終幕の雨


 

 血が舞って、肉が飛び散って、悲鳴が響く。

 変わり果てた娘の姿を茫然と見ていた父親の体が引き裂かれ、それを見て恐怖の叫びを上げた母親の顔が貫かれ、全てを見捨てて逃げ出そうとした夫は背後から叩き潰された。


 残った妹は必死に命乞いをしたが、絶望と怒りに心を囚われた姉にそんな言葉が届くはずがない。

 腹を割かれ、四肢をもぎ取られ、失血死を迎えるその瞬間まで嬲られ続け……そうして、この一家は全滅した。


 あとは、この惨劇が村の至る所で行われただけだ。

 一晩のうちに、何処にでもある平凡で平和な村は壊滅状態に陥った。

 たった一体の、憎悪の果てに生み出された化物の手によって。


 翌日の朝、陽が空へと昇り始めた頃、女は完全なる妖……絡新婦の姿へと、変貌していた。

 思い出の地を見知った人々の血で汚し、その命を喰らって成長し、人ならざるものへと堕ちた彼女は、新たなる家族を産み落とすための住処を探し出す。


 人里から離れた、薄暗い洞窟。

 そこで子蜘蛛を産み、数を増やし、十数年の空虚と家族に裏切られた悲しみを紛らわせるように人を襲い続けた彼女の心からは、いつしか希望の二文字は消え去っていた。


 ただ喰らう。ただ奪う。幸せなど、愛情という、生温くぼやけた感情に浮かれた人々を、絶望の底へと叩き落す。


 それは、自ら味わった不幸を撒き散らし、他者の幸福を摘み取る者。

 誰よりも愛を求め、信じたが故に、それを裏切られた絶望によって反転した、哀しく恐ろしい外道。


 彼女はずっと待ち続ける、自らの住処に足を踏み入れる愚か者を。

 その肉を、命を、幸福を、自らの糧とするために。


 自分と同じ不幸を、顔も名も知らぬ誰かに味わわせ続けるために……。











「……救われないね。あんまり過ぎる結末だ」


 絡新婦の記憶を見終えた蒼は、苦々し気な表情を浮かべてそう呟いた。

 彼女の悲劇的な結末を知り、憐憫の感情を抱く彼に対して、やよいが言う。


「そうだね。でも、世界にはこんな不幸が満ち溢れてる。あたしたちが受けた実験も然り、友達だと思ってた人に殺されかけた燈くんも然り。世の中にはそこら中に悪意が溢れてて、誰だってその悪意に晒される可能性はあるってことだ」


「そんなの! ……そんなの、人が妖に堕ちることを防ぐ手立ては無いって言ってるようなものじゃないか」


「うん、そうだよ。こうして彼女の記憶を覗いてみて、改めてわかった。あたしたちが出来るのは、生み出された妖を斬ることだけだってことがね。お医者さんは病気を治せるけど、全ての人が病になることを防ぐことなんで出来ないでしょう? それとおんなじだよ」


 あっけらかんと言い切ったやよいに対して、蒼からの非難めいた視線が飛ぶ。

 珍しく他者に対して敵意のようなものを向ける彼の姿にゾクリとした愉悦を感じたやよいは、その感情すらも楽しみとして受け止めている自分に軽く驚いていた。


「言いたい事はわかるよ。一人の人間の魂を汚してまで得られた答えがそんなものじゃ、彼女に悪いだけじゃないか……って、ところでしょ? でも、しょうがないじゃん。それがこの世の常なんだからさ」


「………」


 やよいからの言葉に、蒼は何も答えない。

 それは自分の中に渦巻く感情が上手く言葉に出来ないのと、彼女の言っていることは決して間違いではないことを理解しているからだ。


 自分たちは神ではない。全ての人の心を救い、闇から助け出すことなんて出来はしないなんてのは判り切っている。

 だが、それでも……一人でも多くの人間を救いたいと思う蒼の感情もまた、間違いではないのだろう。


「……穢れの祓い、するよ。妖の魂も含めて、ね」


「……ん。蒼くんがやりたいなら、好きにすればいいんじゃない?」


 儀式を行い、妖の記憶に触れた自分自身と、その媒介となった肉片。

 やよいはその二つを祓い、清めるという蒼の言葉に投げやりな返事を行う。


 そんなことをしても、大した意味はないのだ。

 自分自身はまだしも、この肉片には妖の魂がほとんど込められていない。あるのはこびり付いた残滓のようなもので、これを祓ったからといって大本の魂に影響が及ぼされるわけではないのだから。


 それに、そもそも絡新婦の魂は外道へと堕ちている。

 死した彼女の魂は、もうとっくに地獄道に堕ちているはずなのだから、今更何をしたって何の意味もなさないということは蒼だって判っているのだろう。


 だからこれは彼の独り善がり。自分が見過ごせないからするだけの、ただの自己満足のための行動。

 甘くて、情けなくて、馬鹿みたいな行いをしようとする彼を見つめ、ふわりと微笑んで……やよいは、小さく呟く。


「本当に甘い人だなぁ……ここまでくると、いっそ清々しいよね」


 燈が周囲の人間を明るく照らす炎だとしたら、蒼は雨だ。

 人の心から全ての悲しみと苦しみを洗い流して、自らが抱えたまま天に上がる雨。


 そんな生き方は自分が苦しいだけなのに、それを貫けるだけの強さを蒼は持っている。

 それが羨ましくて、ちょっとだけ痛々しくて、どうにも気になってしまうのだ。


 報われるといいな、とやよいは思った。

 雨上がりの空に虹が掛かるように、この甘くて優しくて他人の痛みを自分のものとして感じられる青年の願いが叶う日が来ますように、と珍しく甘っちょろいことを思いながら、彼女はゆっくりと瞳を閉じて祓いの儀式に意識を向ける。


 蒼の気力を受け入れ、心が包まれる感触と共に、自身が抱える重しがほんの少しだけ軽くなったこと感じて、やよいは小さく微笑むのであった。


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