三軍出撃

 そう仲間たちに告げる蒼へと、無数の視線が向けられる。

 彼ら全員の命を預かっているという責任感に押し潰されそうな重圧を感じながらも、仲間を信じ、仲間に信じられているが故に彼らは自分に命を預けてくれたのだという想いを胸にした蒼は、一度大きく息を吸って呼吸を整えると、軍の振り分けと動きについての説明を始めた。


「まず、優先事項として周辺の村に住む人々の救援に人員を割く。総勢三百五十人、これを村人の救助と鬼たちの対処に回す」


「す、少し、数が多くありませんか?」


「鬼たちとの戦闘に村人たちの避難誘導、更には東に進む鬼たちを止めるための防衛線も張らなければならないのです。軍の半分以上を回してはいますが、決して多過ぎることはないかと」


 意見を口にした栖雲に対して、人数が多い理由と彼らがすべきことを解説した蒼は、今度は小隊ごとに振り分けられた仲間たちへと視線を向けながら言う。


「各小隊は足の速さが同程度の者で固められていると思う。足の速い者が集まった小隊はここから離れた村へ、そうでない者たちは近辺の村から救援に当たってくれ。前者の部隊の先頭は涼音さんに、後者は栞桜さんに任せる。そして、部隊全体の指揮は……やよいさん、任せても構わないね?」


「モチのロンだよ! 任せてちょうだいな!」


 びっ、と親指を立て、サムズアップして蒼の信頼に応えるやよい。

 その様子に少しだけ顔を綻ばせる蒼に対して、彼女は質問と共に詳しい部隊の動きを確認するために問いかける。


「救助した村人はどうすればいい? 涼音ちゃんの方はこれから張るつもりの防衛線に連れて行って、栞桜ちゃんの方は本陣の方で保護してくれると助かるんだけど」


「そのつもりだよ。東に村人を連れて行った兵たちで防衛線を張るようにすれば無駄がない。ただ、あんまりにも数を送り過ぎて村を回り切れないなんていう本末転倒な状況にならないようにね」


「わかってますって! そんじゃ、巫女さまから式神を借りて、栞桜ちゃんや涼音ちゃんと相談しながら兵を送ることにしようかな!」


 二人の意見交換は迅速に行われ、明確な答えと動きを兵たちに伝えていった。

 蒼の考えをしっかりと理解出来ているやよいの頭の冴えに仲間たちが感心する中、蒼が次の指示を飛ばす。


「次に、この陣地に残す兵の数だが、負傷兵も含めた百名とする。ここに残る兵の役目は、銀華城及び周辺の村々から逃げてきた兵と民を保護することと、そのための安全地帯を確保することだ。混乱した軍人と民間人が雪崩れ込む中、その規律を守ることも重要な役目……この場の指揮は、栖雲さんにお任せします」


「わ、私ですか!? そんな、私は三軍の兵では――」


「だからです。一軍の兵の中には、まだ僕たちを見下している者も多い。彼らに言うことを聞かせるには、巫女であるあなたが最適のはずだ。それでも暴れる奴は、三軍の指揮官として斬り捨てることを許可します。兵も民も関係ない。負傷の度合いが大きい者から手当てを行い、水や食料も必要だと判断した者から優先して与えるよう心掛けてください」


「わ、わかりました……! その大任、引き受けさせてもらいます」


 正確には軍人ではない自分だが、戦場に立つ以上は自分も出来る限りのことをするしかない。

 ただの少女であるこころが朝に夜にと負傷兵の看護に駆け回っていたことを考え、ここで自分が臆するわけにはいかないと覚悟を決めた栖雲は蒼からの指示に大きく頷いてみせた。


「残りの五十名は僕と共に銀華城に乗り込み、負傷した兵の救助と残る鬼の殲滅を受け持つ。銀華城の被害は甚大だ、いつ崩壊が始まってもおかしくない。それでも、この陣の安全を確保するためにも、助けを求める兵たちを救うためにも、その役目を引き受ける者が必要だ。総大将である聖川殿の御身を保護することを目指しつつ、一人でも多くの仲間を助けよう」


 自らも兵を率い、敵陣へと乗り込むことを表明した蒼の言葉に三軍の武士たちが野太い歓声で応える。


 これは即ち、銀華城に残る金沙羅童子と蒼との一騎打ちが行われる可能性が高いということを意味していた。

 総大将から除け者にされ、蚊帳の外に追い出され続けた自分たちの指揮官が、幕府軍の代表として敵の大将と真っ向からぶつかる。

 こんな栄誉が、最大の手柄を立てられる好機が巡ってくるなんてこと、数日前までの自分たちの扱いからは考えられなかった。


 正真正銘の一番手柄が得られる可能性に気が付いた兵たちがにわかに湧き立つ中、兵の数を数えていた栖雲が素っ頓狂な声である事実を指摘する。


「ちょ、ちょっと待ってください! 周辺の村への救助で三百五十。この陣の確保で百。銀華城に向かう兵が五十……これで合計は五百名、三軍の全員を使ってしまっているではないですか!? まだ、鬼の南下を止める部隊が必要です! せめて百! それだけの兵を向かわせなければ――」


