栞桜とやよい、そして過去


「……やよい、どう思う? 本当に幕府は、妖を自分たちの手で作り出すための実験をしていると思うか?」


 会議が終わってから暫く後、二人部屋に戻った栞桜は同室のやよいへとそんな質問を投げかけていた。

 感情を押し殺したような彼女の言葉にぴくりと反応したやよいは、少し考えた後に自分の意見を述べる。


「してる可能性が高いと思うよ。あくまで状況証拠だけど、そうとしか考えられないじゃん」


「……もし、そうだとしたら、私たちはどうするべきだと思う? 見て見ぬふりをすべきか? それとも――」


「……それを決めるのはあたしたちじゃない。蒼くんたちと相談して、その上ですべきことを決める。それが今のあたしたちのやり方でしょ?」


 もう自分たちは、桔梗の弟子として動いていたような個の存在ではない。

 そこから一歩前に進み、仲間たちと共に蒼天武士団を立ち上げ、その集合体の一員として活動している存在だ。


 だから、個人の勝手な感情で動くわけにはいかない。

 自分の勝手な行動が仲間たちの不利益に繋がる可能性がある以上は、どんな状況にあっても心を鎮めて冷静に対処すべきだというのが集団の一員として活動する者の鉄則だ。


 そんな風に、蒼天武士団の副長として当然の決まりを親友へと口にしたやよいは、真っ直ぐな視線で栞桜を見やる。

 なにか悶々とした、鬱々とした気持ちを抱えているであろう彼女は、判り易いにも程がある表情を浮かべながら自分の心境を吐露した。


「お前は凄いな。蒼が頼りにする気持ちもわかる。私は……いざという時にそんな風に冷静でいられる自信がない。幕府がやっていることを目の当たりにしてしまったら、きっと私は暴走してしまうだろう」


「………」


 かつて、自分たちは薄暗い牢獄の中でありとあらゆる実験を受けさせられた。

 常人を超えた気力を与えるため、その技術を確立するため、危険な術式を施されたり、死に至る薬品を投与されたり、想像を絶する苦しみを味わわされたりもした。


 そんな日々の中で徐々に仲間たちが減っていくことを見た時に覚えた恐怖を忘れることは、一生ないのだろう。

 次は自分が死ぬ番かもしれない。不必要な存在として、廃棄される時がもう目の前にまでやって来ているのかもしれない。


 家族に捨てられ、ごみのように扱われ、最後まで何の価値も見出されることなく人知れず死んで、廃棄される……栞桜たちは、死よりもそんな無残な末路を辿ることを恐れた。

 死にたくないと泣き叫んだ者が死に、一緒に生き延びようと仲間たちを励ましていた者が死に、誰かが廃棄され、誰かが独房に戻ってこなくなって、そんな毎日をどれだけの間過ごしただろうか?


 気が付いた時、生き残りは自分たち二人だけになっていた。

 体に後遺症を残され、失敗作の烙印を捺されて、そんな風になった後で桔梗に拾ってもらえたことは、間違いなく幸運だと栞桜もやよいも言える。


 ただ……時折、ふと思ってしまうのだ。

 肉体を好き勝手に弄り回されて、至る所に手を加えられて、そんな風になってまで生き延びた自分たちは、と呼ぶことが出来る存在なのか、と……。

 もしかしたらもう自分たちは妖とそう変わらない存在になっていて、そんな存在になってまで生き続けることが、果たして本当に幸せだと言い切れるものなのか、と……。


「こんなことをお前に言うべきではないのかもしれない。だが、お前にしか話せないことなんだ……」


「うん、わかるよ。栞桜ちゃんの気持ちは、あたしにだってよ~くわかる」


 自分よりも重篤で惨い傷をその身に残すやよいに、こんな悩みを聞かせるべきではないということは栞桜にも理解出来ていた。

 気力の調整が上手く出来ないだけの自分と比べて、やよいは女としての重要な部分にまで傷を抱えている。

 親友である自分と、育ての親である桔梗と……おそらく、大切な存在として想っているであろう蒼以外には教えていないであろうやよいの秘密を思いながら、栞桜は苦し気に呻いた。


「幕府が私たちにしたようなことを再び行っているというのなら、それは絶対に許すべきことじゃない。なんとしてでも阻止すべきだ」


「それは私だって同じ意見だよ。ただ、本当に幕府が妖を作り出す実験を行っているとしたら、これは国を巻き込む一大事になる。私たちが幕府に楯突けば、幕府は私たちをお尋ね者として追うことになるかもしれないよ」


「……そうなるくらいなら、いっそ――」


っていうのはなしだからね。そんなことしたら、あたしだけじゃなくって他のみんなも滅茶苦茶怒るよ」


 仲間たちに迷惑を掛けずに我を通す方法として、そんな手段を口にしようとした栞桜をやよいが叱責する。

 自分の考えていることなど簡単に読めるのだなと苦笑した栞桜は、大きな溜息を吐くと親友へと言った。


「わかってる、わかってるんだ……なあ、やよい。私たちは本当に幸せ者だな。薄暗いあの実験室からおばば様に助け出してもらって、愛してくれる母親を得た。信じられる仲間を得て、友人を得て……誰かを愛する喜びを知った。だが、どうしてだろうな? 時々、この幸せが無性に怖くなるんだ。沢山の仲間たちの死を見てきた私たちが、こんなに幸せになっていいのだろうかと……そう、思ってしまうんだ」


「……わかるよ、その気持ち。物凄く、わかる」


 ふと足を止め、後ろを振り返った時に感じる喪失感のような思いに覚えがあるやよいが、栞桜へと理解を示すようにして小さな声で呟く。

 いつの日かきっと、自分たちの抱えた傷と向かい合わなければならなくなる時が来るとは思っていたが……それが訪れる時というのは、あまりにも唐突が過ぎるのだなと思ったやよいは、夜空に浮かぶ黄金の月を見つめながらぽつりと心の中にある感情を声として漏らした。


「あの妖も、あたしたちも……左程、変わらない存在なのかもしれないね、栞桜ちゃん」


 その言葉に対して、栞桜はなにも返さない。

 もしかしたらあの妖が執拗に自分を狙ったのも、自分から発せられる同族の気配のようなものによるものなのかもしれないなと思いながら……やよいは、寂し気な笑みを浮かべて、布団の中に潜った。

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