消えた燈の謎



「一応、聞く。その春画の題は?」


「むっ、ぐっ……!?」


 自分かもしれないという覚えはあるのかと、心の中で突っ込みを入れながらも涼音の質問に栞桜が言葉を詰まらせる。

 春画のいやらしい題名を口にするというはしたない行為に気後れする彼女であったが、必死に羞恥の感情を押し殺すと、涼音の顔から目を逸らし、やや小さめの声量でその質問に答えた。


「さ、『散花、女剣士敗北!!』、だ……」


「知らない。そもそも私が春画を隠し始めたのはついさっきのことだから、それ以前に見つけたのならば私は関係ない」


「き、貴様っ! 最初からわかってたんじゃないか! さては、私を辱めるためだけに質問をしたんだろう!?」


「ごめん、ごめん。そんな風におっぱいぶるんぶるんさせてる人に、恥の概念があるとは思わなかった、だけ」


「むぐぬぬぬぬぅ……!!」


 やっぱり腹の立つ奴だ、と飄々とした涼音の態度に怒りを露わにした唸りを上げる栞桜。

 この状況下でこいつを一発ぶん殴ったとしても誰も自分を責める者はいないんじゃあないか、と心の中の悪魔が囁きどころか堂々と自身に語り掛けて来る中、もう一人の悪魔こと涼音もまた、栞桜へとこんな言葉を投げかけた。


「でも、びっくり。燈、そんな春画も持ってたのね」


「そんな春画? つまりはなにか? 燈は他にも似たような春画を持っているということか?」


「ええ、そう。腹が立つことに、あなたのような乳の大きい下品な体つきの女を取り扱う本を好んでいる、みたい」


「へ、へえ……? ふ~ん、ほぉ……!」


 ぎぎぎ、と歯軋りして悔しさを募らせる涼音の言葉を受けた栞桜は、これ見よがしに露わになっているたわわな果実を強調するかのように胸を張ってみせた。

 たゆんと揺れる大きな双房の様子を目の当たりにした涼音の背後から憎しみのオーラが噴き出し、歯軋りの音が大きくなったことに気を良くした栞桜は、僅かばかりの反撃が効果を見せたことに小さくほくそ笑む。


 しかして、燈はやはり胸の大きな女が好きで、自分のことをそう見ていたのか……と、涼音から得た新情報を加味して更に妄想を膨らませた栞桜であったが、そこでようやく彼がこの場に居ることを思い出したようだ。

 明かりの点いた部屋の中で、褌一丁のほぼ全裸といって差し支えのない姿を曝け出し、しかも露わになっている胸を堂々と見せつけるような格好を取っている自分の姿が彼にも見られていることに気が付いた栞桜が大慌てで両腕で自分を抱き締め、体を隠しながら周囲を見回してみると――


「……ん? 燈は、どこに消えた……?」


 ――ほんの数十秒前まで自分のすぐ近くにいた燈の姿が、部屋の中のどこにも存在していないことに気が付いてしまう。

 まるで煙のように忽然と姿を消した彼を探して首を振った彼女は、燈が部屋を出ていった痕跡の代わりについ先ほどまで存在していなかったある異変を見つけ出すに至る。


 それは、大きな穴だった。

 燈の私室の壁にそこそこ大きめの穴が出来上がり、隣の部屋に貫通しているのだ。


 こんな穴、確かさっきまでは存在していなかった。少なくとも、燈が部屋の明かりを消すまでは普通の壁だったはずだ。

 これはいったいなんなのだろうか? よもや、涼音が部屋に侵入する際にこじ開けた穴なのか……? と、栞桜が考えを巡らせる中、もしかしてといった表情を浮かべた涼音が先程の暗闇の中で感じたある気配を口にする。


「ねえ、さっきあなたが振り向いた時、私の横を、物凄い勢いで何かが吹き飛んでいった気がするんだけど……あなた、何か投げた?」


「私が? いやいや、確かに思いっきり振り向きはしたが、私は別に何も投げた覚え、は、ない……?」


「……あるのね、覚え」


「……うん」


 そうだ、涼音の言う通りだ。自分はついさっき、振り向いた際に掴んでいたものを思いっきり投げ飛ばしてしまった覚えがある。


 ジャイアントスイングの要領で放り投げられたそれは、栞桜の馬鹿力によって凄まじい勢いで宙を舞い、壁に激突したのだろう。

 それがある程度の柔らかさを持つものであったなら、話はそこで終わりだった。

 しかし、それ……というより、は、栞桜に放り投げられた際に咄嗟に気力で肉体を強化し、痛みに耐えるために頑健化したものと考えられる。


 とんでもない勢いで飛んでいく気力によって強化された肉体は、木製の壁を容易く打ち破って隣の部屋に飛び込んでいった。

 いや、恐らくはその程度で終わる勢いではない。もう一つか二つ分の壁を打ち破り、幾つか隣の部屋にまで吹き飛んでいるはずだ。


 そしてそれが急に忽然と燈が部屋から姿を消した理由にも繋がることに気が付いた栞桜は、今まで真っ赤だった顔を一気に蒼白に染めると、大慌てで彼の名を呼んだ。


「あ、燈っ、すまん! わ、悪気はなかったんだ!! ついうっかり……」


「……人間砲弾と化した燈が、死んでないといいわね」


 おそらくは大丈夫だろうと予想しつつ、それなりの痛みは味わっているであろう燈に対してなむなむと手を合わせた涼音は、大急ぎで着物を着直す栞桜を冷ややかな目で見つめてから、呆れた雰囲気で言う。


「方向から考えて、燈が吹き飛んだ先は蒼の部屋だと思う。迎えに行って、ついでにお説教されてきなさい」

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