第4話 おもちの特技


 ヒルネは夢を見ていた。


 夢を夢と自覚できる明晰夢だ。


 南方へとやってきたゼキュートスへヒルネがおもてなしの精神で贈り物をし、喜んでもらう。そんな幸せな夢だ。


 夢の中の自分がゼキュートスへ渡した贈り物は、この街で作った、とある物だった。


(いい贈り物ですね。あとで作りに行きましょう。夢の私は冴えてますねぇ)


 ヒルネが夢の中であくびをすると、ゆっくりと意識が浮上する感覚に包まれて、夢から覚めた。


 そっと目を開けると、ジャンヌ、ホリー、ワンダが顔を覗き込んでいた。


「ふああぁぁっ……おはようございます。皆さんお揃いでどうしたんですか?」


 あくびをしてから全員に視線を向けると、ジャンヌは心配そうな目をしており、ホリーは呆れた顔、ワンダは何かを聞きたそうな顔をしていた。


 まず最初に口を開いたのはワンダであった。


「ヒルネ。今が何時かわかりますか?」

「もう朝食の時間ですか?」

「……午後五時よ」

「え?」


 ヒルネは寝ぼけた頭で「ごごごじ?」と疑問符を浮かべ、窓の外が夕暮れになっていることに気づいた。


「いやぁ、よく眠れました……あっふ……」


 まだ眠気で目の奥がほわほわと温かい気がしたが、いつもより視界がスッキリとしている気がする。昨夜はスライムのおもちの有給消化を承認し、午後九時に就寝した。二十時間ぶっ続けで眠った計算になる。


「ああ……そういえばおもちはどこでしょう?」

「おもち? ひょっとしてこの白いスライムのことかしら?」


 ホリーがベッドの脇にいたおもちを持ち上げた。


 おもちは直径一メートルほどあるので、十一歳の少女が持つには両手で抱える必要がある。ホリーは全身で抱きしめるようにしておもちを抱えた。


「昨日のアレはあなたの仕業でしょ? この白いスライム……おもち? のことも」


 ホリーは昨夜の大魔力騒ぎはどうせヒルネが犯人であろうと思っていたので、さして驚いた様子もなく言う。


「で、説明してほしんだけど……」


 ホリーがそこまで言うと、おもちが嬉しそうにぷるりと揺れて、ぴょんと機敏にヒルネの顔の横に移動した。


「ああ、おもち。そこにいたんですね。有給消化の一日目はどうですか? あなたは今までたくさん働いてきましたからね。おやすみが必要ですよ」


 羽毛布団に包まれたヒルネが身体を横にして、おもちを撫でる。


 半透明の白い身体はやわらかくて弾力があり、つるりとした表面で、あたたかくてひんやりしているという不思議なボディだ。触れた瞬間に対象者のもっとも快適な温度に合わせているのかもしれない。その身体には瘴気を消す聖気が宿っているので、おもちがいるだけで空気が清涼になっていた。


(体温調節と空気清浄機能付き。なんて素晴らしいスライムちゃん)


 おもちはぷるぷると楽しそうに揺れた。


「え? 聖女たちのお手伝いをしたんですか? それでは有給消化にならないではないですか」


 ヒルネが大きな瞳をぱちくりとさせる。


「ダメですよ、おもち。あなたはもう十分に働いたのです。これからは私とダラダラ無為な時間を過ごすのですよ」

「大聖女が何言ってるの」


 ホリーがぼそりと言い、ワンダとジャンヌはスライムと会話しているヒルネに驚いている。


 何となくおもちの言うことがわかるヒルネは、つんとおもちをつつく。


 おもちはヒルネの優しさが理解できるのか、ぷるりと大きく揺れた。


「みんなが笑顔になるのが好き? そうですか……おもちはなんて素敵なスライムなのでしょう。これは抱きしめないといけませんね」


 ヒルネは顔をうずめるようにして、おもちに覆いかぶさった。


 呼吸ができるように口と鼻の辺りを変形させ、おもちが楽しそうに揺れている。気配りのできるスライムであった。


「これは……なんという心地よさ……」


 あたたかいのにひんやりしているという、不可思議で優しい感覚に包まれて、ヒルネは眠くなってきた。


「……おやすみなさい……」

「ちょっとちょっと! 勝手にまた寝ないでよ!」


 ホリーがヒルネをおもちから引っ剥がした。


「あなたご飯も食べてないし、喉も乾いているでしょう? 身体を拭かずにまた寝るなんて信じられないわ。ジャンヌは心配してずっとあなたに付きっきりだったんだから、しっかり寝る準備をしてから寝なさいよ」


