前途は多難
それから数刻後、燈たちは桔梗の屋敷の居間にて、彼女たちと向かい合っていた。
先ほどとは違う着物を着た桔梗を真ん中に、その左右を固める栞桜とやよい。彼女たちも戦いの際に着ていた戦装束ではなく、シンプルな服装に着替えている。
ぶすっとした表情を浮かべてそっぽを向いている栞桜と、ニコニコと笑いながら無邪気な様子でこちらに手を振るやよい。
極端な反応を見せる両者の姿にはぁと深い溜息を吐いた桔梗は、気を取り直して燈たちへと口を開いた。
「……さて、馬鹿弟子たちが悪いことをしたね。改めて、その辺のことを謝らせてもらうよ」
「あ、いえ、大丈夫です。幸い、お互いに大した怪我もありませんでしたし……」
「そう言ってもらえると助かるよ。あの宗正が育てたにしちゃ、まともな弟子じゃあないか。あいつも多少は丸くなったってことかねぇ……」
しみじみとそう語りながら、何度も頷く桔梗。
自分たちの師である宗正の過去を知る彼女からすれば、先の言葉遣いが怪しい燈の対応ですらもまともに見えるらしい。
いったい、昔の宗正はどんな男だったのだろうか……? と、少し師の過去に興味を抱く燈であったが、今は目の前の相手との会話に集中すべきだと思い直し、その意識を振り払った。
「自己紹介がまだでしたね。師匠、宗正の一番弟子である蒼と申す者です。以後、お見知りおきを」
「俺はさっき言ったっすけど……二番弟子の虎藤燈です。色々と不勉強な奴ですが、よろしくお願いしまっす!!」
「あ、えと、わ、私は宗正さんの弟子ではないんですが……椿こころ、っていいます。色々あって遊郭にいたところを、燈くんたちに助けられてから一緒に行動してて――」
「……遊郭? 遊郭だと? ということはお前、元遊女か。そんなところで働いていた女を連れて歩くだなんて、やはり信用ならない男たちだな」
「あぁ? んだと、コラ!?」
燈たちに続き、慌てた様子で自己紹介をしたこころの言葉尻を捉え、ちくりと嫌味を口にする栞桜。
自分たちが異世界からの転移者であることや、仲間に売り飛ばされたという部分を飛ばして事の経緯を話してしまったこころは、如何にも不機嫌だという表情を見せる栞桜の様子にビクリと体を竦ませた。
対して、こころの苦労やそこに至るまでの全てを知っている燈は、同じ世界の仲間を馬鹿にするその発現に不快感を露わにして栞桜に噛み付く。
つい先ほどの戦いを思い返し、再び戦意に火を付けた栞桜は、自分に鋭い視線を向ける燈を負けじとばかりに強く睨み、吼えるようにして言った。
「何だ? 図星を突かれて怒ったのか? 気に入った遊女をほいほい身請けして、飯炊き女として傍に置いておくだなんて、宗正とかいう刀匠は随分と弟子に気楽な生活をさせているようだな。そんな軟弱者を仲間として認められるものか!」
「逆だ、このタコ。こっちはお前があんまりにも的外れなことをほざいてるからキレてるんだっつーの」
「なんだと……!?」
感情を剥き出しにする両者であったが、それを爆発させる栞桜に対して燈の方は怒りの感情を溶岩の如くぐつぐつと煮えたぎらせているかのような低い唸り声で応えた。
立ち合いの時に見せた獰猛な雰囲気とはまた違う、されどその姿にも負けない迫力を放つ燈の姿に、今度は栞桜の方が気圧されてしまう。
「てめぇが俺のことを気に入らないってのは判ったよ。だがな、その悪感情だけで何でもかんでも決めつけられて、身内を馬鹿にされるのは我慢ならねえ。師匠がどんな風に俺に接してくれたか、椿がこれまでどんな苦労をしたか、それを知らない癖に勝手な文句を垂れてんじゃねえぞ」
「うっ……!」
自分ではなく、師匠である宗正と友人であるこころへの侮蔑の言葉に怒りを見せた燈は、真っ直ぐに栞桜の目を見つめながらそう告げた。
大恩ある師と、仲間に裏切られて苦しんだ友人にそれぞれ深い想いを抱いている燈にとってすれば、先の言葉はどうしても許せるものではなかったのである。
「謝んなきゃダメだと思うよ。今のは絶対、栞桜ちゃんが悪い」
「……ああ、そうだな。すまなかった」
燈が見せる真摯な表情を目にして、親友でもあるやよいからやんわりと注意を受けて、栞桜は自分の言葉があまりにも軽率であったことを素直に認めた。
燈と、蒼と、こころ。それぞれにしっかりと頭を下げ、謝罪の意を示した彼女の姿にやれやれと首を振ってから、桔梗が話を再開する。
「物分かりの悪い弟子たちで本当にすまないね。特に栞桜の方は頭の固い頑固者で、ほとほと私も呆れてるのさ」
「まあまあ、そこが栞桜ちゃんの良いところでもあるってことはおばば様も知ってるでしょ? 今日は初めて会う人が沢山いるから緊張してるだけだって! ほら、猫だってそうでしょ!?」
「誰が猫だ! 誰が!!」
「栞桜、お前は黙るってことが出来ないのかい……?」
自分のフォローをしてくれたやよいにまで噛み付く栞桜であったが、その様子は燈たちに対するそれよりかはかなり柔らかい。
やはり、あの二人の間には確かな信頼関係があるのだなと思いつつ、そんな栞桜に手を焼く桔梗の心労を慮り、燈は心の中で少しだけ笑みを浮かべた。
