一瞬の攻防


「ややや、やよいさんっ!? 急に何を言い出すの!? っていうか、人前でこんなことをするのはよくな……むぐっ!?」


「蒼、貴様ぁっ!! いったいいつの間にやよいに手を出した!? いつからそんな関係になっていたんだ!?」


「お、落ち着いて……これ全部やよいさんのう――むぐぅ!?」


 突然に蒼を恋人だと言い出し、その言葉を訂正しようとする彼の口を両手で塞ぐやよい。

 仲間であるはずの栞桜までもがその嘘を信じ込む中、呆然としたタクトが震える声で彼女へと質問を投げかけた。


「恋人? そいつが……? う、嘘だ。そんなの嘘だ……!!」


「本当だって~! 付き合ってから日は浅いけど、あたしたちってば熱々だもんね~! 蒼くんにはあたしの大事な秘密も教えてあげたし~、一緒にお風呂に入ったこともあるし~、指と指を絡ませて手を繋ぎながら、一緒に夢の世界に行ったこともあるもんね~!?」


「い、言い方! 確かにそういうことはあったけど、言い方っ!! っていうか僕たち恋人じゃ、むぐぅっ!?」


「も~! 照れなくてもいいじゃん! 蒼くんってば本当に恥ずかしがり屋さんなんだから~!」


 周囲に見せつけるようにして蒼に抱き着き、べったりと体を押し当てるやよい。

 傍から見れば二人の姿は積極的な彼女と、恋人からのアプローチに照れる彼氏という風にしか見えない。


 所々、蒼が何かを訂正しようとしている部分だけに違和感があるが、そこを上手く誤魔化すやよいの手腕によって、すっかりタクトたちは彼女に騙されてしまっていた。


「嘘だ……嘘だ嘘だ嘘だっ! あの娘はメインヒロインで、僕のものになるはず、なのに……!?」


「諦めなさい、タクト。それと、気持ちの悪い妄想も大概にするのね。あなたのやってること、普通にドン引かれる行動だってことも理解しときなさいよ」


「……なんでだよ? なんで、あんな奴が僕のヒロインを奪う? 僕の方が強くて、偉くて、それで――!!」


 視線の先にある、顔を真っ赤にしてやよいと戯れている蒼の姿に耐え難い屈辱と怒りを覚えるタクト。

 こんなことはおかしい。異世界から召喚された英雄である自分が、神に愛されている自分が、欲しいと望んだ少女に既に恋人がいるだなんてこと、あってはならない。


 自分は主人公だ。放っておいても、望むものは向こうからやって来る。

 涼音や栞桜と出会えたのも、こうしてここでやよいという自分にぴったりのメインヒロインに出会えたことも、それを証明してくれているではないか。


 それなのに、どうして……この世界に来て、最も欲しいと望んだものが手に入らない?

 何故、あんな人が好さそうなことだけが取り柄の何処にでもいるような男が、英雄である自分のヒロインを手中に収めている?


 あの娘は、やよいは、自分の傍にいるべきだ。

 神に選ばれた英雄である自分がこんなにも彼女のことを求めているのだから、そうなるのが自然なことなのだ。


 つまり、蒼とかいうあの男は、自分とやよいの恋路を邪魔する障害。

 障害は、排除しなくてはならない。邪魔者は、消さなければならない。


「……タクト?」


 タクトの体から不穏な気配が発せられていることに気が付いた冬美が、怪訝な顔で彼の名を呼ぶ。

 しかし、タクトの耳には彼女の声は届いておらず、ぶつぶつと何事かを繰り返し呟いているだけだ。


「そうだ、僕は強いんだ。主人公なんだ。あんなやつよりも強い。あんな奴よりも凄い。あの娘に相応しいのは、あいつじゃなくって僕なんだ……!!」


 こんな展開は間違っている。やよいがくっつくのは自分であって、あんな弱そうな男ではない。

 何かの手違いで神がやよいの相手を取り違えたというのならば……自分の手で、その間違いを修正しなければ。


「タク――ッ!?」


 殺気が、爆発した。

 蒼への憎しみを、身勝手な怒りを、隠すこともなく炸裂させたタクトの異変に気が付いた冬美が彼を制止しようとしたその時には、タクトは神速の踏み込みを見せ、蒼へと接近していた。


 雷の気力。その最大の特徴は、全身を伝わる電気信号を増幅させ、自らの動きを限界まで素早く出来るということ。

 ただ武神刀に雷を纏うだけではない。気力によって強化された肉体を活かし、常人では反応どころか視界に収めることすら困難な速度で動くことを可能にするこの特徴こそが、雷の気力を持つ剣士の特別さを引き立てる要因であり、強さの秘訣である。


