積み上げた力の差


 右から、左から、猛然と攻めかかってくる『おろち』の切っ先を真っ向から受け止め、弾き返す燈。

 武神刀同士のぶつかり合いに火花が散り、金属音が幾度となく響き続ける中、戦っている両者の反応は大きく違っていた。


「そらそらぁ! いつまでそうして防いでいられるかな!? お前の体力と気力が尽きた時が、『おろち』の牙がお前を食い破る時だ!」


「………」


 威勢よく吠え、挑発を続けながら猛攻を食い広げる斑。

 その攻撃を凌ぎ、無言で耐え続ける燈。


 この戦いにおいてどちらが優勢で、余裕があるのか? その答えは、二人の姿を見れば明らかだった。


「くそっ! 一方的にやられ続けて……! 大口叩いたんだ、少しはどうにかしようとする気概を見せろ!」


「そ、そうだ! 燈くんも蒼さんみたいに相手と距離を取って、あの刀の射程範囲から外れれば……!!」


「いや、彼にそれは通用しないよ。僕の取った手段は、戦術において未熟な者にしか通らない戦法。毒島斑は弟と違って、『おろち』を活かした戦い方の一歩先を進んでる。相手に距離を取られた時の対処法も練ってあるはずさ」


「そんな……! じゃあ、燈くんはずっとああしているしかないんですか!?」


 斑は弟である蝮よりも強く、自分の取った戦法は通じない。そう淡々と告げる蒼に対して、絶望的な表情を浮かべたこころが問いかける。

 ちらりと横目で彼女を見た蒼は、眉一つ動かさぬまま首を縦に振り、肯定の意を示した。


「……まあ、二連敗は避けられたんだし、いいんじゃない? 燈くんも頑張ったけど、やっぱり初見で『おろち』を攻略するのは難しいもんね」


「ちっ! これだから嫌なんだ。潰すだとかなんだとかほざいておきながらあんな無様な姿を晒すなんて、同じ側に立つ私たちがどれだけ馬鹿にされるか……」


「燈くん……」


 やよい、栞桜、こころは、既に燈の敗北を悟って諦めたようにそれぞれの反応を見せている。

 何一つ抵抗出来ず、一方的に嬲られる彼の姿を見れば、確かにそう思ってしまうのも当然のことだろう。


 この場において、殆どの者が立ち合いの勝者は斑であると確信し、歓喜か、あるいは意気消沈した表情を浮かべていた。

 だが、しかし……たった二人だけ、この戦いの展望を真に理解している人間が存在していたのである。


「大丈夫だよ、椿さん。燈は負けない、絶対に勝つから」


「えっ……?」


 そのうちの一人である蒼が、またしても一切表情を変えることなく、燈のことを心配し続けるこころを安心させるようにして呟く。

 彼の言葉に驚き、見つめ返したこころは、さも当然とばかりに判り切ったことを言っている様子の蒼が、励ましではなく本気で燈の勝利を確信していることに気が付き、息を飲んだ。


 どうして、蒼は燈が勝つと信じ続けているのだろうか?

