼキュートスは見て、報告を書くペンが止まらない。


 さて、ゼキュートス一行は二週間でモデルラという湖畔の町に到着した。湖を囲むようにして家々が建てられており、辺境都市イクセンダールと王都の中継地点として栄えており、南方街道を利用する旅人は必ずモデルラで補給をして、旅に備える。


 町が発展した理由は、湖が瘴気の発生を抑えているからだ。


 この町も建設中の建物がいくつもあり、貴族が視察に来ていたのか、ゼキュートスは挨拶がてら食事をすることになった。


 その会話の中で、その土地を治める貴族からおかしな提案をされた。


「昼寝に行きませぬか?」

「昼寝?」

「ええ。大聖女考案のハンモックが人気のようです」


 ゼキュートスは「何を考案しているんだ」と頭を押さえたくなったが、ハンモックがある場所へと移動した。


 湖のほとりに広場が設けられており、数十のハンモックが設置されていた。


 町民や旅人が思い思いにハンモックへ寝転び、ジャムパンを食べたり、昼寝をしたり、本を読んだりしている。


 のんびりした空気が流れ、小鳥たちが水の上で求愛のダンスをし、空には白い雲が浮かんでいる。浮かんでいる雲の形もどこかハンモックのようであった。


「風流ですな」


 貴族が言うが、ゼキュートスは立場上、寝転ぶわけにもいかず曖昧なうなずきを返した。


「大聖女ヒルネさまはあちらのハンモックでお昼寝をされたそうです」


 ヒルネが寝転がったハンモックは別の場所で聖域扱いされていた。


 柵が設けられ、立て看板には『大聖女ヒルネさま、ここで昼寝をなされる』と記されており、詳細な絵姿が描かれていた。


「さすがは居眠り大聖女さまでございます」

「……」


 ゼキュートスは頭が痛くなってきた。


 南方の代表である大聖女が網の上に寝転がって昼寝をするなど、前代未聞である。


 ふわりと湖畔から吹く風がゼキュートスの頬を撫でた。


 草木の匂いと、ほのかに香るミニベリージャムの香り。少し湿気を含んだ風が吹き抜けて、ざわざわと森の葉が揺れ、湖にゆっくりと波紋が広がる。


 振り返れば、行き交う町民たちの充足して幸せそうな顔があった。


 これでは説教の一つも言えぬ。


 ゼキュートスはそう思い、口の端をわずかに上げた。



      ◯



 ゼキュートス一行の視察団は三週間の旅程を終えて、辺境都市イクセンダールに到着した。二週間滞在し、王都に戻る予定だ。


 丘陵を越える街道からは辺境都市イクセンダールの防壁がよく見える。

 都市のそこかしこから、黒い煙が立ち昇っている……はずであった。


「煙がないな」

「はい。ございませんね」


 イクセンダールは魔石炭を燃やす煙に覆われた“鉄と煙の街”と別称される都市と、どの文献にも記されている。それが、丘陵から見下ろす街は復興途中の美しい空気を内包する都市であった。


 外壁などは無骨でありながら、どこか長閑な空気が流れている。


 一行は伝説の当事者になったような、そんな面持ちで様変わりした辺境都市を見下ろした。



 ――リーン……リーン……



 ふと、鐘の音が聞こえた。


 朗々と紡がれる聖句のような音色がゼキュートスの耳朶を打つ。


 薄い氷を割くような繊細な調べが可愛らしい旋律へと変化し、波紋のように広がって、街中に反響しながらさらに遠くへと広がっていく。


 いつしか鐘の音色は聴いたことのない、美しい響きへと変化した。


 ゼキュートスはこれが大聖女ヒルネの街かと胸が熱くなり、辺境都市の中央部、小さく見える白亜の大教会をしばらくの間じっと眺めていた。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る