姉弟の決着、そして……



「くっ……!?」


 自分の脚を止め、身動きが出来なくなる代わりに、相手の機動力を完全に封じる。

 この技は涼音の持ち味を完全に殺す、いわば対彼女用の技だ。


 風の流れがある左右は勿論のこと、暴風に背中を押されている状態で跳躍すれば、その流れのままに嵐の下へと運ばれかねない。

 天を舞う疾風を完全に捕らえ、箱の中に封じ込める嵐のとっておきを披露された涼音は、歯噛みと共に今の自分の危機的状況を分析する。


(駄目、完全に回避先を塞がれている。強引に動けば、体勢を崩してその時点で斬り捨てられるわね……)


 単純に風を目に見えぬ攻撃方法として利用するだけではない、敵の移動先を制限し、動きを拘束し、確実に仕留めるための罠として利用する。

 基本の一歩先へと進んだ嵐の応用技術に舌を巻く涼音は、それと共に彼が見せた成長に心苦しさを感じてもいた。


「……素晴らしい、技ね。妖刀なんかに手を出さなければ、きっとあなたはこの技をより発展させていたでしょうに……!!」


「っっ……!?」


 惜しみのない賞賛。されど、涼音の口調と表情には悔しさが滲んでいる。

 自分を倒すためにこれほどまでの技を編み出した嵐が、一介の剣士としてこれからも自分たちと共に修行を重ねていたのなら、どれほどまでの成長を見せてくれていやのか?

 きっと、目標であった姉を超え、この大和国でも最強の一角と呼ばれる大剣豪にまで上り詰めていたであろうと、涼音は確信にも近い予感を抱く。


 この【風殺乱陣】すらも凌駕する数々の秘奥義と基本の技を習得し、修練に修練を重ねた実力には一部の隙もなく……努力の天才とでも呼ぶべき、誰からも尊敬される立派な剣士へと、嵐は成長を遂げていたはずだ。


 妖刀にさえ手を出さなければ、自分が彼ともっと会話を重ねていられれば、嵐はきっと素晴らしい剣士へと成長してくれていた。

 その未来が完全に掻き消えてしまったことへの悲しみが、悔しさが、普段は無表情な涼音の顔を涙を滲ませるほどの後悔を生み出している。


 そんな姉の表情に一瞬だけ心を揺さぶられた嵐であったが、その迷いを振り払うようにして、大きな声で涼音へと叫んでみせた。


「姉さん、僕に未来なんて必要ないんだ! 僕にとっては、姉さんと立ち合っている今、この瞬間が全てなんだよっ!!」


 何もかもを捨てた。未来への希望も、姉と過ごす日々も、人間としての在り方も。

 それら全ては、今、この戦いを制するため……目標であった姉を超えるためだけに、自分は妖刀と呼ばれる許されざる存在にも手を出したのだ。


「僕は超えたいんだよ! 天才である姉さんを超えることだけが、今の僕の全てなんだっ!! それ以外のことなんて、どうだっていい!! 僕は、僕は――っ!!」


 不敵に笑い、飄々としていた今までの嵐とは打って変わった、本気の叫び。

 その声は、表情は、彼が今までどれだけのプレッシャーを感じていたのかを物語っているようだった。


 優秀な姉と自分とを比較して、その差に絶望し続ける日々。

 その毎日の中で心を削られ、抉られ、必死になってもがき続けた末に辿り着いたのが、人の道を外れたこの選択だった。


 未来など、これから先の道など、自分には必要ない。

 今この瞬間、姉に勝利することだけが全てだと吼える嵐の姿を目の当たりにした涼音は……瞳から、一筋の涙を零す。


「そう、そうなのね……嵐、あなたは……!」


「……同情はやめてくれ、姉さん。僕の気が済むのならと、自ら命を投げ出されたりなんかしたら、僕は気が狂ってしまう!」


「……いいえ、そんなことはしないわ。むしろ、その逆よ。私は絶対に、あなたに斬られるわけにはいかない」


 悲しみと後悔に彩られていた瞳に、悲壮なる決意が宿る。

 じりじりと近付く弟の姿をその瞳に映しながら、涼音ははっきりとした声で彼へと告げた。


「嵐、私はあなたを誇りに思っていた。過去に囚われ、復讐のことしか頭にない私とは違って、あなたは沢山の人たちを守るために強くなろうとしていた……悲しみを乗り越え、誰かのために進み続けるあなたは、私なんかよりもずっと強い人間だったわ。本当に、心の底から、そう思ってる」


