露天風呂の恐怖再び


「ふんふ~ん、ふふふふ~ん……」


 鼻歌交じりに頭を洗い、上機嫌に入浴を楽しむ燈。

 本日二度目の露天風呂だが、やっぱり命の洗濯である風呂の時間は何度入っても心地が良いものだ。


 つい先ほどまで蒼も一緒に入っていたが、やよいの誤解を解くための話し合いに備えて先に出ていった。

 というわけで、桔梗邸の広い風呂を独占出来るようになった燈は、存分にこの滅多に味わえない豪華な入浴時間を堪能している真っ最中だ。


「いや~……考えてみれば、なかなか一人でこの風呂に入ることってなかったなぁ」


 桔梗邸の露天風呂は、基本的に時間制での男女交代で使っているので、自ずと同性同士の入浴時間が一致することになる。

 燈も普段は蒼と一緒に入浴しているわけで、そうなればほぼほぼ彼と同じタイミングで露天風呂に入場し、同じタイミングで出るというのが自然な形といえるだろう。

 時折、ルールを無視して女性陣(主にやよい)が混浴してくることもあるが……先日の三人娘との一件以降、そういったことはめっきりとなくなっていた。


 今日はその蒼が先に出て、宗正と百元も入浴を済ませたということで、女性陣との交代の時間が来るまでは燈が露天風呂を独占出来ることが確定している。

 こんなに広い風呂を自分一人で使えるという機会を楽しまなくては損だといわんばかりにうきうきとした気分でいる燈は、よく洗った髪の毛の泡を、熱いお湯で洗い流しながら首を振る。


「ぷふぅ……タオル、タオル……っと」


 濡れた紙で遮られた視界に頼らず、己の感覚のみを使用して顔を拭くようの乾いた手拭いを探す燈。

 ぺちん、ぺちんと洗面台を手で探って、確かこの辺に置いたはずなのになと見当たらない手拭いを求め続けていると――


「はい、燈くん。タオル、ここにあるよ」


「お、サンキュー。助かったぜ、椿」


 右方向から声が響くと共に、顔のすぐ近くにタオルが差し出された気配を感じ取った燈が、その声の主へと気軽な感謝の言葉を告げた。

 差し出されたそれを取り、ごしごしと頭と顔を拭きながら、燈はやっぱりこういう時の面倒を見てくれるこころには頭が上がらないなと苦笑する。


 毎日の食事や洗濯もそうだが、痒い所に手が届くといった具合に風呂場で困っている自分を手助けしてくれる彼女には幾ら感謝しても足りないくらいだ。

 今も洗面器の中に手拭いを浸し、自分の背中を流してくれようとしている彼女へと申し訳なさそうに頭を下げて、再び洗面台へと向き直った燈は、数秒間頷き続けた後……不意に、血相を変えて背後のこころへと振り返った。


「つ、椿? え? どうしてお前、ここにいるの?」


「まあまあまあ、気にしないでよ燈くん。ほら、背中を流すから前向いて」


「いやいやいや、ごり押すにしたって振りが雑過ぎるだろ。栞桜の方がまだ言い訳するぞ?」


 馬鹿力だけが自慢の猪突猛進な友人を引き合いに出され、それ以下だという烙印を捺されたこころが小さく舌打ちを鳴らす。

 これは決して強引に燈を押し切ることが出来なかったことへの苛立ちを示しただけで、栞桜以下だと言われたことが腹立たしかったわけではない……はずだ。


 そんな彼女の反応を前に、いつの間にやら露天風呂に侵入していたこころへと恐怖の眼差しを向ける燈は、最近なかった女性陣の潜入を予期出来なかったことにちょっとした後悔を抱えていた。


「お、おい、まさかこの間みたいなことをするつもりじゃないだろうな? 途中から栞桜と涼音の奴も参入するとか、ないよな……!?」


「大丈夫だよ、燈くん。今日は私、あんな大胆なことするつもりはないからさ」


 露天風呂にタオル一枚だけを巻いて男と混浴しにやって来る時点で相当大胆だと思うのだが、という突っ込みを喉ギリギリで飲み込む燈。

 それを言ってしまえば、ならもういっそ超大胆なことをしようかと、こころの開き直りを誘発しそうだったからだ。


 彼女の口振りから察するに、この行動は三人娘で示し合わせた上でのものではなく、こころの抜け駆けであるということが察することが出来る。

 だがしかし、残りの二人がいつ彼女の独断専行に気が付き、この場に乱入してくるか気が気ではない燈は、戦々恐々としながらこころへとこう尋ねた。


「で、何だ? どうしてお前は、わざわざ俺が入ってる風呂に乗り込んできたんだ?」


 聞きたくはないが、目的を理解していないともっと恐ろしいことになりかねないと判断した燈が、怯えながらもこころへとそんな質問を口にする。

 戦力でいえば圧倒的に彼女よりも上であるはずの燈が、恐怖しながらそんなことを口走る様に少しだけ愉悦を覚えながら、こころは満面の笑みを浮かべると、その答えを返した。


「さっきも言ったでしょ? 背中を流しに来た、それだけだよ」

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