 面倒見の良いホリーがヒルネを起き上がらせる。


「ヒルネさまが起きないので心配しました」


 ジャンヌがアーモンド形の瞳をうるませ、羽毛布団を手早く畳んだ。


「ああっ、布団が」

「とにかく起きて食事をなさい。あなたに聞きたいことが山ほどあります。ジャンヌ、ホリー、少し早いですが夕食を一緒に取りなさい」


 ワンダが安堵と呆れの入り混じった溜息を漏らし、ヒルネの頭をゆっくりと撫でて小さく微笑み、部屋から出ていった。



      ◯



「なるほど……浄化魔法が大騒動を引き起こしたのですね」


 食堂で夕食を済ませ、ホリーとジャンヌから何が起きたのか説明を聞いた。


 ヒルネが大聖女マルティーヌでも成し得なかった土地の浄化を何の予告もなく行ったため、大教会と南方支部がまばゆい光に包まれたらしい。


 聖職者たちは女神の啓示かと非番の者までがすべて集合して緊急会議が開かれ、場は騒然となったようだ。


 さらに開かずの扉が開かれていて、地下室がもぬけの殻になっていたことも大いに憶測を引き起こした。元々、扉の向こうに何があるのかわからなかったのだ。秘宝が眠っている、聖具が眠っている、何かが封印されているなど、様々な推測がなされていた。