 決着の時は、終わりの瞬間は、もうすぐそこにまで迫っている。

 だからこそ、伝えなければならない。自分自身の想いと覚悟を、最愛の弟に向けて残さねばならないのだ。


「愛しているわ、嵐……!! 私の、たった一人の弟。誰よりも強く優しい、自慢の家族。そんなあなたの本当の姿を知っているからこそ、私はあなたに斬られるわけにはいかない! 誰かを殺すために強くなったあなたに私が斬られるということは、誰かを守ろうと決意して努力を重ねていたあなたを否定することになってしまうから! 守るために強くなろうとしていた過去のあなたは、妖刀を手にした今のあなたよりも何倍も強かった! それを証明するためにも、私はあなたに負けるわけにはいかない!!」


「姉、さん……!!」


 姉として、弟の不始末に決着をつけるために彼を斬るのではない。

 姉として、大切に思っている弟が正しかったことを証明するために、嵐自身の過去が間違っていなかったことを示すために、彼を倒す。


 愛する弟の歪みを、苦しみを、その全てを断ち切る覚悟を決めた涼音は、背中を押す暴風を追い風として急速な加速をつけ、嵐へと接近した。


「っっ!? 馬鹿なっ! 自分から間合いに入るだなんて、自殺行為だっ!!」


 確かに、涼音の行動は嵐の虚を突きはした。だが、それが何になるというのだ?

 『禍風』には既に気力を込め、その間合いを伸ばしてある。涼音が如何に素早く自分に斬りかかろうとも、それよりも早くに彼女を斬って捨てることが嵐には可能だ。


 天才である涼音が、自分との間合いの差を理解出来ていないはずがない。

 ならば何故、自殺行為としか思えない無謀な突撃を……? と考える嵐の前で、彼女は更に予想外の動きを見せた。


「はぁぁぁ……っっ!!」


 突撃の勢いをそのままに、跳躍。そして、空中で体を右方向へと捻り、腕を振り抜く。

 追い風を活かした突進に回転の勢いを乗せた横薙ぎの一刀で嵐を迎え撃とうとしているようにしか見えない涼音の動きだが、それでも嵐との間合いの差は埋められず、仮にこのまま突撃しても嵐の下に辿り着ける可能性は万に一つもないだろう。


 姉は、何を狙っている? 何を考えて、こんな馬鹿な真似をしたのか?

 その答えに辿り着くよりも早く、嵐は振り上げた刀に渾身の力を込めて斬り下ろした。


 涼音が何を目論んでいようと、企んでいようとも、斬り捨ててしまえば関係ない。

 この一刀で、全てを終わらせる……そんな覚悟と共に繰り出された一撃は、丁度一回転を終え、彼の右側から走る『薫風』とぶつかり合い、そして――


「なっ……!? ば、馬鹿なっ!?」


 打ち合いの末に、相殺されてしまった。


 どう考えても苦し紛れの行動としか思えない姉の攻撃に、自分の全力の一発が防がれたことに動揺を隠せない嵐。

 硬直し、放心する嵐であったが、涼音の方は既に次の動きを……いや、先ほどと何も変わらない動きを取り続けていた。


 地面に着地し、文字通り地を滑りながら再び回転。

 背中を押す風によって嵐の方向へと引き寄せられながら、彼女は回転斬りを繰り出す構えを取る。


 攻撃を弾かれ、次の行動に出るまでに一瞬の硬直が出来上がってしまった嵐には、涼音を迎撃する準備が出来ていなかった。

 何とか防御のために『禍風』を前に出すことは出来たが、再び横薙ぎの一閃を繰り出した涼音は、先の一撃よりも破壊力と鋭さの増した回転斬りによって完全に嵐の防御を吹き飛ばしてしまう。


「あ……!!」


 そのまま、三度目の回転。

 三度自分に背を向けて回る姉の姿を目の当たりにした嵐は、ようやく彼女が何をしているのかを理解することが出来た。


 涼音から見て、右側の空間。そこには彼女の真横を吹き抜け、背後へと回り込む風の流れが出来上がっている。

 彼女は『薫風』をその風の流れに乗せることで、回転の勢いを強めていたのだ。


 そのまま、左側の空間へと『薫風』を走らせた涼音は、そこに吹く風を刃で斬り裂き、気力を込めて流れに逆らう奔流を作り出してみせた。

 涼音の周囲には『薫風』の回転によって作り出した環が形成されており、そこには右回転に渦巻く小規模な竜巻が形成されていたのだ。


 彼女はその風の流れに合わせて『薫風』を振るい、回転の毎に攻撃の威力を倍増させていった。

 風の通り道に乗って背を押される武神刀の回転斬りは、一撃毎に重く、鋭く、強さを増していく。

 自分を絡め捕る暴風さえも利用して、逆に自分の力へと変えてみせた姉の技術を目の当たりにした嵐は、見事なまでに秘奥義を打ち破られたことを動揺するでもなく、悔しがるわけでもなく……ただ、静かに笑みを浮かべて言う。


