酒は飲んでも飲まれるな


「本っ当に……申し訳ありませんでした!」


 燈と蒼は、大広間にて屋敷の主人であり、栞桜たちの育ての親である桔梗へと床に頭を擦り付ける土下座を行っていた。

 完全に女性陣の自業自得ではあるのだが、彼女たちの醜態やら痴態やらを酒宴の最中に目撃してしまった彼らは、申し訳ないやら恥ずかしいやらの感情を謝罪という形で示す。


 目の前で深々と頭を下げる男子二人の姿に大きく溜息をついた桔梗は、呆れた様子ながらも優しい口調で彼らを慰める。


「坊やたちが謝る必要はないよ。どっちかっていうと、あんたたちは被害者なんだからねぇ……悪いのは大体、うちの馬鹿娘たちさ」


 そう、燈たちに告げた桔梗がギロリと鋭い視線を真横に向け、そこに座すやよいを睨む。

 首から『私は言いつけを破って、師匠の大事なお酒を勝手に飲みました』という反省の文言が書かれた看板をぶら下げた彼女は、悪戯っぽく舌を出しながらそのことを謝罪した。


「いや~、ごめんねおばば様! まさか、あたしってば酔うとあんな風になるだなんて知らなかったからさ~!」


「そのこともそうだが、嫁入り前の娘が男を誘うような真似をするんじゃないよ。坊やたちが手を出さなかったからよかったものの、一歩間違えればどうなっていたか……」


「あたしとしては手を出してくれた方がよかったんだけどね、にししっ!」


「……やよい、あんた反省してないね? もう少し厳しく折檻してやろうか? うん?」


 底冷えするような桔梗の脅し文句に、その言葉を向けられたやよいだけでなく燈と蒼も身震いして恐怖の表情を浮かべる。

 流石にこれ以上は育ての親を怒らせてはならないことを感じたやよいは、表情を強張らせながら慌てた様子で桔梗へと謝罪の言葉を口にした。


「ごめんごめん! ちゃ~んと反省してるってば! おしおきだったら昨日のうちに蒼くんからたっぷり受けたんだから、もうこれ以上は勘弁してよ~!」


「ぶっっ……!?」


 軽くお尻を擦りながらそう口にしたやよいの言葉に、心当たりのある蒼が泡を食ったように噴き出す。

 昨晩、自分の中で何かが切れて、自分の気も知らずに無意識に挑発し続けるやよいの尻を何度も何度も叩き続けたことを思い返しながら、自分がどれだけ大胆で罪深いことをしてしまったかを理解すると共に床に突っ伏して再び土下座の姿勢を取るようになっていた。


「知らんわ。むしろその程度で済んだことに感謝しな。私なら、あんたの尻の皮が破れるまで根性棒で叩き続けてやるがね」


「う~ん、それは嫌だなぁ……でも、蒼くんの根性棒で膜を破られるのなら大歓迎――」


「よし、あんたやっぱり反省してないね。厳しく仕置きしてやるから、覚悟しな!」


「うわわわわ~! 冗談、冗談だって! 可愛い娘の茶目っ気を許してちょうだいよ、おばば様~!」


「ぐっ、ふっ……!」


「……あの、そろそろ退席していいっすか? このままここにいると、蒼が憤死しちまいそうなんで……」


「ああ、そうだね……色々と面倒をかけた、下がっていいよ。それと、昨日のことは早く忘れちまうんだ、わかったね!?」


「う、うっす……!!」


 最終的に桔梗から鋭い眼差しと共に威圧感たっぷりの警告を受け取った燈は、その恐れ多さに身震いしながら首をがくがくと縦に振った。

 自分自身が栞桜に対して劣情を抱いてしまったこともそうだが、彼女の醜態もさっさと忘れてやらねば本気で切腹しかねない。

 サラシの件といい、どうして自分は栞桜が絡むととんでもない事件に巻き込まれてしまうのか……と思いながら、燈は完全に脱力して項垂れたままの蒼を引き摺って、部屋の外へと出て行く。


 その際、桔梗から幾度となく叱られても堪えないやよいは、にこにこと笑いながら蒼へとトドメの一言を口にした。


「取り合えず、二人には謝っておくね。ごめんなさい! ……あ、それと蒼くん! 昨日のあれ、癖になっちゃったら責任取ってよね! お願いだよ!」


「ぐほぉ……っ!!」


 手のひらに残る柔らかくて弾力のあるやよいの尻の感触やら、張り手を続けているうちに段々と甘い響きが強くなっていった彼女の嬌声やらを思い出した蒼は、最後に一つ大きな呻き声を残すと完全に撃沈してしまった。

 この後、桔梗から激しく叱られることになるだろうに、それと引き換えにしてでも蒼の心に自分と過ごした夜を刻み込むことを優先するやよいの根性に半ば感心しつつ退室した燈は、そこで待っていた涼音と顔を合わせ、小さく苦笑する。


「おはよう、燈。昨日、何があったの? 私、なにも思い出せない……」


「ああ、まあそうだろうな。椿と栞桜の奴はどうしてる?」


「二日酔いで苦しんでるわ。特に栞桜の方は、しきりに忘れろ忘れろってうなされてるみたい」


「うぐっ……! わ、忘れろ、ねぇ……そりゃ、そう言いたくもなるわなあ……」


 正直、する寸前までいった栞桜とは顔を合わせにくい。

 いっそ完全に手を出してしまった方が気も楽だったのではないかと考える燈だが、これでよかったのだと自分に言い聞かせると、昨日の妙に色っぽくて可愛らしい栞桜のことは、(その後の醜態も含めて)記憶の中から消去することにした。


 それにしても、実に苦しく厳しい戦いだった。

 こころと栞桜は後遺症に苦しみ、やよいは厳罰を受け、自分と蒼は心に深い傷を負ったこの戦いを振り返りながら、燈は一刻も早くこの記憶を削除しようと硬く誓う。


 そんな彼の隣では、この戦いの中で唯一無傷と言って差し支えない涼音が、何処か遠くを見ながら一人呟いていた。


「お酒とは、実に恐ろしいものなのね。『酒は飲んでも、飲まれるな』……この言葉の意味が身に染みて理解出来た気がするわ。嵐、あなたの姉はまた一つ賢くなったわよ……!!」


 そんなことを報告されても天国の嵐も困るだろう。

 純粋無垢に頷きながらそう口にする涼音に敢えて突っ込みは入れなかった燈ではあるが、心の中では大いに苦笑を浮かべていた。


 まあ、何にせよ平和に一日が過ぎてよかった……と、思いながら、何か大切なことを忘れている気がする燈は、小首を傾げた後で思い出せないのならそう重要なことではなかったのだろうと一人で納得し、少し痛む頭をすっきりさせるために朝風呂へと向かうのであった。









 ……なお、その頃、「元はと言えばお前の下らない計画がうちの娘たちに知られたことが元凶だろうが」と鬼神の如き表情を浮かべる桔梗から詰られた宗正は、弟子たちの馬鹿騒ぎで浪費された酒や料理の材料代を責任を持って弁済することを約束させられていた。

 そのお金は当然、今晩の遊郭に行くための軍資金から提供されることとなり……見事に素寒貧になった宗正は、楽しみにしていた遊郭での女遊びを泣く泣く断念することになったとさ。


 結論……燈たちの脱童貞を防ぐことが出来たので、女子たちの勝ち。ただし、実際は痛み分けに等しい。(なお、最大の被害者は宗正)



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