 南方支部の大司教ジジトリアは、冷静に捜索隊を組んで原因究明に当たった。


 ホリーとワンダだけは、ヒルネがやらかしたのではないかと疑っており、ヒルネの部屋に白い饅頭のようなスライムがいたことですべてを察した。


 念のため、数時間に及ぶ大教会と南方支部教会の総点検を行い、あとはヒルネが起きるまで待つ、という流れになって現在に至る。


「ヒルネさまが無事でよかったです」


 ジャンヌが笑みを浮かべて食後の紅茶をヒルネに淹れる。


「まったくあなたって人は……何かあったら呼んでよね」


 ホリーが不服そうに腕を組んだ。


      ◯


 話が終わった三人はワンダに呼ばれて大教会、星雲の間へと移動した。


 星雲の間は四方をすべて本棚に囲まれ、天井には聖魔法を行使すると出現する星屑と夜空に浮かぶ星々が描かれている。元あった大神殿の絵を街の職人が集結して復元していた。


 静謐な空気が流れる大部屋にはワンダ、大司教ジジトリア、その他司祭たちが集まっている。


 上座にあたる椅子の横には刺繍の施されたブランケットが置かれており、その上に白スライムのおもちが鎮座していた。おもちはヒルネを見ると嬉しそうにぷるぷると揺れた。


「ヒルネはこちらに」


 ワンダに促されてヒルネが上座の椅子に座ると、用意されていた椅子に面々が着席した。ホリーも座り、ジャンヌは背筋を延ばして壁際に立つ。


 ヒルネは椅子の座り具合を確かめて、嬉しそうに近づいてくるおもちをよーしよーしと撫でた。


 そのマイペースっぷりにワンダとホリーからはため息が漏れる。


 大司教ジジトリアは好々爺らしく微笑んだ。


「では、こちらの白スライム……おもちについての説明をしてください」


 ワンダが司会役をつとめてヒルネを見つめた。

 ヒルネは小さなあくびを一つし、ゆっくりと話し始める。


 声に導かれるようにして開かずの扉へ向かったこと。


 黒いスライムのおもちと出会い、彼の仕事を終わらすために土地の浄化をしたこと。


 土地にへばりついていた悲しき過去を持つ膨大な量の魂を浄化したことで魔法陣が大きくなり、かなりの魔力を使ったこと。


 そして、おもちがいかにして大聖女マルティーヌと出逢い、彼がどんな想いで地下にいたのかを滔々と語った。


 おもちが数十年間、大神殿の地下で瘴気を浄化していることを皆が知り、その孤独と自己犠牲に皆が涙した。


「おもち様……」

「なんと……おつらい……」

「我々はおもち様に守られていたのですね……」


 おもちの功績は認められ、皆が感謝をした。


「おもちがいなければ、イクセンダールはもっと瘴気が溢れていたと思います。この子は頑張って働きました。今後は有給消化をしてもらいます」


 ヒルネが眠たげな目でおもちを撫でる。


「ゆうきゅうしょうか?」


 おもちの話に涙し、ハンカチで目を押さえていたワンダが顔を上げた。

 この世界に有給消化の概念はない。


「一人で一生分頑張ったので、ずっとおやすみです」

「ああ……そういうことですね」


 ワンダがうなずいた。


 ヒルネはたまによくわからない自分言葉を言うので、いつものことだと、それ以上は聞かれない。


「聖獣ですか……マルティーヌさまのそばにも聖獣がいた聞いておりましたが……白いスライムだったのですな」


 大司教ジジトリアが得心したとうなずいている。


 こうしておもちは聖獣として、ヒルネのいる大教会のマスコット的な存在になっていく。


 一方、おもちは人の役に立ちたいと思っているのか、休むつもりはないらしい。


 話が一段落すると、何かを訴えるようにぴょんぴょんと跳んだ。


「ん? 疲れを癒やしたい? 特にこの方……ワンダさまがお疲れ?」


 何となく言っていることが理解できるヒルネが独り言のようにつぶやき、ワンダを見た。


 ワンダは私ですか、とヒルネとおもちへ交互に視線を送る。

 おもちが「そうです」と言ったのか、ぷるりと揺れて、丸い身体をへこませた。


「ワンダさま。おもちは座ってほしいそうです。疲れが消えると本人は言っています」

「疲れが……しかし……」


 ワンダは座りやすいように身体をへこませたおもちを見て、大司教ジジトリア、その他の司祭を見回す。


 全員が何とも言えない表情をしている。聖獣を尻に敷くなど果たしてやっていいのかと疑問に思うも、申し出を断るのもかわいそうな気がする、という曖昧な表情だ。


 ワンダはもう一度、おもちを見る。


 物言わぬ聖獣は楽しそうに揺れていた。


「どうしましょうか……座るのは恐れ多い……」

「ワンダさま、大丈夫ですよ。おもちはいい子です。座ってみてください」


(座ったらきっと癒やされるよ……ワンダさま疲れてそうだし)


 柔らかそうな丸いスライムに座ったらどんなに気持ちがいいだろうか。


 ワンダはそんな妄想を一瞬だけして首を振った。聖職者たちが見ている前で聖獣に座るのは、やはりできかねる、と結論付けた。


「おもちには申し訳ありませんがやめておきましょう。またの機会にお願いいたします」


 ワンダは丁寧に断りを入れる。

 おもちはちょっと寂しそうにぷるりと揺れた。


「では私が座りましょう。それでいいですね?」


 ヒルネはワンダの立場も考慮して致し方ないと思い、立候補した。

 おもちは嬉しいのかぴょんぴょんと跳んでから、座りやすい形へと変形する。


(とても……素敵な座り心地のような気がする)


 ヒルネは礼拝堂にいる全員が見守る中、おもちへと完全に体重を預けた。


 もにん、と効果音が鳴りそうな感じでおもちが変形した。見た目としては人をダメにする椅子と同じである。


「……ッ!」


 おもちに包まれたヒルネはくわと目を見開くと、そのまま白目になった。さらに口をあんぐりと開け、だらりと全身の力が抜けた。仕事が終わって帰宅後にソファに座ってしまい、そのまま寝てしまった社会人のような、極楽浄土スタイルの完成である。


 これにはワンダ、ホリー、大司教ジジトリア、その他司祭たち全員が驚いた。ヒルネがすぐに寝てしまうのは皆が知っているが、予兆もなくわずか一秒たらずで意識を飛ばす姿は初めて見た。


「ワンダさま! ヒルネさまが一瞬で寝てしまいました……!」


 ジャンヌが心配と驚きで声を上げる。


「そ、そんなに気持ちがいいのでしょうか……?」


 ワンダは戦慄していた。


 一歩間違えば、これが自分の姿だったかと思うと背筋が凍る思いだ。

 おもちに包まれたヒルネは半開きの白目でよだれを垂らし、気持ちよさそうな寝息を立てている。


 その後、ヒルネは三十分間、別世界に旅立ったままだった。


「…………おもちへの着座は禁止とします」


 ワンダは静かに禁止令を出した。


「ワンダさまも座ったほうがいいですよ」


(いやぁ〜、サウナに入ってマッサージを受けたらこんな感じかな? 気持ちよかったな〜)


「どれ、もう一座りしますか」

「あ、ヒルネさま!」

「ヒルネ!」


 ジャンヌ、ホリーが止めに入ったが時すでに遅し。


 ヒルネは禁止令が出された三秒後に着席し、今度は一時間トリップした。


 おもちは人を完全にダメにする椅子、パーフェクトダメ椅子として様々な場所で活躍するのだか、それはもう少し先のお話である。


(ゼキュートスさまにも座っていただこう。おもてなしには絶対いいと思うんだよね。聖獣に座る機会なんてそうそうないと思うし)


 翌日、ヒルネは夢で見たユキユリを模した鉄製の風鈴をプレゼントとして用意し、とんでもない思惑を巡らせた。



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