ただ、止めるために


「……なあ、もう止めねえか? 復讐のために人を殺すなんてことに何の意味がある?」


「なにぃ……!?」


 こころも、王毅も、花織も……その姿が見えなくなるまで森の中を歩いた燈は、無駄だと理解していながらも鼓太郎へとそう問いかけずにはいられなかった。


「んなことしても、誰も喜ばねえよ。死んでいった奴が、今のお前の姿を見たらどう思う? 憎しみや恨みを忘れろとは言わねえさ。だが、今ならまだ――」


「黙れっ! お前に、お前に何がわかる!? 家族や友人、親しかった者たち全員があいつに斬り殺された! 何もかもを奪われたこの苦しみと怒りは、あいつを殺さなくては消えないんだ!! 何も知らない部外者が、復讐など無意味だと語るんじゃない!!」


 説得の言葉も、当然鼓太郎の心には届かない。

 憤怒と激情に支配される感情のまま、彼は燈に対して吐き捨てるようにして彼の言葉を否定する。


「死んでいった者たちは、俺に何も語ってはくれない……! たとえ今の俺の姿に心を痛めようとも、俺がそれを知る術などない! ならばもう、あいつらがどう思おうが俺は自分の道を進むだけだ! 辻斬りへの復讐……それを果たすためだけに、俺は……!!」


「……ああ、そうだよな。その、通りだ。わかってた、わかってたよ。お前が、そう答えることなんて、な……」


 生きている者に、死んだ者の意思を語ったところで意味などない。

 その心を激情に委ねている者に対してなら、猶更の話だ。


 それでも……燈は、鼓太郎に対してその怒りを踏み留められないかと聞かざるを得なかった。


 まだ、今なら間に合うのではないかと、今ならまだ、妖刀の支配から彼を救うことが出来るのではないかと、そう思う気持ちが止められない。

 鼓太郎はまだ人を殺していないはずだ。嵐のように、償わなければならない罪があるわけでもない。


 妖刀を手にしてしまったことだけが彼の罪であるのならば、その手から自分たちが妖刀を奪い取ってやればいい。

 そうすれば、まだ……彼は、真っ当な人生に戻れる。人を殺していない彼は、まだ普通の人生を歩むことが出来るはずだ。


 だから、助けたいと思った。傲慢で彼自身の想いを無視した考えだとしても、鼓太郎のことを救いたいと思った。

 だが、そんなものを鼓太郎は望んでいない。彼が望んでいるもののは、ただ一つ……嵐への復讐を果たし、その命を自らの手で奪うことだけだ。


「邪魔はさせない! 俺は、あいつを殺す……! 復讐を果たすんだ! 俺が! この手で……!!」


 憎しみに包まれた声が、心の中から搾り出した唯一の感情を表すかのようなその声が、今の鼓太郎の全てなのだろう。

 嵐への復讐……それが、今の彼の心を支えているただ一つだけの想い。それを否定する権利など、何処の誰も有してはいない。


 だが――


「……その先に、何が待ってる?」


「なに……?」


「復讐を果たしたその先に、お前を待つものはなんだ? 答えることが出来るか?」


 燈のその問いかけに、鼓太郎の声が詰まった。

 復讐の、その先……今の彼の全てであるそれを終えた後に自分がどうなっているのか? その姿がまるで想像出来なかった鼓太郎は込み上げる感情にこぶしを握り締め、吼える。


「知るか! そんなものっ!! 今の俺にとってはみんなの仇を取ることが全てなんだ!! その先なんて、どうだっていいんだよっ!!」


「……ああ、そうだろうよ。だからこそ、お前をこのままにしちゃおけねえ。だからこそ、お前に人を斬らせるわけにはいかねえんだ」


 自分を射抜くような鋭い燈の眼差しに、鼓太郎は威圧される。

 だが、その瞳に自分に対する憐憫のような感情が浮かび上がっていることに疑問を抱いた彼に向け、燈は苦しみを押し殺した声で語った。


「お前に、人を殺させるわけにはいかねえ。その一線を越えたお前が、復讐を遂げて空っぽになっちまったら……その時こそ、お前は妖刀の魔力に心を乗っ取られる。人を殺すことを躊躇しない、人を斬ることに楽しみを見出す悪魔に、お前は変わっちまう」


