一方その頃、師匠コンビは……

「お~いおいおい、お~いおいおいおいおい……わしのお宝本が、全て灰に……! お~いおいおいおいおい……」


「はぁぁ……君って奴は、本当に昔っからなにも変わらないねえ……」


 同時刻、百元は自室に呼び出した長年の友人が声を上げて泣く様を心底呆れた様子で見つめていた。

 いい大人が春画を燃やされた程度のこと(しかも大半が自業自得)で号泣するんじゃないと、眼差しでそう語りながら再び大きな溜息を吐いた百元は、若い頃からなにも変わっていない宗正へと冷ややかに声を浴びせる。


「どうせくだらない事情で桔梗と揉めてるんだろうとは思ったが、まさかここまでとは……本当に君って男は、馬鹿というか阿呆というか……」


「なんだとう!? 百元! 女に興味がないお前にはわからないかもしれないがな、あの春画はわしの青春と若さの迸りだったんじゃぞ!? それを全部、桔梗の奴は容赦なく燃やしよって……おおお、思い出しただけでも涙が止まらなくなる……」


「……馬鹿だねぇ、実に馬鹿だねえ。君って男は、本当の本当に馬鹿な人間なんだねぇ」


「何度も馬鹿馬鹿と言うな! お前には、男の浪漫という奴がわからんのか!?」


 泣いたり怒ったり忙しい宗正を尻目に、ずずずと緑茶を啜る百元。

 呆れて物も言えない気分を逆に落ち着けつつ、数十年来の友人を憐みの目で見つめた彼は、同い年であるはずの宗正に対して大人が子供を諭すような口調で優しく叱責していった。


「別に君を全否定するわけじゃあないさ。性欲は人間の三大欲求の一つ、それを無理に封じ込めるのは無理だということはわかっている。春画なら遊郭に行くより安上がりだし、君がそれを揃えたくなり気持ちもわかるよ」


「だろう!? なら――」


「だけど、ここは君の家じゃあない。僕たちは今、桔梗の屋敷に居候してる身だ。そしてこれが最大の問題だが……君の蔵書があの子たちに見つかったらどうするつもりだい?」


「うぐっ……!?」


 百元のその言葉に、びくりと体を震わせてから脂汗をだらだらと流し始める宗正。

 長年の友人が何を言わんとしているかを理解している彼は、結構な罪悪感を覚えつつもそれを誤魔化すようにして言う。


「わ、わあっておるわい! 健全な少年少女の成長に支障をきたすようなブツを見せるんじゃないってことじゃろう!?」


「その通りだよ。それに、君の春画を誰かが見つけて、性欲を刺激されたとして、その人物が同居している異性に手を出さないとは限らないだろう? 万が一に万が一が重なったら、それこそ武士団の崩壊にも繋がりかねないんだよ?」


「あはははは、そんなまさか! 雰囲気に任せてうっかり交わった結果、おめでたなんてオチが付くことなんてそうそうない――」


「身に覚えはないかい? 過去に、同じ遊び人の男がそれで痛い目に遭ったことを忘れたと?」


「おぐっ……」


 百元の心配を杞憂だと笑い飛ばそうとした宗正であったが、過去の記憶を穿り返されたことでその表情が一気に硬直した。

 再び、ずずずと音を立てて緑茶を啜った百元は、一呼吸置いた後に今回の一件についての総括を口にする。


「ここが君の持ち家で、なおかつ君だけが住んでいるのならその趣味に口出しすることはない。ただ、ここは桔梗の家で、多くの若い女の子たちが住んでいる場所だ。大量の春画を完全に収納出来る領域がなく、桔梗にそれを発見された以上、弟子たちに悪影響を及ぼさないために春画を処分した彼女の判断は筋が通っていると僕は思うよ」


「うむ、ぐぅ……わかっておる、わかっておるんじゃよ。だが、頭では納得出来ても心では納得出来ないままなんじゃ!! わしのお宝本、青春の日々……お~いおいおいおいおい……」


 大人として、燈たちの師匠として、彼らに恥ずかしくない、規範となる姿を見せるべきだという百元や桔梗の意見は宗正も理解出来ている。


 だが、やはり大事な宝物を一気に処分された悲しみは簡単に癒えることはなく、その辛さを思い返して再び泣き出してしまった宗正を見つめていた百元は、ふはぁと大きな溜息を吐いてから部屋の片隅から大きな箱を引っ張り出し、彼の前に押し出した。


「ほら、顔を上げなよ。これを自分の部屋に持ち帰っていいからさ」


「うう、ぐすっ……なんじゃ、これ? 箱か?」


「こころくんや燈くんから色々と向こうの世界の話を聞いてね、あっちにある施錠方法を片っ端から試してみた金庫みたいなものさ」


 黒々とした、人間の子供の背丈はありそうな箱を目にして驚く宗正に対して、自身の発明品であるそれの解説を行う百元。

 そうした後、懐から小さな鍵を取り出すと、それを友人へと放り投げてから更に一歩踏み込んだ説明を行っていく。


「鍵による開錠や数桁の暗証番号による施錠を行う金庫は大和国でもごく一般的に存在している。ただ、これにはその他にも様々な認証装置を付けておいた。指に存在している指紋での認証、覗き穴に目を通しての網膜認証に、声と合言葉による声紋認証など、燈くんたちが思い付いた認証装置は全て盛り込んでみたよ」


「お、おお……なんだか凄そうなことはわかったが、どうしてこれをわしに?」


「……この中になら、まあそこそこの量の本をしまえるだろうさ。君にしか開けられないように厳重に施錠したこの金庫の中に春画をしまえば、何かの手違いであの子たちに見つけ出されるってことはなくなるだろう。収納場所と節度がしっかりしているのなら、桔梗だってあまり口うるさくは君の趣味を否定しないと思うよ」


「びゃ、百元……!!」


 その言葉の意図に気が付いた宗正が、きらきらと瞳を輝かせて友人を見やる。

 正直、そんな眼差しを向けられても気持ち悪いだけなのだが……と思いつつ、湯飲みを傾けて茶を飲んだ彼は、一気に機嫌を回復させた宗正へとこう言葉を続けた。


「この金庫の使用感を確かめてもらうという名目で、僕は君にこれを譲渡しよう。君がこの金庫の中に納まる量の春画しか所持しないと約束し、あの子たちに発見されないように細心の注意を払うというのなら、きっと桔梗だって君の趣味を認めてくれるさ」


「おおぉ……!! 流石は百元! 持つべきものは賢くて友人想いの親友だのぉ!!」


「……あんまり調子に乗らないでくれよ? そうやって付け上がって失敗するのが、昔からの君のお決まりじゃあないか」


 そう宗正の軽い態度を注意しつつも、彼が明るさを取り戻したことに百元は多少の安堵を抱いていた。

 これで友人たちの頭痛の種は解消されるだろうし、そうなれば夕食の時に感じた微妙な雰囲気も明日には消えているはずだ。


 少し強引な解決法ではあったが、自分の発明品で誰かが喜ぶというのはやはり嬉しくなるものだ……と、百元が僅かに心を弾ませる中、大きく重い金庫を軽々と片手で抱えた宗正が、笑顔を浮かべて言う。


「よし、そうと決まれば善は急げだ。早速、これを持って桔梗に交渉を――」


「――私に何か話があるのかい? 丁度良かったよ。私の方も、お前さんに話があるからさぁ……!!」

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る