第214話 六時間は終わらない
「──そ、その……この間、井野さんに……井野さんとは、付き合えないって言って……」
僕が手始めにそう言うと、
「これで真逆のことを言われたら、さすがに神経を疑うかもしれません……」
珍しく水上さんから突っ込みが入った。……なんていうか、そういう常識はあるみたいで安心したよ。
「……そういうプレイがお好きなんですね……って」
違った、なんか思ってた方向と違ったからやっぱり安心しません。しかも、それプレイじゃなくてただの二股だから。ただのクズだから。
「んんっ。そ、それで……なんだけど」
話がまた横道に逸れそうになった。軽く咳払いを挟んで、僕はじっと視線の先斜め下に立っている水上さんを見る。
「はい」
なんかかなり手汗かいている気がするし……、今にも噛みそうだ。おまけになんか膝が笑っている……。
「……そ、その……ぼ、僕は……」
「はい」
「……み、水上さんを……」
「はい」
何度も変わらない音程で相槌を打つ水上さん。機械的にも感じるけど、表情を見るとちょっとずつ顔が強張っているようにも思える。
……水上さんも、緊張しているのだろうか。
「……え、え……」
「はい」
彼女の、その普段の「落ち着いた」雰囲気とはギャップを感じる人間みっぽさに、ちょっとだけ僕はホッとするっていうか、なんというか。
それで生まれた、油断とは違う何かに、喉奥に詰まっていた言葉が自然と押し出されて、気がついたときには、
「……水上さんを、選ぶことに、しました……」
決定的な一言を、口にしていた。
瞬間、僕と水上さんの間には、沈黙が生まれる。壁が厚いということで、隣の部屋から何かが聞こえてくることもないし、閑静な住宅街だから、夜道を猛スピードで飛ばすバイクの音や、遅くまで仕事をされているトラックの走行音ひとつ、聞こえない。
僕の緊張の音が、水上さんに聞こえているんじゃないかって思うくらい、長い長い間だった。
「……それは、つまりはどういうことでしょうか?」
やがて、少し頬を上気させた水上さんが、僕のことを見上げながらかすれ気味の声で聞いてきた。
「……さすがに、それだけだと、なんか不安なので。ちゃんと言っていただけたほうが、お互いわかりやすいですし……」
せ、正論です……はい。……そうですね。
「……つ、つまるところ……。ぼ、僕と……付き合ってもらえませんか……?」
ここまで来て、日和るわけにもいかないし、もう言ってしまえ。
そうやって繰り出した一言は、目前に立つ水上さんをポカンと呆けさせた。
……あ、あれ……? な、何か変なこと言ったかな……? 実は言い間違いを起こして、付き合ってが、向き合ってとかになってたりとか……? こ、この心理状態だったら僕やりかねないよ……?
「え、えっと……み、水上さん?」
不安になった僕はつい、確認の言葉を呟いてしまう。
その問いかけに我に返った水上さんは、不意に右手を目もとに持っていっては、微かに潤んだ声でこう返した。
「いっ、いえ……すみません……。……好きな人に、そうやって言ってもらえることが……嬉しくて……つい……」
右の人差し指で拭った先には、丸い宝石がひとつ。そして、
「……はい、喜んで」
いつも新宿駅中央線のホームに繋がる階段から見下ろしていたような、穏やかな微笑みを浮かべて、水上さんはそう答えた。
……ふう、これでめでたしめでたし……なのかな、と思っていると、
「……ところで、家族計画はどうしましょうか? 私は何人でも頑張りますけど……」
うん、水上クオリティ。折角のシチュなのにその場でずっこけてしまった。
どうあっても、僕は定期的に突っ込みを入れないといけないのかもしれない。……できれば安心5、突っ込み5くらいの割合でいて欲しいんですけど、無理でしょうか……。ぜひとも社内で検討していただきたいんですけど……。
「ちょっ、き、気が早いよ……。水上さんこれから三年先は大学生でしょ……?」
「大学生でも子供は産めますよ? 八色さん」
「ちょっと落ち着こうか水上さん。そういう話はまた今度にしようね? うん」
可能は可能だろうけど、産んだ後が本当に大変だろうからまだ許してください……。
「で、ですが──」
「そっ、そうだ。フライドチキン、食べないとっ。冷めちゃうし」
このままだと本格的に子供の計画を立てかねないと踏んだ僕は、テーブルに置いてあったホカホカのレジ袋を指さした。
「……それもそうですね。あ、八色さん、お酒飲まれますか? チューハイならあるんですけど」
「……一本だけ貰います」
果たして水上家でお酒を飲んでいいのか心配にもなったけど、市販品だし一本だけなら潰れないし大丈夫だろう、ということで。……クリスマスだし、ちょっとくらいなら、いいよね。
……けど、このときの僕は、チューハイで僕が酔いつぶれるかどうかよりも心配しないといけないことがあったのに、すっかりそのことが頭から抜け落ちていた。水上さんに話すことで、頭がいっぱいになっていたからなんだけど……。
僕がその事実に気がついたのは、美味しくフライドチキンを頂いて、チューハイも一本開けてなんとなくいい気分になっていたとき。
なんとなく、腕時計をちらっと見て、ああ、そっかあ、もう二十五日なのかあ、と思ったんだ。
……え? 二十五日?
「やばっ! 終電!」
目が覚めたように立ち上がって、慌ててスマホで帰りの電車を調べるけど……。
「……あ……」
画面に映し出されたのは、発車時刻を過ぎた電車が表示されています、の文字。
部屋で立ち尽くす僕を見た水上さんは、
「私は別に泊まられていっても構いませんよ……? それに、彼氏が彼女の家に泊まるくらい、自然なことじゃないでしょうか……?」
至極真っ当な意見なんだけど、これ以上の覚悟を僕は持ち合わせてないんです……。
「それに、電車がないなら泊まるしか選択肢がないと思うんですけど……」
ぐうの音も出ない意見。……力なくその場に座り込んで「すみませんが、一晩泊まらさせていただきます」と、口にする。それに対しては、
「はい、わかりました。でしたら、早速お風呂沸かしちゃいますね」
と答え、嬉しそうに口元を緩ませた水上さんが部屋からお風呂場に歩きだしていた。
うう……ちゃんと終電調べてから今日というか昨日を迎えればよかった……。こんなことになるなんて……。
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