「やっぱり凄いな、涼音姉さんは……!! 強くて、優しくて、格好いい、僕の自慢の、姉さんだ」


 敗北を受け入れた嵐が笑う。

 勝利を目の前にした涼音が涙する。


 勝者と敗者、それぞれが真逆とも思える反応を見せる中、二人の間には一瞬だけ静寂が満ちた。

 その永遠とも思える刹那の中で、姉弟は互いにこれまで共に生きてきた中で起こった数々の思い出を胸に浮かべ、心に刻む。


 誰よりも愛していた。最愛の、大切な、家族だった。

 互いの想いが重なり合った最後の瞬間、大きく広がった自身の腕と胴を斬り抜かれた嵐は、傷口から大量の血を噴き出しながら背後へと倒れる。


「あ、はは……! 敗けた、なぁ……。完敗だよ、姉さん……今まで見た中で、一番凄い技だった」


「嵐……!!」


 両腕の手首から肩を深く抉る一刀を受け、その手から『禍風』を取り落とした嵐は、自分がもう刀を振るうことの出来ない状態であることを悟っていた。

 おそらくは内臓までもが傷ついた状態で、それでも首を捻って姉の方へと視線を向けた嵐は、不規則になる呼吸を整えながら涼音へと尋ねる。


「あの技、確か先生から教わった技だったよね……? まさか、基本の技で僕の秘奥義が破られるなんて、な……。やっぱり、僕の努力が天才の姉さんに適うはずもなかったか……」


「……いいえ、嵐。あなたの技は、私の才能を遥かに上回っていた。私があなたの秘奥義を打ち破れたのは、私もこの技に関しては尋常ではない努力を重ねていたからよ」


「え……?」


 妙なことを口走る涼音に対して、その言葉の真意を尋ねるようにして嵐が首を傾げる。

 徐々に命の鼓動を弱らせていく弟の姿に涙を零す彼女は、震える声でその疑問に答えた。


「この技だけは、完璧に身につけたかった。他のどの技よりも、どんな奥義よりも、最高の状態で繰り出せるようにしておきたかった。だから、何度も練習したの。自分で納得出来るまで、何度だって修練を続けた。だから……!!」


「どう、して……? こんなの、基本の技だったじゃ、ないか……もっと強くて、派手で、切り札になるような技なんて、幾らでも……」


 初歩の初歩とまでは言えないが、決して奥義のような切り札になる技ではない今の剣技を習熟しようと努力を重ねていた涼音の行動に疑問を隠せない嵐。

 涼音は、そんな弟に対して小さく首を振ると、彼が失念しているある事実を告げる。


「あの技の名前は【円環閃・嵐】……誰よりも大切で、誇りに思うあなたと同じ名前の技だからこそ、完璧に仕上げたかったの。それが、まさか、他でもないあなたにトドメを刺す技になるだなんて……っ!!」


「……ああ、そうだったんだ……! そっか、そうだったんだ、ね……!! ふ、ふふふ……姉さんはやっぱり、優しい、人……っっ!?」


 最愛の弟と同じ名前の技だったからこそ、きちんと習熟したかった。

 不器用で、遠回しで、されど深い愛情を感じるその答えに満足気な笑みを浮かべていた嵐の表情が、驚きに歪む。


 その変化に気が付き、硬直する涼音の体を嵐は突き飛ばした。

 死に体の彼の何処にそんな力が残っていたのかと、押し飛ばされて尻餅をついた涼音が驚きながら顔を上げると、そこには――


「あらあら、あなたの代わりにお姉さんを仕留めてあげようと思ったんですけど……やっぱり情が湧いちゃたんですか、嵐さん?」


「ぐ、はっ……!?」


「あ、らし……? 嵐ーーっ!!」


 ――突如として姿を現した仮面の女と、彼女に腹部を貫かれている嵐の姿があった。


 

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