やよいの慟哭
気力を用いて脚力を強化し、助走と跳躍で勢いをつけた強烈なヒップアタックが蒼の顔面に炸裂した。
想像以上の威力を誇るその一発を受けた蒼はそのまま背後に倒れ込み、小柄な少女のお尻に自分たちの指揮官が吹き飛ばされる様を目にした三軍の兵士たち全員が唖然とした様子で言葉を失ったことで、陣中に一時の静寂が訪れる。
衝撃は凄かったが、後に残る痛みは殆どない。
だが、不意を打たれたこととこの状況にそぐわない行動を取られたことに若干の苛立ちを覚えた蒼は、立ち上がると共に犯人へと唸るようにしてその行動を咎める言葉を口にした。
「やよいさん、今はこんなおふざけをしてる場合じゃないんだ! もっと状況を考えて行動してくれ!」
今は一分一秒が惜しい、緊迫した状況。
その最中にこんなふざけた行動を取られて、余計な時間をかけるわけにはいかない。
無邪気でありながらも聡明である彼女ならば、そんなことは重々に理解しているだろうに……と、やよいの意味不明な行動を叱責し、それを咎める蒼であったが、そこで、気が付いた。
やよいの目が、何処か物悲しい感情を秘めているということに。
「そうじゃないでしょ……? あなたのすべきことは、そうじゃないでしょ!?」
失望とも、怒りともまた違う。
自分に対する複雑で真っ直ぐな感情を感じさせるその瞳で見据えられた蒼が、やよいの心からの叫びを耳にして声を詰まらせる。
泣いているかのような、怒っているかのような……そして、そのどれとも違うような叫び声を上げたやよいは、一直線に蒼の目を見つめると思いの丈をぶつけていった。
「自分だけで答えを探って、地図と睨めっこして考えに耽って、それが今、蒼くんが本当にすべきことなの!? なんでこんな大事な時に、自分一人で答えを出そうとするの!? あなたが今、本当にすべきことは……みんなを纏めて、最善の案を一緒に探ることじゃあないの!?」
「っっ……!?」
「蒼くんの考えなんて見え見えだよ! どうせ、誰かを見捨てなきゃいけないなら、それを自分の命令で行ったことにすればいいって、そう考えてるんでしょ!? 誰かを殺したり、見捨てたりした責任は自分一人が負えばいいって、そんな馬鹿みたいなことを考えてるんでしょ!?」
やよいに図星を突かれた蒼が、言葉を失って押し黙る。
その沈黙を肯定と判断し、蒼の態度に抱いている感情を強めたやよいの声が、三軍の陣地に響き続けた。
「矛盾してるんだよ、蒼くんのやってることは……! 自分の命令で誰かを死なせたくないって言っておきながら、いざとなったら一番苦しくて辛いその部分を進んで背負おうとしてるじゃん! 一人で抱え切れるはずないのに、勝手に格好つけちゃって……バッカみたい!! 何でもう諦めてるの? 何でもう誰かを見捨てなきゃいけないって結論を出してるの? あなたはあたしに言ったじゃない! 僕の目の前では、誰も泣かせやしないって……みんなを守ってみせるって! そう言ったじゃない!! そのあなたが、どうしてもう誰かを見捨てようとしてるの!? あなたの言ったあの言葉は、全部嘘だったの!?」
慟哭にも近しいやよいの叫びに、誰もが声を失っていた。
誰よりもその言葉に心を貫かれている蒼は、胸を突く痛みを覚えながらも彼女の魂の叫びをただ一心に聞き続ける。
「あなたの手は二つしかない。この戦場で苦しむ人たちを全員救うなんて、あなた一人じゃ不可能なんだってことはあたしにもわかる。でも、今のあなたは一人じゃないでしょう!? あたしや燈くん、栞桜ちゃんに涼音ちゃん、こころちゃんだって……三軍のみんなが、あなたの手足となって動いてくれる! あなたのその甘っちょろい理想を現実にするために、力を貸してくれるじゃない! なのにどうしてあたしたちを頼ってくれないの!? 全部一人で抱え込もうとするの!? あたしたちのことを、どうして信じてくれないのさ!?」
「………」
蒼はもう、何も言えなかった。
燈からも指摘されていた自分の悪癖を、この重大な局面で発揮してしまった自分への不甲斐なさに言葉を失った彼は、改めてこの場に集う人々の顔を見回していく。
老若男女問わず、三軍の兵士として集められたこの武士たちは、これまでずっと自分の指揮を信じ、自分を長として認め、従い続けてくれていた。
何の実績もない蒼を、まだ若く経験も浅い自分を、軍団長として担ぎ、信頼し、これまでずっとついて来てくれた。
だが、自分はどうだ? 自分は、彼らのことを信じられていただろうか?