 今、鼓太郎の心を支えているものは、嵐への復讐心のみ。

 その目的を果たしてしまった時、彼の心は生きる意味を見失って完全なる虚無に支配されることとなるだろう。


 その隙を、『泥蛙』が見逃すはずがない。

 鼓太郎の心を取り込み、人を斬った時の感覚を愉悦として刷り込んで、もう一度、もう一度……と、彼に命を奪うことを強制するはずだ。


 そうなってしまえば、鼓太郎に抗う術はない。

 それから先の一生を『泥蛙』の支配下で過ごし、彼のために人を殺すだけの存在へと成り下がる。

 そんな、妖刀の道具としての生を送ろうとしている人間を、放置することなんて出来はしない。


「苦しいだろうさ。悲しいだろうさ。大切なモンを全部ぶっ壊されて、それで腹が立たねえ人間なんかこの世にいやしねえよ……でもな、お前がその道を進み続けたら、最後に待ってるのはそんな感情すら消え去ったただの道具としての人生だ。んなもん、機械と同じじゃねえかよ。今、お前が抱えてる哀しみも怒りも、大切なものに対する愛すらも消え去った人生に何の意味があるってんだ!?」


「それでも……それでも! 俺には復讐が全てなんだよ!! それさえ果たせればこの先がどうなったって構わない! 俺は、俺は――ッ!!」


 葛藤を、逡巡を、迷いの全てを振り払ったような鼓太郎の声。

 未来など、この先の人生など、必要ないと言い切った彼の言葉に、燈が大きく首を振る。


 その答えは間違っていると、人の命はそんなに単純なものではないと、彼の瞳は語っていた。


「お前に人を斬らせはしねえ。それをやっちまったら、お前はもう戻れなくなる……! お前が人を殺したら、次はお前が嵐になる番だ! 妖刀の意志のままに何の罪もない人間の命を奪って、復讐の対象として狙われるようになる! 終わらない復讐と憎しみの連鎖が待つだけの人生を、お前に送らせるわけにはいかねえんだよ!!」


「うるせえぇぇぇぇっっ!! 俺の邪魔をするっていうのなら、お前も殺すだけだぁあああぁっっ!!」


 言葉が、想いが、届かないことなど判っている。

 爆発する狂気が、殺意が、鼓太郎が狂人の域へと足を踏み入れ始めた何よりの証拠だ。

 それでも……狂ったように叫び、吼えるこの男が、何よりも物悲しく泣き叫んでいるように見えてしまうのは、燈の気のせいではないだろう。


「……もう、自分じゃ止められないんだろ? 悲しくて、苦しくて、やりきれなくなっちまってんだろ? ……なら、もう我慢する必要はねえさ。その感情を全部まとめて、俺にぶつけてみせりゃいい」


 武神刀を握る両手に、力を。

 刃を鋭く光らせる愛刀に気力を込め、刀身を赤熱させた燈は、この場を包む底なし沼のような瘴気をその熱を以て切り払うかのように『紅龍』を構える。


 判っている、鼓太郎がどうしようもなく苦しんでいることは。

 憎しみと哀しみが殺意へと変換され、それを抑えることが出来なくなっている彼の姿は、これまで聞かされていた妖刀使いの姿とはかけ離れた悲しみに満ちたものだった。


 ゆっくりと息を吐き、闘志を漲らせながら……燈は、宗正の言葉を思い返す。

 苦しむ人々を救えと、師は言っていた。お前の力はそのためにあると、師は言ってくれた。


 ならば、そう……目の前にいるこの男も、救うべき人間のはずだ。

 彼の心の全てを受け止めて、それでも彼に殺されない。そして、彼を殺さない。

 それがどんなに困難な道だとしても、その道を歩むことが出来る強さが自分にはある。


 ならばもう……迷うな。

 覚悟なら既に決めたはずだ。


 守れ、そして灯せ。心の中にある、希望の光を。


「かかって来い……! お前の怒りも悲しみも、全部俺が受け止めてやる! その上で、お前を止めてやるよ!! 憎しみの連鎖は、ここで断ち切らせてもらうぜ!!」


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