 彼は今、斑の猛攻を耐えることで精一杯のはずだ。ここから攻勢に出ることは難しいし、出来たとしても『おろち』の特性を活かした防御術で押し返されてしまうだろう。


 時間が経てば経つほど、攻撃を防ぎ続けている燈の体力と気力は消耗される。

 そうなれば、段々と斑の優位が積み上げられていくはずなのに……と、考えていたこころの耳に、男たちのどよめきが届いた。


「な、なに? どうしたの?」


 蒼を見つめていたために戦いを見逃していた彼女は、突然のどよめきに血相を変えて燈の方向を見やる。

 まさか、ついに燈が『おろち』の毒牙にかかってしまったのか……と不安になったこころであったが、その目に映った光景は意外なものであった。


「ぐ、ぐぐ……っ!?」


「……ふぅ」


 燈は、致命傷を受けることもなく平然とその場に立っていた。

 『紅龍』を正眼に構え、いつでも攻撃を防げるようにしながら、軽く息を吐いて対戦相手である斑のことを無言で見つめ続けている。


 その斑はというと、手から愛刀である『おろち』を取りこぼし、引き攣った笑みを浮かべていた。

 お互いの距離も、戦いの展開も、何も変わっていない光景の中、こころは攻めていたはずの斑が見せたとんでもないミスが原因で観客たちがどよめいたということを理解する。


「斑! 何やっとんのや!? んな、お前らしからぬ失敗を……!!」


「く、ククク……! すまぬ、大旦那。狩りの興奮が滾り過ぎたせいで、文字通り手に汗を握ってしまったようだ。とんでもない失策だな、これは」


「お、おお、そうか。だが、相手は今のお前の隙を突くことも出来んくらいに疲れ切っとるみたいや! 勝利は近い! もう油断すんなや!」


「言われるまでもない! ここで、一気に決めてやるっ!!」


 掌の汗を拭い、再び『おろち』を握り締めた斑は、狂気の叫びを上げながら燈へと攻撃を繰り出す。

 またしても斑の一方的な猛攻が始まるのか……と、その凄惨な光景を想像して目を覆いたくなったこころであったが、そんな彼女の目の前で予想だにしない出来事が起きた。


「んなっ……!?」


 自分目掛けて襲い来る『おろち』の切っ先を、燈が弾き返す。この戦いの中で何度も見た、むしろ見飽きたといっても過言ではない光景。

 先ほどまでは、そこから二度、三度と終わらぬ斑の攻撃が繰り広げられるはずだったのだが……たった一発の攻撃を弾かれた斑は、なんと再び『おろち』を取り落としてしまったではないか。


「ま、斑!? 遊ぶのもええ加減にせえよ! 少しは昂ぶりを抑えんかい!」


「……遊んでなんかいないさ。あの子はただ、ドツボに嵌っちまっただけさね」


 これまでの戦いを見ていた者からすれば、勝利を確信した斑が燈相手に遊んでいるようにしか思えないだろう。

 それくらいに戦いは一方的で、斑が完全に優勢としか思えない試合運びだった。


 しかし、その中で起きていたもう一つの事実に気が付いている蒼と桔梗には、この展開は何もかもが当然のものとしか思えていなかったのである。


「……椿さん、僕たちの修行を見ていた君ならわかるはずだ。毎日のように幾つもの山を駆け抜け、それが終わってからも数々の訓練を行っていた僕たちが、たかがあの程度の打ち込みを数十回受けたところでへばると思うかい?」


 ふわりと、ようやく表情を崩して笑みを浮かべた蒼が、悪戯っぽくこころへとそう問いかける。

 その彼の言葉を肯定するかのように、顔を上げた燈の表情にはまだまだ余裕の色がありありと浮かび上がっていた。


「おいおい、どうしたんだよ? そんな風に遊んでると、俺だって回復しちまうぜ? 弱者を嬲り、確実にトドメを刺す戦いが、お前らの専売特許なんだろ? わざわざ相手に隙を晒すたぁ、余裕があり過ぎるんじゃねえか?」


「ぐぐっ! 先ほどからずっと歯が立たない癖して、随分と大きな口を……! すぐに、その言葉を後悔させて――がぁっ!?」


 再び、取り落とした『おろち』を拾って攻撃を繰り出そうとした斑は、刀の柄を握った瞬間に苦悶の表情を浮かべてそれを取りこぼしてしまった。

 明らかに、普通ではないその様子に戦いを見守っていた面々が見守る中、蒼がこの不可解な現象の答えを淡々と述べる。


「確かに『おろち』の能力とそれを活かした戦法は強力だ。自分は気力と体力を温存したまま、相手を消耗させることが出来る。だけど、一見完璧とも思えるその戦い方の中でも、たった一つだけ摩耗してしまうものがあるんだ」


