栖雲は問う



(思ったよりも統率が執れている。というより、これは……)


 蒼と共に第三軍の陣地を巡る栖雲は、ある程度様子を確認した上で心の中でそんな感想を呟く。

 きっちりと訓練された幕府軍の兵士たちとは違う、粗暴で乱雑な武士団の人間たちが軍として機能すると思っていなかった彼女にとって、この光景はかなり意外なものだ。


 夜間の警備や負傷兵の看護を交代で行い、それぞれが割り当てられた仕事をきっちりとこなす。

 蒼の割り振りが優れているのもあるのだろうが、それでも一人たりとも怠けることなく自分の役目をこなしていく様を目にしながら、栖雲は隣を歩く蒼へと質問を投げかけた。


「それぞれが仕事をこなしていることはわかりますが、陣に多少の緩みというものが見受けられます。そこは、取り締まらなくてよろしいので?」


「ご心配なく。この緩みは、彼らの長年の経験を反映して作り出された余裕のようなものです。兵法書や学問書の通りに陣形を取るより、実戦を潜り抜けてきた武士たちの経験を基にして多少の変形を行った方が、良い結果に繋がると僕は思っています」


「そう、ですか……確かに、そうかもしれませんね……」


 三軍の兵士たちの様子には体力が有り余っているという風もある。だが、それよりもこの雰囲気の原因は彼らの精神的な余裕が主だ。

 戦に前のめりになり過ぎず、されど意欲を見せないといったこともなく、その中間にある丁度良い精神状態を保ち続けている彼らの姿は、戦時中における兵の理想的な状態なのかもしれない。


「少し前まではもう少しぴりぴりしていたんですがね。先ほど、栖雲さんが兵糧と医療品を持って来てくれたお陰で、随分と精神的に余裕が出来ました。本当に、ありがとうございます」


「そんな……私はただ、聖川殿の命に従っただけで……」


 深く頭を下げ、自分への謝辞を述べる蒼の様子に慌てて手を振る栖雲。

 自分は上からの命令に従っただけで、彼から感謝される筋合いはないと言葉を続けようとした彼女であったが、その言葉を遮るようにして蒼が口を開く。


「栖雲さん、正直に言ってください。これは本当に、総大将殿の指示なのでしょうか?」


「と、当然です。私如き一介の巫女が、独断で物資を動かすことなど出来るはずが――」


「……すいません、言葉が足りませんでしたね。確かに物資の配給は聖川殿の指示でしょう。しかし、それをこんなにも早く届けるという指示を彼が出すとは思えません。今頃彼は、軍規違反者の処断を行っている頃でしょう。彼の性格から考えるなら、何よりもまず処罰を優先するはずです。物資の配給は二の次……屈辱を味わわせた僕たちにいち早く補填を行うというのも、気位が高い彼からすれば出来る限り遅らせたいことでしょうしね」


「………」


 見透かされていたか、と栖雲が深く息を吐く。

 その溜息の中には彼女自身が抱えている迷いや疑問が含まれているようで、肺と心から全てのものを吐き出した彼女は、再び息を吸ってから蒼に向き直り、こう言った。


「わからなくなってしまいました。私は、何が正しくて、何が間違っているのかが、わからないのです」


 栖雲の独白を、蒼は黙って聞いている。

 彼が見に回ってくれたことを確認した栖雲は、自分の素直な心境を吐露し続けた。


「幕府が抱える巫女として、この国の政を司る機関の一員として、私は法と掟こそがこの世に安寧を齎すものであると信じてきました。人々が規律を守り、違反した者を罰すれば、それだけで罪を犯す者が減る。そんな治世が続けば、世界は掟を守る善人だけになる、と……そう、信じてきたのです。しかし……先ほどの一件を経て、私はその考え方に自信が持てなくなってしまいました」


 眼鏡の奥の瞳を僅かに曇らせ、胸に手を当てて息苦しい気持ちを押さえつけた栖雲は、蒼と視線を合わせることなく自分の中に生まれた懸念について話し始めた。


「一軍の中に軍規違反者が出て、総大将である聖川殿がそれを処断した。それは、私が望む通りの在り方のはずでした。でも……実際にその場面をこの目で見て、本当にこれで良いのかとも思ってしまったんです。どうして、掟を教え込まれたはずの幕府兵が軍規を違反してしまったのか? どうして、食が満たされていたはずの彼らが付近の村から略奪行為を働いたのか? 私には、彼らの行動の理由がわからない。そして何より……そんな罪人たちを処罰する聖川殿が、本当に正しいことをしていると思えない自分自身のことがわからないのです」


 掟を守るために、罪を犯した者を処罰する。

 匡史の行動は、正当な理由に基づいた正しい行動のはずだ。なのに、どうしてだかそれが正しいと思えない自分がいる。


 どうして、厳しく掟を守ることを言い付けられているはずの一軍の兵たちが軍規を破り、本来は自由に生きているはずの武士たちの集まりである三軍の兵士たちが、規律を守って行動出来ているのか。


 どうして、罪を裁くために罪人を処断した匡史のことを正しい人間だと思えなくなっているのか。


 掟とは、人の上に立つ人間の器とは、いったい何なのか?

 それら全てが判らなくなった栖雲は、その答えを求めるために匡史の指示を前倒しして、こんな夜遅くに彼に会いに来た。


「蒼殿、あなたにはわかりますか? 私が抱えるこの疑問を、あなたは晴らすことが出来るでしょうか?」

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