「それをやってはいけません。南下する鬼たちに大勢の兵を向ければ、奴らは精鋭中の精鋭とそれを生かすために捨て石となる部隊に分かれてしまうでしょう。そうなれば殲滅は不可能。目的を果たすことは出来ません」


「ですが! このままみすみす奴らを見逃せば、無傷の精鋭鬼たちが南に渡ってしまいます! 何も手を打たないというのはあまりにも愚策――」


「……何も手を打たないわけじゃありません。策はある。軍団としての動きをこのまま維持しつつ、鬼たちを足止めする方法が、たった一つだけ……」


 少しだけ、苦し気な表情を浮かべた蒼が、銀華城周辺の地形を記した地図へと視線を向ける。

 それに倣って地図を覗き込む栖雲たちに向け、軍議用の駒を取り出しながら蒼が話を始めた。


「恐らく、南下している鬼たちの数は百程度。正攻法で彼らを全滅させるには、我が軍五百名全員が総出でかからなければならないでしょう。命懸けで時間を稼ごうとする足止め部隊を倒しつつ、逃げる精鋭たちを追うための兵力としてはそれでも足りないくらいだ。仮に栖雲さんの言う通りに百の兵を差し向けたとしても、間違いなく精鋭たちは討ち果たせない。こういった戦況になった時点で、彼らは逃げ延びれば勝ちなんです。当然、それを優先するよう金沙羅童子も言いつけているはず……」


「では、どうするのですか? どうすれば鬼たちの南下を止められるのです?」


「……逆転の発想です。正攻法で向かっては、鬼たちは我々から逃げようとする。ならば逆に、奇想天外なやり方で、鬼たちがこちらに向かって来るよう仕向ければ良い。奴らの頭から逃げようとする思考を、選択肢を……それらを消さなければ、鬼たちの全滅は果たせない」


「そんな方法があるというのか!? 幻術でも使わなければ、到底鬼たちの思考を縛ることなど不可能じゃあ……」


「出来る。奴らの性格と目的、そしてこの状況を利用すれば、不可能じゃない。ただ、それには――っ!?」


 最後まで、蒼はこの策を実行すべきか悩んでいた。

 確かにこの策を用いれば鬼たちの思考を縛り、彼らが南に逃げるまでの時間を稼ぐことは出来る。

 だが、そのためには相応の苦痛と負担を強いることを理解している蒼が言葉を詰まらせそうになった時、彼に向けて何かが投げつけられた。


 緩い山なりの軌道を描いて自分へと飛び来るそれを掴み取った蒼は、はっとした表情で顔を上げ……その先にいた人物の姿を見て、覚悟を決める。

 自分の考えを、その策がどれだけの苦痛を伴うかも、全てを理解した上で背中を押してくれた仲間の意志に応えるようにして、蒼は受け取った物を右手で強く握り締めながら、口を開いた。


「追うんじゃなくって、んだ。それも、単騎で……! 銀華城に残った鬼たちや、今も周辺の村で暴れている鬼たちは、南を目指す鬼たちを逃がすための囮となっている。彼らの想いを汲んだ精鋭たちは、自分たちの数倍の戦力を打ち破った上で戦いを生き延びたという栄誉を手に、落ち延びることが目的だ。ここでたった一人の人間が自分たちの前に立ちはだかったとしたら、彼らはどうすると思う?」


「どうするって……そりゃあ、捻り潰そうとするだろう。相手が軍団ならば捨て駒を作って、精鋭たちに防衛網を通過させようとするだろうが、一人だけならばそんなことを考えようとはしないだろうさ」


「そうさ。相手が一人ならば逃げるなんて真似はしない。誰だってそうする、そう考える。だから……その一人を、ここに配置するんだ」


 カンっ、という乾いた音と共に、蒼が地図上のある地点に受け取ったばかりの赤い駒を置いた。

 地図を覗き込み、その位置を確認した仲間たちが彼の思惑を理解していく中、蒼もまた言葉として自分の考えを声に出して述べる。


琉歌橋りゅうかきょう……大和国南地方への玄関口にして、僕たちの最終防衛地点。この橋の上ならば、鬼たちも一斉に待ち受ける者に襲い掛かることは出来ない。一対一の状況を強引に作り出せるはずだ」


