勘違いの末に彼女は罪を自覚するようです
「そそそ、そんなもの、不埒な奴だと一喝するに決まっている!! 剣士たるもの、性欲に流されるだなんてことは言語道断だろう!」
「でもさ、性欲って人間の三大欲求の一つじゃない? それを抑えろっていうのは無理な話でしょ? 栞桜ちゃんだって、明日からご飯も食べない、眠りもしない生活を送れって言われたら困っちゃうと思わない?」
「ま、まあ、それは、そうだが……」
取り合えず、いつもの自分らしく硬い意見を口にした栞桜であったが、即座にやよいからの反論を受けて目を泳がせながら口を噤んだ。
彼女が黙っている間に全身の泡を洗い流したやよいは、ぷるぷると首を振ってから風呂に浸かるべくそちらへと歩き始める。
栞桜もまた、慌ててそんなやよいの後に続くと、共に湯船に浸かってから話の続きをし始めた。
「し、しかしだな、今、お前が例として挙げた二つと性欲は少しものが違うだろう? 人は食べなければ生きられないし、眠らなければ早死にする。しかして、その、なんだ……性欲を発散させずとも、命に別状はないではないはずだ。そもそも、身近な男から性欲の対象と見られたら、女ならば多少は不快に感じて当然というものだろう」
「う~ん……まあ、そうかもしれないけどさあ……」
先の話の流れから一転、今度は栞桜の方がやよいを黙らせることに成功する。
自分なりの意見を述べつつ、常識と感情に沿った意見を述べた栞桜は、ちょっとばかしは自分も弁が立つようになったのではないかと内心ほくほく顔でいたのであるが……?
「……でもさ、女の子の方が相手をその気にさせるような真似をした場合って、その例に漏れるんじゃあないの?」
「え゛っ……!?」
そんなやよいの一言に、これまでの人生で一度もあげたことのない声を出してしまう栞桜。
がきんっ、と首を真横に九十度曲げた彼女は、少しばかり痛くなってきた心臓の鼓動を感じながら親友の意見に耳を傾ける。
「例えば、例えばの話だよ? 事あるごとにお尻ど~んしてきたり、平気で混浴するような女の子がいるとするじゃない? その女の子による被害を一身に受ける男の人がいたとして、その男の人が女の子に欲情したら駄目だって栞桜ちゃんは思う?」
「う、む……それは、そうだなぁ……」
「正直、あんまり思わないでしょ? この場合の周囲の反応としては、男の人に対してどうしてお前は手を出さないんだ、って言う方が大半なんだよね……心当たり、あるでしょ?」
「……うん」
非常に判りやすい例を出された栞桜は、やよいの意見に頷くしかなかった。
確かに、この例として出された男性と女性の場合、男性側に非があるとは正直にいって思えない。
その男性の親友はとっとと素直になればいいのにと本人に悟られぬように言っているし、父親代わりに至ってはあそこで手を出せないからお前は童貞なのだと説教するくらいだ。
「よ、要するにだ……女が男をその気にさせた場合、女の側にはその責任を取る義務があるのではないか? ということだな?」
「自分に心当たりがある場合だけどね。ただ歩いてるだけでむらむらしたから抱かせろ! なんてていう人に対しては喜んでぶっ飛ばすつもりだけど、自分自身に問題があったんじゃないかな~……って思う場合は、こっちも覚悟決めた方がいいんじゃないかなって」
「ななな、なる、なるほど、な……?」
そう、感心した様子で頷く栞桜であったが、その背中にはとてもとても嫌な汗が流れていた。
風呂で流すものとは思えないその汗をだくだくと全身から溢れさせながらごくりと息を飲んだ彼女は、親友が言う心当たりという奴にばっちり思い当ってしまっている。
今も記憶に新しい出来事。この露天風呂にて、想い人に同じく好意を寄せる友人たちと共にしでかしてしまった、失態という他に表現がない愚かな行為。
熱に浮かされていただとか、場の空気に流されただとか、そんな言い訳は通用しない。
重要なのは、自分が燈を誘惑し、彼に自分が女であるということを意識させたという、その事実のみだ。
ごくりと、再び喉を鳴らして、唾と共に胃の中にその感情を落とし込む栞桜。
汗が引いていくと共に高鳴っていく心拍数によって、彼女の全身は真っ赤に染まっていた。
(せ、責任……義務……ももも、問題があったのは、明らかに……私……っ!!)
その事実を認めるのには、相当な覚悟が必要だった。
しかし、親友の言葉を受け、改めて状況を顧みた栞桜は、大いなる納得と共に余計な想像力を働かせて、見当違いな空想を頭の中で繰り広げる。
あの日、露天風呂にて自分からの誘惑を受けた燈は、一度はそれを跳ね除けてみせたが……やはり、頭の中には女の肌の感触が刻み込まれてしまったのであろう。
特に、最も胸の大きな栞桜のことを意識してしまうのは当然のことで、もしかしたら彼は来る日も来る日もそのことで頭を一杯にしていたのかもしれない。
これまで良き仲間であり、喧嘩友達だと思っていた栞桜が、急に女として自分に迫ってきた。
その動揺が性欲を更に刺激し、脳裏に刻まれた肌の感触が一層男としての欲を燃え上がらせ、彼を苦しめていたのかもしれない。
そんな感情を抱きながらも、自分に好意を寄せてくれている少女たちに誠実であろうと、燈は自身の燃え盛る性欲の炎を必死に抑え続けた。
あの春画も、そんな彼が精神の均衡を図るために必要としていた大事な大事な道具だった可能性がある。
それを自分は、何も言わずに盗み出してしまった。苦しむ燈を救う生命線であるあの春画を、ふしだらな本だと勝手に激高した上で持ち去ってしまった。
自分の行いで彼を苦しめておきながら、自分たちのために必死に自身の欲を押し殺していた燈をまたしても窮地に陥らせてしまったのだと、そう(勝手に)考えた栞桜が湯船の中でぎゅっと拳を握り締める。
そして、これまでずっと目を逸らそうとしてきた事実と直面した彼女は、心の中で得た結論を噛み締めるようにして呟いた。
(これは、私の責任……! 私が燈を刺激しなければ、奴があんな本に手を出す必要もなかったというのに……!!)
自分が女を出し、燈の欲を刺激してしまったが故に彼は春画に手を出した。
内容が変態的なのも、もしかしたら普通な本は既に読み漁り、増していく欲求がそれでは抑えきれなくなってしまったが故のことなのかもしれない。
そんな状況まで燈を追い詰めていただなんて……と、自分がしでかした罪によって苦しむ燈の姿を想像した栞桜が(やっぱり勝手に)罪悪感を感じてその大きな胸を痛める中、やよいはそんな親友の胸中などまるで知ったことではないとばかりに自分のことを考えていた。
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