 歩幅にして、およそ大股で五歩。

 決して遠くはないが、十分に刀の間合いからは外れていたはずの蒼の下へと、瞬き一つの間に踏み込むタクト。

 腰に差した武神刀を引き抜く勢いを活かした速度と威力を兼ね備える一撃……居合斬りを繰り出した彼は、その一刀にて蒼の首を掻き切るつもりであった。


「死ね、噛ませ犬。やよいは僕のものだ」


 憎き宿敵……いや、自分の女を奪ったモブキャラへの怒りをありありと感じさせる呟きを漏らしながら、タクトが刀を振るう。

 漫画やアニメで見て格好いいと思ったからという理由で練習していた居合斬りはそれなりの習熟度を誇っており、雷の気力による身体能力強化も相まって、その振りの速度は光速にも匹敵するスピードだ。


 ギラリと刃が光る。自分の振り抜いた武神刀が蒼の首へと向かっていく光景がスローモーション映像として見える。

 このまま幸せな異世界生活を邪魔するこの男を成敗すれば、やよいも自分の強さに気が付いてくれるだろう。

 そうすれば、巫女たちと同じように彼女も自分のことを好きになってくれるはずだ、と……あまりにも都合が良すぎる妄想を繰り広げていたタクトは、既に自分の勝利を確信していたのだが――


「……え?」


 ――その表情が、一瞬にして曇った。

 これから斬り落とされるはずの蒼の首から上、やよいからのアプローチを受け、先ほどまで真っ赤になっていた慌てていた彼の表情が、真剣そのものになっていたから。


 誰にも見切れるはずがない自分の居合斬りの軌道を見切っているかのように、彼の両目は自らの首筋に迫るタクトの武神刀をはっきりと見つめている。

 タクトの踏み込みと、そこから続く居合斬りにも勝る速度で戦闘体勢へと意識を切り替えた蒼は、即座に腰の『時雨』を抜くと、自分の命を奪おうとしていたタクトの一撃を難なく防いでみせた。


「なっ……!?」


「……これは、流石にやりすぎではないでしょうか? 幕府からその実力を見込まれ、英雄として期待されるあなたが、こんな町のど真ん中で堂々と武神刀を抜くのはいかがなものかと思いますけどね」


 あり得ない、こんなのあっていいはずがない。

 自分の本気の一撃を、この男は防いでみせた。そして、威圧感を感じさせる眼でこちらを見つめ、その行動を咎めている。


 今まで戦ったどんな妖も、この世界の剣士も、同じ異世界出身の仲間たちだって、本気になった自分の居合斬りを防ぐことなんて出来なかったではないか。

 それが、どうして、こんな欠片も覇気を感じない男に防がれた? どうして奴は自分に斬り捨てられていない?


(ま、まぐれだ……! こんなの、ただの偶然だ!)


 居合を防がれたことに動揺するタクトは、この一発は偶々不発になったものだと自分に言い聞かせ、精神の均衡を図ろうとする。

 それでも、頭の中では完全に自分の斬撃を見切っていた先の蒼の姿がフラッシュバックしていて、彼が実力を以て自分の攻撃を防御したということを理解させられてしまっていた。


「もう止めなさい、タクト! 余計な騒ぎを引き起こしてどうするの!?」


「う、うぅ……っ!!」


 そこに続き、苦手な冬美からの叱責が浴びせかけられる。

 完全に意気消沈したタクトは、元来の気弱な性格を覗かせる表情を浮かべながら、言われるがままに武神刀を鞘へと納めた。


「……ごめんなさい。仲間がとんだ無礼を働いたわね」


「気にしてませんよ。そもそも、こちらが悪趣味な冗談を口にしたのが悪い」


「ふにゃっ!? あははっ、怒られた~!」


 タクトに代わって謝罪した冬美の前で、事の元凶となったやよいの頭に優しくげんこつを落とす蒼。

 まったく痛みは感じないその一発を受けたやよいは何処までも楽しそうで、蒼は無邪気に人をトラブルに巻き込んだ彼女の反応に深い溜息をついた。


「悪目立ちしてしまったようですね。これ以上、ここに留まっているのはまずい。僕たちはもう行かせていただきます」


「そうね……本当に、ごめんなさい。あなたの相棒にもよろしく伝えておいて。それと、恋人さんと仲良くね」


「だから、僕たちはそんな関係じゃあ……はあ、もういいか」


 先の武神刀同士のぶつかり合いを察知した群衆が、ざわざわと騒ぎ始めていることを察知した蒼は、頃合いを見計らってこの場から離脱することを決めた。

 冬美もまた、その意見に賛成すると共にタクトの首根っこを掴み、別れの言葉を残してそそくさとこの場を後にしてしまう。


 結局、最後までやよいとの関係性を誤解されたままだったなとうんざりとした表情を浮かべていた蒼が、兎にも角にもこの場を離れるようと仲間たちに声をかけようとすると――


「おい! きちんと説明しろ! お前はいったい、いつの間にやよいとその、こここ、恋仲になったんだ!? 燈やこころはこのことを知っているのか!? もしかして知らなかったのは私だけなのか!?」


「……もう、嫌だ……」


 ――未だにやよいの嘘を信じ切っている栞桜によって、がんがんと肩を揺さぶられる羽目になるのであった。


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