「確かに……!! しかし、鬼たちが川を泳いで渡ろうとしたらどうする?」


「しないさ。というより、出来ない。そんなことをすれば奴らの評価は、敵の大軍に一杯食わせて悠々と退却した鬼の軍勢から、たった一人の人間を恐れて橋を渡らずに川を泳いで逃げた腰抜けの集団に大暴落してしまう。自分たちの再起のために大勢の仲間たちが命を懸けてくれている中で、最後の最後でそんなケチが付いてしまえば全てが台無しだ。だから、逃げない。何としてでも目の前の立ち塞がる敵を撃破して、琉歌橋を渡ろうとする」


「ですが、ですが……っ! そんなの不可能です! 単騎で鬼たちの前に立ち塞がる者は、百体はいるであろう鬼の精鋭たちを一人で相手しなくてはならないのですよ!? 援軍がいつ駆け付けられるかもわからないその状況では、たとえ一騎打ちであろうとも、数体の鬼を倒すのが限界……その役目を引き受けられる者が、何処に――!?」


「いるさ! ……いるんだ、たった一人だけ。この厳しくて苦しい、命を落とす可能性が最も高い役目を任せられる奴が、たった一人だけいる……!!」


 今から鬼たちの琉歌橋に向かい、鬼たちを追い越して彼らを待ち受けるだけの余裕を作れる走力。

 たった一人で百余りの鬼たちの前に立ち塞がり、彼らの相手が出来るだけの体力。

 そして、強敵である鬼を屠れるだけの確かな実力。


 それを兼ね備えている人物が、蒼の知る限りはたった一人だけいた。

 同じ武士団の仲間たちもまた、ここまで名前を呼ばれていないその人物へと視線を向け、固唾をのんで成り行きを見守っている。


 本当に、これが正しい選択なのだろうか?

 鬼の殲滅は不可能だとしても、安全策としてある程度の首を挙げるために今からでも兵力の割り振りを考え直すべきなのではないだろうか?


 たった一人で鬼たちの前に立ち塞がる役目の過酷さと、生存確率を考えて、この策を実行するべきか躊躇い始めた蒼であったが、その迷いを振り払うように、彼の背に力強い言葉が投げかけられる。


「前に言っただろ? いざという時、俺はお前のことを全力で頼る。そん代わし、お前も俺のことを全力で頼れ、ってよ」


 足音を鳴らし、平然とした様子で蒼へと近付いた燈が、微笑を浮かべながら蒼へと言う。

 戦略も、医療も、自分には判らない。自分に出来ることは暴れることだけで、それが故にこれまで親友の役に立てずにいた。

 だが、今は違う。今、この局面でこそ、自分の持つその力が必要なのだ。


「……改めて聞くぜ。蒼、お前の親友として、相棒として、今の俺に出来ることはあるか? お前の助けになれることがあるってんなら、遠慮すんじゃねえ。信じろ、俺を!」


「っっ……!!」


 強く握った拳で蒼の左胸を叩きながら、燈が笑みを浮かべて言う。

 迷いも、疑いも、躊躇いも……何一つとして持たない、陰りの無い笑みを浮かべたその表情からは、蒼に対する彼の信頼が感じ取れた。


 その笑みに、信頼に、蒼もまた覚悟を決める。

 ここで彼の身を案じることこそ、燈の想いを踏み躙ることだと……そう、考えた彼は、指揮官ではなく親友として、燈へと言った。


「信じるよ、燈……! 援軍が来るまで、持ち堪えてくれ! この戦いに勝つには、君の力が必要なんだ!」


「おう! 任せとけ!! なんだったら、持ち堪えるどころか全員ぶっ潰してやるよ!」


 強く、強く……握り締めた拳で自分の胸を叩いた燈が、笑みを浮かべたまま力強く蒼へと告げた。

 民を救うために、これ以降の鬼の手で生まれる被害をなくすために、この戦に勝つために……誰かの命を守りたいという蒼の想いに応えるために、命を懸けた戦いへと臨む陣形を整えた兵士たちに向け、蒼が叫ぶ。


「いいか、これが最後の命令だ! 無理な命令だってことはわかってる、だが……絶対に、! 必ず生きて、また会おう! そして、勝利の喜びを共に分かち合うんだ! だから、だから――っ!!」


 判っている、自分たちが戦に行くということは。

 理解している、全員が生きてこの場に集うことなど、あり得ないということなど。


 それでも、そう願わずにはいられない。

 誰一人欠けずにいてほしいという、戦場に赴く者として、その指揮官としてはあまりにも甘い願いを抱いた蒼は、その想いを言葉として部下たちの前で叫んだ後、それを上回る声量で、確かな覚悟を込めた声で……出撃の合図を口にした。


「行こう! 第三軍、出撃だ!」

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