覚悟と共に散る


「残念ですよ、嵐さん。あなたには期待していたんですけどね……結局、あなたも完全なる狂気に至ることは出来なかった。私たちの仲間には、相応しくない存在のようですね」


「がっ、ぐっ……!!」


「このっ……!! 嵐から、離れなさいっ!」


 弟を刺し貫く仮面の女に激高した涼音が、『薫風』を握り締めて突貫する。

 多少なりとも消耗していた彼女だが、それでも弟の危機を何もせず黙って見ているわけにはいかない。


 感情のままに突撃し、武神刀の刃を仮面の女へと叩き込もうとした涼音であったが、一瞬の違和感と共に目前にまで迫っていたはずの女の姿は消え、代わりに断崖絶壁の縁が目の前に現れたことに絶句する。


「なっ!? うあっ!!」


「あらあら、クールなお姉さんが随分と慌てちゃって……! 無防備に斬りかかってくれたおかげで、簡単に罠に引っ掛かってくれましたねえ」


 猛然とした突撃の勢いは急には殺せない。

 前方への疾走の勢いをそのままに、涼音は自ら崖を飛び降りるようにして縁から身を投げてしまう。


 このまま落下すれば、下は荒波が押し寄せる海。

 激しい海流に飲み込まれ、鋭く尖った岩に叩き付けられた末に、命を落とすことなるのは間違いないだろう。


 咄嗟に、涼音は体を捻って手にしている『薫風』を崖の岩場に突き刺し、すんでの所で落下を防ぐ。

 しかし、もうまともに動けない嵐を放置して彼女の下に近付いてきた仮面の女は、自分が生成与奪の権利を握った涼音の様子に楽し気な声を漏らし、彼女を嘲笑った。


「ふふふ……! 可愛い弟がやられる姿を見て、頭に血が上っちゃいましたか? 嵐さんもそうですが、お姉さんの方も案外弟想いなんですねぇ……! 本当、憎たらしい」


「あ、ぐ……っ!?」


 『烏揚羽』の切っ先を涼音の手の甲に走らせ、武神刀を掴む手に傷を残す仮面の女。

 その気になれば涼音の腕を切り落とし、その命を終わらせることが出来る状況下で、彼女はニタリと笑みを浮かべると、一度崖からぶらさがる涼音から視線を逸らし、目的を果たすべく動き出した。


「ああ、危ない危ない……! ついつい楽しくって、本来の目的を忘れちゃうところでした。私の目的は、『禍風』を回収すること……もう、嵐さんにこれは必要ありませんからね……って、あら?」


 嵐の手から取り零され、地面に転がっていたはずの『禍風』へと視線を向けた仮面の女は、目的の妖刀が再び嵐の手に渡っていることに気が付いて少しだけ驚いたような声を漏らした。


 涼音に斬られた傷と、女に貫かれた腹部から大量の血を流す嵐は、それでも拳に力を籠めて『禍風』を握り、鋭い目つきで女を睨みつけている。


「おやまあ、これはこれは……! まさか、そんな死に体で私と戦うつもりですか? そういうの、無駄な努力っていうってこと、知りません?」


「……わかってるさ。今の僕は立っているのでやっと、お前に勝てるはずもない。それでも、僕にはやらなきゃならないことがある。だから、こうしているんだ」


「へえ、そうですの。それが何かを聞いてあげたいところですが……生憎、そんな時間の余裕はなくってですね……ほら、来ちゃった」


「涼音っ! そっちはどうなった!? 妖気が収まったから、お前が負けたってことはないだろうが――っ!?」


 そんな声と共に、仮面の女が視線を向けた方向から草木を掻き分けて燈が姿を現す。

 仲間である涼音の身を案じていた彼は、崖のすぐ近くで相対する仮面の女と血まみれの嵐を目にして、驚きのあまり硬直してしまった。


「……残念ですが、時間切れです。私、燈さんには勝てませんのでね……さっさと『禍風』を回収して、あなたたち姉弟にトドメを刺して、この場から逃げちゃいたいんですよ。だから、無駄な抵抗は止めてくださいね。そうすれば、楽に殺してさしあげますので……」


 もうあまり時間はない。燈との距離が空いている今の状況が、女にとってはラストチャンスだ。

 仮面の女が『烏揚羽』を抜き、もはやまともに刀を振るうことも出来ない嵐へと近付いていく。

 じりじりと近付く死神の姿を目にして、何の抵抗も出来ないでいる嵐は……目線を彼女ではなく、燈の方へと向けて、笑った。


「すいません、燈さん……で、よかったですよね? 姉さんのこと、よろしくお願いします。無口で不愛想な人ですけど、本当は人一倍寂しがりやなんです。僕はもう、姉さんの傍にはいられないから……あなたたちに、お願いするしかないんです。身勝手だってことはわかってますけど、本当によろしくお願いしますね」


 その傷だらけの、死を間近とした体の何処にそんな力が残っているのかと思わせるような大声で、嵐が言う。

 燈は、狂気に彩られて真紅に染まっていた彼の瞳が、姉と同じ翡翠色の美しい輝きを取り戻していることに気が付き、はっとした表情を浮かべると共に、姉弟を救うべく一目散に駆けだした。


「……それが、遺言でよろしいですか? では、お別れですね、嵐さん」


「ああ、お別れだ……だが、僕はただじゃ死なない。お前たちにこの『禍風』を渡してしまえば、また僕のような人間が生まれる。こいつは、僕が連れて行く。お前たちの手が届かない、地獄の底までな」


「っっ!? あら――っ!!」


 弟の言葉から何かを感じ取った涼音の声が完全に紡がれるより早く、嵐が最後の力を振り絞った。

 逆手に持ち直した『禍風』の柄を両手で握り、それを自分の側に引き寄せるようにして腕を折り曲げる。

 嵐の体の方向に向いていた刀の切っ先は、彼の最後の生命力を使い果たした切腹行為によって嵐の体を貫き、その背面までを穿ってみせた。


「……さよならだ、姉さん。本当にごめんよ、最後までこんな、馬鹿な弟で、さ……」


 自分で自分を刺し貫くという、予想も出来なかった嵐の行動に一同が固まる中、最後の力を使い果たした嵐の体が後ろへと倒れていく。

 そして、彼の体を支えるもののない、崖へと身を躍らせた嵐は……そのまま、姉の真横を通り、海の底へと落下していった。


「しまっ……!? 『禍風』が!!」


 嵐の行動に面食らい、思考を停止させていた仮面の女は、目的である『禍風』が嵐と共に海の底へと消えてしまった事実に顔を青くして叫びを上げる。

 慌てて嵐が消えた崖の下を覗き込むも、彼の遺体は浮かび上がっておらず、激しい海流によって嵐の体に深々と突き刺さった『禍風』が何処に運ばれてしまったのかも想像すら出来ない。


「鬼灯、嵐……! 小癪な真似を……!!」


 油断していた部分もあったが、それ以上に嵐の覚悟を舐めていた。

 『禍風』を自分たちの手に渡さないために、自分の体を鞘にして、共に海に身投げするだなんて、考えもしていなかった。


 それが、自分の敗因だ。

 妖刀の中でも有数の一振りは、海の藻屑と消えてしまった。

 この失態を、どう幽仙に報告したものか……と悩む仮面の女は、自分に迫る猛烈な敵意に体をびくつかせると、咄嗟に『烏揚羽』を構え、防御体勢を取る。


 次の瞬間、彼女の体を大きく吹き飛ばし、近くの岩盤に叩き付けるほどの勢いをもった燈の一刀が炸裂し、その強烈さと衝撃に女の意識が激しく揺さぶられた。




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