第227話 あと十日
二徹金鉄チャレンジから数日。暦は三月に移って、僕の残り出勤も十五日を切ってきた。去年の夏に、一度溜まりに溜まった有給を消化したとは言え、半年働くとまた溜まってしまう。それも消化して辞めないといけないので、実質三月半ばで退職することになる。
「ありがとうございましたー、気をつけて、お帰りくださーい」
「ありがとうございましたー」
そして僕は、宮内さんと一緒にアルバイトの面接にやってきた男子高校生の子のお見送りをスタッフルームで行っていた。……はい、今日が面接の日でした。
完全に扉が閉まったのを確認すると、
「……どう思う? 太地クン」
すぐに宮内さんはその場で僕に確認を求める。
「……え、えっと……そうですね……」
そう言われて僕は、さっきの高校生の彼に抱いていた印象を頭のなかで改めて整理する。
「いいわ、ゆっくりで。とりあえず、ミーティングルームに移りましょう」
僕が少し悩んでいるのを見て、面接を行った、スタッフルームのさらに奥にある、ミーティングルームに移動する。大事な話や、面接など、他のスタッフにはあまり聞かせたくない話をするときに、ここは使う。
「なんか……井野さんと同じような香りがする子だなあ、って気はしました」
正面に向かい合う位置にそれぞれ座って、僕は切り出した。
「それは同感だわ。ものすごーく大人しそうな雰囲気は感じ取れたわ」
質問に対する受け答えはどこかしどろもどろだし、ちょくちょく噛むし、なんだったらちょっと質問と回答がずれている、なんてこともしばしば。宮内さんも基本同意の頷きを何回かする。
「正直、私目線では不採用よりな気はしている。この仕事、基本的に大人しい子は不利だもの。ただ、この後求人に応募が来るかどうかは不透明よ。もしかしたら、もう誰も応募してきてくれないかもしれない。井野さんも、そういうタイミングでやって来たから採用してみたけども」
そう言ってから、ちょっとだけ厳しい顔になっては、申し訳なさそうなトーンで続けた。
「……うーん……」
「太地クンがもう一年いるんだったら、迷いなく獲るわ。井野さんって前例があるもの。ああいう子でも一人前になって、お店の核になり始めている。太地クンにかかれば、一年もあれば十分でしょ?」
……多少買い被りすぎな気もしますけど……まあ。
「でも、その太地クンはもういない。実は、もう四月から働きはじめる新人さんを採用しているんだけど、その子は水上さんに研修を担当してもらうことにしているの。で、もし彼を採用するとしたら、担当は……そうね……」
「……井野さんでいいんじゃないですか?」
おでこに手を当てて、考える仕草を取った宮内さんに、僕はその提案を投げた。
「井野さんに? 虎太郎クンじゃなくて?」
「……多分、彼の内面はある程度、井野さんはわかってあげられると思います。同族嫌悪を抱くタイプでもないでしょうし、そういう意味では、水上さんや小千谷さんよりも井野さんのほうが、適任って気はします。浦佐はそもそも研修が柄に合わなさそうですし」
……というか、そういう話は既に井野さんにしているし。多分、できると思う。
「つまり、太地クンは採用って考えってこと?」
「ニュートラルに考えたら宮内さんと同じ、落とします。……でも、井野さんがいるなら、多分ですが、大丈夫ですよ。夜番では、うまくやっていけると思います」
「そう。太地クンがそう言うなら、とりあえず考えておくわ。……数日貰っているわけだし、もしかしたら、他に応募も来るかもしれないし。ありがとう、もう売り場戻っていいわよ」
「わかりました」
ミーティングルームでまだ考えている宮内さんを残して、僕は駆け足で売り場へと戻る。まるまるひとり、売り場から人が消えているわけなので、まあまあ火の車のはずだ。とりあえず、局面を収めないと……。
「あっ、八色さーん……いいところに、このDVDなんですけどー」
「んー? どうしたー?」
早速、カウンターに入っている中番の子に呼び止められたし……。はいはーい、仕事仕事……と。
三日後、宮内さんからこっそり、「この間の子だけど、採用することにしたわ。井野さんにも研修ついてもらうこと言ってあるから、辞める前に色々教えてあげておいてね」と、伝えられた。
……宮内さんには言ってなかったけど、僕が採用に推した理由は実はもうひとつある。
……なんとなく、常識人っぽいなあって思ったからです。あははは……。
いや、真面目に突っ込み役がいないと、別の意味で夜番が崩壊すると思って……。僕は仕事には関わらないけど、頑張っておくれ……新人さんよ。個性豊か過ぎるメンバーが、君を待っているぞ。
なんてことはさて置いて。宮内さんに採用を伝えられたその日の帰り。この日は小千谷さんと井野さんと一緒で、例によって小千谷さんとは途中で別れて、井野さんとJRの改札まで一緒に歩いていた、のだけど。
「……どどどどどどうしましょう八色さん。わ、わわ私、どうやら新人さんの研修担当になったみたいででで……」
「……とりあえず、落ち着こうか。うん、落ち着こう」
バグりかたが一段と強い気がする……。
「でっ、でででも、わ、私人に何かを教えるなんててて……み、水上さんのときも聞かれたことちゃんと答えられた気がしませんでしたししししし……」
だ、大丈夫かな……これ……。なんか推薦しておいて不安になってきたよ。
「……平気平気。他に三人もメンバーいるんだから。何もひとりで全部教えようなんて思わなくていいよ。っていうか、僕だって井野さんに全部の仕事教えたわけじゃないし」
放っておくととことんまでバグりそうなので、早めに安心させることを言っておく。実際事実だし。
地下街を抜けて改札を通過。夜の帰宅でごったがえす新宿駅のコンコースを、並んで進んでいく。
「そっ、それは……そうですけど……」
「……いけるいける。それに、多分井野さんが担当する子は、一番井野さんが担当したほうがいい子だから。きっと」
「……そ、そうなんですか?」
「ま、会えばわかるよ。自信持って自信持って」
「えっ、あ、会えばわかるってどういうことなんですか……? そ、そこは教えてくれないんですか……?」
「言っちゃうとなんか話しすぎかなーって気もするし。僕ももうすぐ辞めるし、言ったでしょ? 全部を教えたわけじゃないって」
そこまで言ったところで、井野さんが乗るホームの階段下までたどり着いた。
「それじゃ、お疲れ様、井野さん。また今度ね」
「あっ、ひゃ、ひゃい、お疲れひゃまでひゅ……」
……また噛み噛みモードになってしまった。……いや、大丈夫だ問題ない。井野さんなら乗り越えられる。……無理だったときは、小千谷さんに火消ししてもらおう。大先輩なんだ、そういうときくらい、先輩らしいところを見せてもらわないと。
「……よし。じゃ、僕も帰るか……」
この通勤ルートを歩くのも、あと数えるくらいなんだな、って思うと、ちょっと心に響くものがある。ただの駅と言ってしまえばそうなんだけど。なんか、心臓がくすぐったい、感触もする。
……あと、十日も出勤しないのか。
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