三日目・夕方


「た、ただいま~……ふぃ~、なんとか帰ってこれたぜ……」


「お帰りなさい。楽しい一日を過ごせた……かはともかく、帰るのに苦労したみたいだね」


 夕方、玄関にて。

 逢引を終えた燈の帰宅を迎えた蒼は、彼に引き摺られている涼音の姿を目にして苦笑した。


 どうやら、まだ帰りたくないと涼音はごねにごねたようだ。

 強引に引っ張られ、無理矢理に帰宅させられた彼女の表情はやや不満気ではあるが、疑似的にとはいえ燈と手を繋ぐことが出来て満足しているようにも見える。


「むむぅ……まだ帰るのには、早いと思う。これからが楽しくなる、ところだったのに……」


「晩飯までには帰るって約束だっただろうが。その辺の協定を破ると、椿と栞桜が本気で切れるぞ」


「ちぃぃ……上手いこと時間を引き延ばして、どうにかこうにか一緒の床に就くように話を持って行こうとしたのに……!」


「怖いわ、普通に怖いわ。初デートでいきなりそこまで話をぶっ飛ばすなよ。ってか、やっぱりそれも協定違反だから二人が放っておかないぞ」


 漫才……というかは、親と子供の会話のような燈と涼音との会話を聞く蒼が、浮かべている苦笑を更に強める。

 積極的なのは悪いことではないが、ルール違反をすれば武士団内部に不和が蔓延してしまうかもしれないと判断した彼は、ちょっとばかり涼音に釘を刺しておくことにした。


「涼音さん? 人の恋路に口を挟むのは趣味が悪いとは思うけど、あんまりやり過ぎないようにしてね? 君たちの四角関係が原因で、蒼天武士団が崩壊……なんてことだけは避けたいからさ」


「……ん。それが団長の命令とあれば、多少は自重するよう、心掛ける」


「ありがとう。わかってくれて嬉しいよ」


 意外にも素直に蒼の忠告に従った涼音だが、彼女をよく知る燈はこんな忠告一つで涼音が大人しくなる女ではないことを重々に理解していた。

 自重する、ではなく、自重するように心掛ける、ということは、本人はこれでも遠慮はしているという言い訳が使えるということになる。


 大方、後々に蒼からこの時のやり取りを引き合いに出されても、自分はこれでも自重しているつもりだとでも言って、すっとぼけるんだろうな……と、涼音の行動を先読みした燈は、大きく嘆息しながら自分の受難がまだまだ続くことを予感した。


「……ところで、なんだけれど……積極的とは程遠いところにいるあなたは、どうなの?」


「どう、って……何がだい?」


「やよいとの関係。もう二日も同じ部屋で夜を過ごしたんだから、多少は進展があってもいい頃だと思うのだけれども。具体的に言えば、一回くらいは抱いた?」


「げふっ! ご、ごふっ!!」


 とまあ、そんな風に話を急転換した涼音の言葉に、蒼が判り易く思い切りむせる。

 暫く咳き込み、色んな意味で顔を赤くした彼は、呼吸を整えた後、一生懸命に平静を装いながら涼音へとこう返した。


「す、涼音さん? 君がどう思っているかはわからないけれど、僕たちはそういう関係じゃあないから。これは一時の緊急措置であって、僕たちが望んで同じ部屋で過ごしているわけじゃあないんだ。だから、抱くとか関係の進展とか、そういうことはあり得ないんだ」


「……本当に? 一切、丸々、全くもって、やよいに手を出してないの?」


「当然だろう? 僕が彼女に手出しなんてするはずがないじゃないか」


「ふぅん……そう、そうなのね。あなたがそういうつもりなら、別に構わないけど……少し、やよいが可哀想だわ」


「……え?」


 ぽつりと、涼音が零した言葉に蒼が表情を強張らせる。


 彼女のその口振りには、珍しく深い感情が込められていた。

 やよいが可哀想とはどういうことだと、その一言に異様な引っ掛かりを感じてしまう蒼であったが、元々が言葉少なめな涼音はそれ以上は何も語らず、少しだけ残念そうな表情を浮かべてこくこくと頷いてばかりいる。


 蒼は一瞬、その言葉の意味を彼女に尋ねようかと迷ったのだが……それよりも早く、親友が彼をフォローするような言葉を口にして、涼音と自分との会話に割って入ってきてしまった。


「おいおい涼音、あんまり蒼に圧を掛けんなよ。蒼だって色々悩んでるんだから、横から茶々を入れたらそれこそ可哀想じゃあねえか」


「まあ、それもそうだけど……よく言うでしょう? 幸運の女神に後ろ髪はない……って。悩むのは、結構。けれども悩み過ぎても良いことなんてない、そう私は思う」


「ああ……まあ、それも一理あるわなぁ。でもま、そこは蒼とやよいの問題なんだし、俺たちはノータッチでいこうや」


「……燈が、そう言うのなら」


 まただ、と蒼は涼音の言葉に強烈な既視感を感じて眉をひそめた。

 数日前に師である宗正からも、似たようなことを言われたような気がする。


 後悔するなだとか、悩み過ぎても良いことなんてない、だとか……どうにも自分の周囲には、自分の慎重さを欠点だと考える人間が多いらしい。

 というより、そもそも自分とやよいはそんな関係なのではないのだし、団長と副長としてこのままいい関係を維持出来ればそれでいいわけで――


「蒼? おい、蒼! ぼーっとしてんなよ、そろそろ飯の時間だろ?」


「え……? あ、ああ! ごめんごめん、こういうところが悩み過ぎだって言われる所以なんだろうね」


 ごちゃごちゃと雑多な考え事をしていたせいで燈からの呼びかけに気付けなかった蒼は、そのことを謝罪しながらも誤魔化すような笑みを顔に張り付けた。


 やよいのことで悩んでいるだなんて知られたら、また周りの人たちからそれをダシにからかわれたりするに違いない。

 親友に気取られぬよう、一生懸命に平然を装う蒼であったが……無論、燈は即座にその不審さに気が付いたようだ。


「……まあ、別にいいさ。俺たちも支度を終えたら食堂に行くからよ、お前も遅れるんじゃねえぞ」


 それでも敢えて、蒼のことを思ってそのことを指摘しなかった燈は、ぽんぽんと彼の肩を叩くと涼音を引き連れて自室へと戻り……当然の如く自分の部屋に侵入しようとする彼女のことを蹴り出してから、今度こそ本当に部屋の襖を閉める。

 そんな燈と涼音のやり取りを尻目に、ぼんやりと今しがた涼音や燈から言われた言葉の意味を振り返る蒼は、再び思考の渦に捕らわれ、玄関前で暫しの間立ち尽くしながら考え事を続けるのであった。

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