自分に従ってくれる彼らを守りたいという想いが、傷つけたくないという感情が、行き過ぎた庇護の精神となっていはしなかっただろうか?
彼らは子供ではない。命を懸け、この戦に臨んでいる武士たちだ。
勝利のためなら、死ぬことだって惜しくはない……そんな決意を固めた彼らを必要以上に庇おうとしていた自分自身の考えは、その覚悟を踏み躙るような行いではないのか?
「……僕は……僕、は……」
自分のことを信じてくれる部下たちのことを、自分は信じていなかった。
守りたいという想いが強すぎて、彼らの強さと覚悟を蔑ろにしていたという、指揮官として致命的な自分の失態に気付かされた蒼は、苦し気な声を漏らしながら俯く。
思いの丈を叫び、それでも感情が治まらずに肩を震わせているやよいは、そんな彼のことをただじっと見つめ続けていた。
「……やよいちゃん。気持ちはわかるけど、この状況で蒼さんを責めるのは酷だよ。今は蒼さんだっていっぱいいっぱいなんだから……」
「わかってるよ。でも、だからこそ……頼ってほしいじゃない。何もかもを蒼くんが一人で背負うっていうなら、あたしたちが傍にいる理由ってなんなの? みんなで一緒にいるのなら、大きな問題だって一緒に解決したいって思うじゃない……!」
蒼を擁護するこころに対して、やよいもまたぐちゃぐちゃとした感情のままに想いを呟く。
ひゅー、ひょろろー、という鳥の鳴き声が聞こえるくらいに静まり返ってしまった三軍の陣地には重苦しい雰囲気が漂い、誰もが次にどう話を切り出すべきか悩んでいた。
「……話を戻そう。今は仲間内で揉めるよりも、この事態への対策を練るべきだ。蒼だけに頼らず、私たち全員で意見を出し合って考えよう」
「でも、時間がない。もたもたしていると、村人たちが全滅してしまうわ。せめて、せめて……軍議を行う時間さえあれば……!!」
その重苦しい雰囲気の中で口を開いた栞桜が、仲間たちへとこの戦況を打破するための意見を求める。
だが、やはり涼音の言う通り、時間が足りない。
ゆっくり、のんびりと対策を練るための時間は勿論、部隊の人員配分を決めるための話し合いの時間すら惜しいこの状況の中で、軍議などもってのほかだ。
ほんの少しだけでいい。自分たちの意見を元に、蒼が思案を纏められるだけの時間が欲しい。
無茶な要望だということを理解しながらも、誰もがそんな願望を抱いた時だった。
「は、ははは……ははははははは……!!」
「あ、燈、くん……? どうしちゃったの……?」
急に、陣中の静寂を切り裂くような笑い声が響き始めた。
空を見上げ、唐突に笑い始めた燈の様子を見て不安になったこころが彼を気遣って声をかければ、何処か希望を見出した様子の燈が仲間たちへとこう言い放つ。
「おい、何とかなるかもしれねえぞ。少なくとも、話し合いをする時間は作れそうだ」
「えっ……!?」
その言葉に誰もが驚き、燈の顔を見つめる。
どうしてこの状況下でそんな余裕があるのかと言わんばかりの仲間からの視線を浴びながら、燈は先ほどまで魂のこもった叫びを口にしていたやよいの頭をくしゃくしゃと撫でながら、言った。
「ナイスドンケツだ、やよい。お前のお陰で俺たちも蒼も冷静になれた。んで……気付くことが出来たぜ」
「気付けたって、なにを?」
そう、背後から尋ねるこころへと振り向いた燈の頭上に、鳥の影が舞う。
獰猛で嬉しそうな、一筋の光明を見出したことに興奮を抑えられないでいる笑みを浮かべた燈は、こころへと質問の答えを返した。
「援軍が来た。それもとびきり頼りになる奴らがな」
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます