姉弟


 打ち寄せる波が岩場を削る崖の上、そこに涼音と嵐はいた。


 崖下に見える荒波を眺めながら散策でもするのなら、ここはそれなりに会話の弾むロケーションになるのだろう。

 だが、今の二人が行っていることは本気の立ち合い……真剣を用いた、殺し合いだ。


 もう何度、刀を打ち合わせたことだろう。

 暴風の如く、激しい攻撃を繰り出す嵐と、その攻勢を受け流す凪と化している涼音。


 攻めと守り、両者の動きがはっきりと見て取れる戦いの中、二人の武神刀が激しくぶつかり、お互いが後方へと飛び退く。

 どちらもが息一つ乱さず、壮絶な戦いを繰り広げている状況でも疲れを見せていない姉弟は、ここで呼吸を整えながら声を発した。


「攻めて来ないんだね、姉さん。昨日とは大違いじゃないか。この程度で攻めあぐねるような姉さんじゃあないだろう?」


「……確かめたいだけよ。私を倒すために妖刀にまで手を出したあなたの本気の実力が、どれほどのものなのかを……」


「ふ、ふ……! そうか、姉さんにはまだそんな余裕があるんだね。やっぱり姉さんは凄いや……!! 僕ももっと力を引き出さないと……!!」


 姉からの言葉に屈託のない笑顔を見せ、心から涼音を尊敬しているような言葉を口にする嵐。

 涼音は、弟の言動が自分の知るそれとほとんど変わっていないことに胸を痛めながら、小さな声で呟いた。


「嵐……私には、あなたがわからないわ。妖刀に手を出し、何の罪もない人たちの命を奪った外道に堕ちたのかと思えば、そんな風にかつてのあなたと変わらない姿を見せたりもする。あなたは私が憎くてそんなことをしてるんじゃないの? 私を殺すために、妖刀を手にしたのではなかったの?」


 自分を殺すために外道に堕ちたはずの弟が、昔と変わらずに自分のことを慕い、尊敬し続けてくれている。

 その言動に狂気が滲み出ているという差こそあるものの、それさえ除けば昔の嵐と何ら変わらない振る舞いを見せる彼への想いを吐露した涼音は、今の自分が想像以上に動揺していることを悟った。


 そして、そんな涼音を見つめる嵐はというと、一瞬だけぽかんとした表情を浮かべたかと思えば、苦笑を漏らしながら自身の本音を口にし始めた。


「何を言うかと思えば……昨夜も言っただろう? 僕は、姉さんのことを恨んでなんかいないさ。僕はただ、純粋に姉さんを超えたいだけなんだよ。剣士として、真剣勝負で姉さんに勝ちたい……自分が死ぬか、姉さんを殺すことになってでも、僕は姉さんを超えたい。ただそれだけなんだ」


「……わからないわ、嵐。数多の命を奪ってまで強さを求めようとしているあなたの気持ちは、私には理解出来ないのかもしれない。でも、あなたがそこまで強さに執着する原因を作ってしまったのは私だというのなら、それは――」


「ふ、ふふ……!! そんなんじゃないさ。何も、姉さんが責任を感じる必要なんてないんだ。僕は、ただ……」


 饒舌に語り続けていた嵐は、そこで言葉を区切ると深く息を吐いた。

 そして、顔に浮かべていた無垢な笑みを消し去ると、真剣な眼差しを姉に向けながら言う。


「……いや、無駄なお喋りはここまでにしよう。泣いても笑っても、これが最後なんだ。僕たち姉弟の語らいは、この刀で行うとしようよ」


「………」


 弟の言葉に、涼音は何も答えることが出来ない。

 これが最後……自分たちがこうして言葉を交わすことも、顔を合わせることも、金輪際この先にはあり得ない。

 この戦いでどちらかが命を落とし、永遠の別れとなる……覚悟していたこととはいえ、唯一の家族である嵐を失うことを思うと胸が締め付けられるような苦しみに襲われると共に、本当にこのままでいいのかという考えが思い浮かぶことも確かだった。


 少し前の、燈との会話が頭の中に浮かんでくる。

 言いたいことを言って、伝えたいことを伝えて……そうしてしまえばいいという彼の言葉が、何度も頭の中で響いた。


 これが、本当に最後の機会。ここを逃したら、二度と嵐と自分は想いを通じ合わせることが出来なくなる。

 今まで何も伝えなかったことを後悔しているのなら、最後くらいはその過ちを正すための行動を取るべきだ……そんな、燈の言葉を思い返しながら、涼音は強く『薫風』を握り締めた。


(でも、どうすればいい? この状況下で私の想いを伝えるだなんて、そんな方法が何処にあるというの?)


 今更、刀を収めて話し合いをしようだなんて馬鹿げた提案に嵐が乗るはずがない。

 彼の望みは姉を超えること。つまりは涼音との本気の果し合いだ。

 それを達成するために狂気の道へと進んだ彼が、涼音との戦いを避けるはずがないではないか。


 結局、自分にはこのまま嵐を殺す以外の道はないのだ。

 彼に何も伝えず、その悪感情を背負ったまま、非情な姉として弟を屠る。

 こうなった時点で自分たちの運命は決まっていたのだと、そう諦めの感情を抱き始めた涼音は、今朝の燈の姿を思い出してはっと顔を上げた。


 燈は、自分のしたいと思ったことを成すためになら、どれだけ傷つくことも厭わないと言っていた。

 たとえかつての仲間たちから裏切られ、敵とみなされ、彼らと刃を交えることになっても、その苦しみや復讐の感情を乗り越えて誰かを守るために戦うと、そう決意を表明してみせた。


 そう語るかれの瞳には迷いは一切なく、どれだけの困難が自分を待ち受けていたとしても先に進んでみせるという決意の炎が燃え盛っていたことを涼音も覚えている。


 諦めないこと……それが、決意を貫き通すための第一条件。

 何かを成すと決めたのなら、その覚悟を決して折ってはならない。

 やる前から、誰より先に自分が諦めてどうする? 自分の想いは、その程度のものなのか?


 ……否。断じて、否だ。

 一人だったら、きっと答えの出ない堂々巡りを繰り返し、迷いを抱えたまま嵐を斬るしかないと思い込んでいただろう。


 だが、今の自分には仲間がいる。

 諦めないことや、何かを伝えようとするために困難に立ち向かうことの大切さを燈と涼音から教わり、嵐との決着を果たすために自分をここに進ませてくれた仲間たちの想いを背負っていることが、涼音の心を強くしていた。


 そうだ、燈は言っていた。どれほど困難な道であろうとも、自分は強いから大丈夫だと。きっとその道を進み続けられると、そう言っていた。

 ならば……涼音も、自分の意思を貫き通せるはずだ。

 彼女は強い。そして、誰もが……弟が真に認めるなのだから。


「ふぅぅぅぅぅ……」


 深く、呼吸を吐く。心の中の迷いと、頭の中のもやを全て吐き出すようにして、精神を落ち着かせながら呼吸を行った彼女は、ゆっくりと瞳を開いて嵐を見た。


 これが、最後。ならば、格好をつけることなどはしない。

 弟を殺すことになっても、弟に殺されることになっても、どちらの運命でも後悔せずに受け止められるような道を進むべきだと、彼女は思った。


(……すべきことは、決まった。もう迷わない、私は――!!)


 嵐を殺す為じゃない。嵐に自分の想いを伝えるために、この刀を振るう。

 避けられぬ別れと悲劇がこの先に待っていると判っていても……いや、判っているからこそ、自分はすべきことを成すのだ。


「……行くわ、嵐。あなたのために、私のために……刃を交えましょう」


「……いいね。目が変わった。やっぱり姉さんは最高の剣士だよ……!!」

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