呪いの始まり、全ての理由

『あっ!? ああっ!? ぐわぁぁぁぁぁぁっっ!?』


 愛する真白を手にかけてしまった龍興は、玄武の口から発せられた炎に反応することすら出来ずに黒炎に飲まれる。

 神の力を宿す、一度燃え上がったら対象を焼き尽くすまで消えない業火に焼かれる彼は、悲哀と怨嗟の感情を入り混じらせながら想い人の名を叫んだ。


『真白、真白ぉぉぉぉっ! 私は、僕は、俺は……! お前を、お前だけのために、私は……っ!!』


 炎に身を焼かれる苦しみにもがきながら、それ以上の苦しみを響かせる精神を粉々に砕かせながら、龍興は叫ぶ。

 やがて、己の死を悟った彼は、燃え盛る黒炎を全身に纏いながら憎しみの感情を込めて玄武を睨んだ。


『許さん、許さんぞ……! 全て、貴様のせいだ。お前さえいなければ、真白は私と共に幸せでいられたんだ! 真白は、真白は……私のものだ! お前のものじゃない! 僕の、妻に、なる、女性だったんだ……!!』


『………』


 崩れ落ちながらも自分を睨むことは止めない龍興の言葉に、玄武は何も言い返すことが出来なかった。

 実際、自分がこの心優しく聡明な少女と出会いさえしなければ、こんな悲劇は起きなかったのではないかという思いが胸の中に在り、神という存在でありながら私怨で一人の人間の命を奪ってしまったことが、その思いに拍車を掛けている。


『真白、真白……! 私は、死なんぞ。魂だけになっても生き続けてやる。君を惑わせた守り神など存在しない、どこか遠い地でやり直そう。そこでなら君を幸せにしてやれる。誰の手も届かない、誰にも脅かされない、平和で幸せな日々を……二人だけで……!』


 皮膚が、肉が、骨が焼ける。

 肉体が滅び、灰になっていく中、地面に倒れ伏した龍興は、這い蹲りながら自分が殺めてしまった真白へと手を伸ばし、彼女の名を呼び続けた。


『真白……僕は、君のためなら、なんだって出来るんだ……だからお願いだ。もう一度、笑っ、て……』


 そこで、龍興の声が途切れる。

 彼の身を焼いていた炎がその肉体を完全に消滅させ、灰と化させたのだ。


 しかし……それが何になるというのだ?

 神でありながら守るべき人間を殺め、大切な存在であった真白も守れなかった玄武が、自分の愚かさと不甲斐なさを呪い、無力さを悔いていると――


『泣か、ないで……あなたが悪いわけじゃない、わ。きっと、こうなる運命だったのよ……』


『!?!?!?』


 弱々しく、生気の感じられない真白の声を耳にした玄武が、地面に倒れていた彼女へと視線を向ける。

 最後の力を振り絞り、よろよろとした足取りで立ち上がった彼女は、口から血を吐き出しながら、瞳から涙を零しながら、玄武へと近付き、その頭を撫でながら語り続けた。


『領地を大きくするために、私たちはたくさんの命を奪った。龍興も、私も……罪深き罪人だったのよ。そんな私たちが、幸せに暮らそうだなんて思ったから……ばちが、当たっちゃったのね』


『………』


 それは違うと、玄武は首を振った。

 人が、己の幸せを追い求めることが罪であるはずがないと、真白が抱いていた夢はその名の通りにまっさらに輝く美しいものであったと、彼女にそう伝えようとする玄武であったが、死を目前にした真白には、その光景は目に映っていないようだ。


『おね、がい……龍興を、恨まないで……あの人がああなってしまったのは、全て、私の責任……彼を止められなかった、私自身の罪、だから……』


『お、おぉ……っ!!』


『……ごめんね、龍興。もし、また生まれ変わることが出来たのなら、今度こそ、あなた、と……』


 ……それが、鷺宮真白の最後の言葉だった。

 最後の最後まで、自分を殺めることとなった男への愛を胸に、その想いが届かなかったことを悔やみながら……彼女は逝ってしまった。


 力なく倒れ伏し、動かなくなった彼女の遺体を前にして、龍興によってつけられた傷を自らの力で癒しながら、玄武は涙する。

 娘のように想い、夢を叶えようと真っ直ぐに突き進み続けた、たった一人の人間との突然の別れに。

 そして、自分自身が犯してしまった、大きな大きな過ちに。


 鷺宮真白と黛龍興が死んだのは、己の過ちのせいだ。

 もしも自分が真白の言う通り、神としての威厳を領民たちに示していたのならば、あるいは、神と人との垣根を越えた真白との心地良い関係をずるずると続けず、きっぱりと何処かで関わりを断ち切れていたのならば、こんなことにはならなかったはずだ。