「……か!」


 はっとした栞桜の言葉に頷き、再び戦いを見守りだす蒼。

 そんな彼に代わって解説を引き継いだ桔梗は、弟子たちへと燈の取った戦法を告げる。


「腕を振るわずとも刃を繰り出し、最小限の気力で武神刀を操れようとも、刀の柄を握る右手の握力だけは消耗していくもの。長く伸びた刀の先端を常に全力で弾き返されれば、反対側にある柄にも相応の振動が走る。燈坊やは、あれを最初から狙ってたんだよ」


「そう、だったんだ……! てっきり、相手の攻撃が激しくて守ることしか出来なくなってたのかと……!」


「あの猛攻の中でそんな作戦を立てられるなんて、本当に燈くんは冷静だったんだね!」


「攻撃は最大の防御といわれるように、防御もまた最大の攻撃になる。あの戦法は馬鹿げた体力と気力を持つ燈坊やだからこそ出来たものでもあるが……それ以上に、地力の差が勝負を分けたね」


 痙攣する右手を見つめ、信じられないとばかりに唖然とする斑へと、燈が一歩ずつ距離を詰めていく。

 自分の元に接近する敵の姿に狂乱した斑は何とかして『おろち』を握ろうとするが、震えと痛みが酷い手がそれを許してはくれない。


 しかし、それよりも深刻なのは精神面でのダメージだ。

 ここまで自分の優位を信じて疑わなかった斑にとって、自分が武神刀を握れなくなるまで追い詰められるという展開は完全に予想外だった。


 限界が訪れて初めて自分が燈の策に嵌ってしまったことに気が付いた斑が味わう屈辱はそのまま彼の精神を揺さぶり、一度崩れた精神は肉体の疲労を必要以上に感じさせる。


 肉体面でも、精神面でも、優位に立っている者がどちらかなんて、考えるまでもない。

 一方的な攻勢から一転、完全に追い詰められて細い眼を見開く斑の目前に立った燈は、鼻を鳴らしながら彼へとこう問いかける。


「……よお、斑とかいったか? お前、毎日何回素振りしてるよ? 腕立てや腹筋、体力作りの早駆け、そういう基本の訓練をやってるか? ……やってねえよなぁ? 相手を一方的にいたぶれる便利な武神刀を手にしちまった上に、自分を成功作だなんだと宣ってるお前が、そういう地道な訓練をしてるわけがねえ。だから軽いんだよ、お前の刀は」


「あ、ぐっ……!」


 息一つ乱さず、まるで疲れた様子を見せない燈の言葉に斑が顔を顰める。

 平然と自分の猛攻を防ぎ切り、逆に追い込んでみせた彼に対して何も言い返せない斑は、それでも口をぱくぱくと動かして何とか反撃の言葉を探そうとしていたのだが……


「……お前、弱いぜ。少なくとも、栞桜の奴の方が万倍は強かった。お前とあいつじゃ積み重ねたモンが違う。これまでの努力の量が桁外れに違ぇよ。お前があいつに勝ててるのは、あくまで武神刀の相性のお陰ってことを忘れんな」


「なっ、なにを……っ!?」


 『紅龍』の刃が赤く染まる。空気を焦がす、ジリジリという音が響き出す。

 刀を持てぬ相手に対して悠々と上段の構えを取った燈は、そのまま完璧に身に着けた気力操作を用いた剣技『焔』を繰り出し、眼前に巨大な火柱を作り上げてみせた。


「がはあぁあぁっっ!!」


 剣劇と、爆風。そのどちらもが尋常ではない威力を誇る燈の一撃を受けた斑が、誇張表現なしに吹き飛ぶ。

 焼け落ちた護符と、黒焦げになった斑がピクピクと体を痙攣させている様を見て取った燈は、ようやく気が済んだとばかりに大きく息を吐くと、『紅龍』の切っ先を彼に突き付けながら言った。


「二度と、俺の名前と栞桜の奴を馬鹿にすんじゃねえ。次は消し炭にしてやるから、そのつもりでいろよ」

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