「ではでは、改めまして! あたしはやよい! 姓はおばば様と同じ西園寺を名乗ってるよ! 歳は十六! 好きなものは甘いもの! 特技はけん玉とか遊び全般! って感じで、これからよろしく~!」
燈と栞桜が睨み合っていた険悪な雰囲気も、桔梗側の三人のやり取りのお陰で大分緩和された。
そのきっかけを作ったやよいは、師匠に命じられることもなく自分から自己紹介を行う。無邪気に、楽し気に、笑いながら自分のことを話したやよいは、後ろを振り向くと栞桜に自己紹介を促す。
「ほら、次は栞桜ちゃんの番だよ!」
「……西園寺栞桜だ。歳はやよいと同じ。特に話すことはない」
「も~! 栞桜ちゃんは不愛想だなぁ! これから一緒に行動する仲間なんだよ? 少しは仲良くしようよ~!」
「私はこいつらを認めてない。こんな奴ら、おばば様の夢の成就に必要無い! 私とお前がいれば、それで……」
「栞~桜~ちゃ~ん~?」
「ぐっ……!!」
未だに燈たちを認めようとしない栞桜のことを、やよいは視線と雰囲気で威圧した。
この一連のやり取りから、暴走しがちな栞桜の手綱を握っているのはやよいであることを見て取った蒼は、やはり彼女は油断ならない相手であることを再確認する。
今現在、彼女が何を考えているか全容は掴めていないが、それでも自分たちに対する敵意はなさそうだ。
だが、立ち合いの最中に見せた真剣なやよいの表情を思い浮かべた蒼は、今、自分の目の前できゃぴきゃぴと騒ぐ少女がそれと同じ人間であることに一種の懸念を抱く。
やよいは、蒼たちの実力を試すために手合わせをすると言った。戦いは苛烈であったが、こうして友好的に接してくれているということは、彼女たちと互角に戦った自分たちのことを多少は認めてくれたと考えていいだろう。
しかし、彼女は自分に対して「優しさと甘さをはき違えている人は大嫌いだ」とも言った。
その言葉に嘘がないとすれば……少なくとも、やよいは蒼に対して、良い感情は抱いてないということになる。
であるならば、あの笑顔も演技で浮かべているものなのか。あるいは……などという考察を深める蒼と視線に気が付き、彼と目を合わせたやよいは、意味深に微笑みを浮かべると悪戯っぽく自分のたわわな胸を叩いてみせた。
先の戦いの中、蒼を動揺させるために大胆な手段を取った彼女は、それに見事に嵌った彼を揶揄っているのだろう。
それは嫌いな相手を嘲笑するための行為なのか、あるいは面白い反応を見せた蒼を気に入っての愛のある弄りなのか……その思惑が掴めない蒼は、やよいという少女の一挙手一投足に必要以上の観察を向けるようになっていた。
「にゃははっ! あたしが可愛いからって、そんなに見つめられると困っちゃうにゃ~、なんてね!」
「じろじろと不躾な視線を向けて……やはり信用ならない男たちだな!!」
「だから、勝手に色々と決めつけんじゃねえっつーの! お前は一分前のことも忘れる鳥頭なのか?」
「………」
「はわわわわ……! け、喧嘩は止しましょうよ~! みんな仲良く、ね!?」
掴み所を見せずに立ち回るやよい。
不信感を剥き出しにして男たちに接する栞桜。
そんな彼女の態度に苛立ちを隠せない燈。
思考を深めるあまり無言になってしまう蒼。
四者四様の反応を見せる燈たちの様子に、こころは焦りの表情を浮かべながら間を取り持とうとする。
空気を察する能力がない人間でも、他人の心の機敏に疎い者であっても、この部屋に足を踏み入れれば、少なくとも不穏な空気が室内に漂っていることは感じ取れるだろう。
本当に、こんなことで最強の武士団を作ることなど出来るのだろうか? こんな険悪な間柄の人間同士で協力し、一つの目標に向けて一緒に進んでいけるのだろうか?
そんな懸念を振り払うかのように大きく手拍子を打った桔梗は、はっとして顔を上げて自身へと注目した若者たちに向け、平然とした声でこう告げる。
「今日はお客人たちも疲れているだろう。すぐに夕食を用意するから、その後で風呂に入って部屋で休みな。この屋敷には大きな露天風呂があるからね、旅の疲れも癒せるだろうさ」
「……お気遣い、感謝いたします。お言葉に甘えさせていただきます」
「うむ。……では、私は少し仕事が残ってるから部屋に戻らせてもらうよ。食事が出来たら呼ぶから、それまでは用意した部屋で休んでいておくれ」
手伝い用のからくりに指示を出し、燈たちを部屋に案内させてから、桔梗は栞桜とやよいに目配せして彼女たちも部屋から追い出した。
そうして、居間の中でたった一人だけになった彼女は、大きな溜息をついてから愚痴をこぼす。
「やれやれ、前途は多難だねぇ……。しかし、ここで壁を乗り越えないとうちの子たちは駄目になる。特に、栞桜……あの子は、自分の殻を破る時がきた。さもなければ、きっと……」
顔を上げ、襖の先に見える茜色の空を見つめた桔梗は、ゆっくりと沈み行く太陽を見つめながらそう呟く。
愛すべき弟子に大切なことを伝え切れなかった自分自身の不甲斐なさを悔やみ、されど自分自身ではどうしようもないその壁を思った彼女は、遠い場所にいる友に向け、届かない呟きを漏らした。
「宗正……あんたの弟子の力、貸してもらうよ。あの子たちなら、あるいは……」
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