 龍興は何も間違ってはいない。真白が死んだ原因は、全て自分にある。

 その罪を、神としての不徳を、己の魂に深く刻んだ玄武は……二人の死を悼むと共に、胸の内の苦しみを吐き出すような叫びを洞窟内に響かせるのであった。












 その後、玄武は、傷付いた真白の遺体を修復し、傷一つない状態で彼女の家へと送り届けた。

 その際、龍興の一撃で砕けた自分の甲羅の破片に気力を込め、御神体とし、以降はこの領地の人々に関わることを止め、ひっそりと死ぬまで生きようと……そう思っていた彼は、直後に自分の罪と対面することとなる。


 彼にとっての予想外の出来事は二つ。

 一つは、自分自身が吐き出した黒炎に焼かれた龍興の魂と怨念がその際に発せられた煙に宿り、神の炎の力を持った煙々羅として蘇ってしまったこと。


 決して死なず、玄武への憎しみと真白への執着のみを胸に活動し続ける煙々羅を倒せるのは、それを生み出した神の炎のみ。

 自分自身が生み出してしまった災厄との対面に衝撃を受けながらも、その罪を贖うために、そして煙の中に捕らわれた龍興の魂を解放するために、玄武は戦いを決意した。


 そしてもう一つの出来事は、真白の魂の残留であった。

 龍興の魂が煙々羅として蘇ったことを悟った彼女は、まだ黄泉の国に旅立たずにこの鷺宮領の内部に留まり続けているのだ。


 残念ながら、その魂を感知出来るのは神である玄武と、彼女と魂の形が似通っている鷺宮家の娘のみ。

 誰よりも彼女を愛し、求めているはずの龍興には、今もこの鷺宮領で彼と共に黄泉の国に旅立とうと待ち続けている真白の存在は認知出来ないのである。


 玄武同様、変わっていく龍興を止めることが出来ず、彼を修羅の道に堕としてしまったという己の罪に苦しんでいる真白は、煙々羅となってしまった彼のことを心配し続けていた。

 故に、彼が神の煙の中に魂を捕らわれたままでは成仏出来ず、その身を案じてこの鷺宮領に留まり続けているのだ。


 このまま魂だけの存在となった真白を現世に留まらせ続けていては、彼女は輪廻転生の輪からはじき出されてしまうかもしれない。

 そうなってしまえば再び想い人と相まみえるという彼女の願いは叶わず、その魂は掻き消えてしまうことだろう。


 それを避けるためにも、龍興の魂を救うためにも、煙々羅は倒さねばならない。

 真白と龍興を真の意味で救済するために、自分自身の罪を清算するために、玄武は今日という日まで戦い続けてきた。


 五百年……その長い時間の中で真白の魂が摩耗してしまうのではないかという恐れもあったが、彼女の龍興への想い故か、あるいは神である自分の思念が何らかの守護を与えているのか、彼女の魂はこれまで消えずにいる。

 しかし、それももう限界。自分が死を迎えれば、真白の魂の摩耗は急速に進んでしまうだろう。


 そして、煙々羅を倒す術も永遠に消え失せてしまう。

 自分の炎で生み出した妖を倒す方法は、自分の炎しかない。

 それを扱える自分が彼を倒すしかなかったのだが……ついぞ、それは叶わなかった。


 この五百年で怨念を更に深め、憎しみを更に滾らせた龍興は、恐ろしいまでの力を得てしまっている。

 そんな彼を相手に、万全な状態ならばまだしも、力の源である鷺宮領の人々からの信仰心を得られない弱り切ったままの自分では、倒すことはおろか領地を守ることすら出来なくなってしまっていた。


 それでも、諦めるわけにはいかないと。真白が遺した鷺宮家の人々を守り、彼女が愛した領民たちを守護し、己の罪の顕現である煙々羅と戦い続けた玄武であったが、その志半ばでタクトによって半身を斬り裂かれることとなってしまう。


 このままでは、煙々羅と化した龍興は憎しみ深い自分が守護していたこの鷺宮領を破壊し尽くした上で百合姫を攫ってどこかの土地に逃げてしまうことだろう。

 そうなれば、百合姫や領民たちは勿論のこと、彼自身や彼を待ち続けている真白の魂も永遠に救われなくなってしまう。


 だが……もう、自分が煙々羅を倒すことは出来なくなってしまった。

 残された方法はただ一つ。自分の力を誰かに託し、その人物に煙々羅の討伐を任せるしかない。


 自身の力が衰え始めた頃から考えていたそれを実行に移すために、玄武はその役目を引き受けるに値する人物をこれまでずっと探し続けてきた。

 そして、五百年目にしてようやく……その人物と巡り合うことが出来たのである。


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