第205話 新婚みたいな
朝、目が覚めたのは台所から鳴る料理の音でだった。
「んん……」
ぼんやりする視界、目をこすってはっきりさせると、スマホが示す時間は午前九時。なるほど、ちょっと寝坊をしたのか……。
僕に正面から抱きついて眠っていたはずの水上さんはもういなくて、しかしぽっかり人ひとりぶん毛布にスペースが空いているということはなく、僕が真ん中に来るようにかけ直されていた。
「あ、起きました? おはようございます」
ベッドの衣擦れの音で気がついたのだろう、水上さんがこちらをくるっと一瞬だけ振り返って挨拶した。
「お、おはよう……」
「……すみません、泊めてもらったので、朝ご飯くらいは作ろうと思って」
「そ、それは別にいいんだけど……。授業とか大丈夫なの?」
「はい。今日は午後からなので」
「そ、そっか……ならまあ……」
というか、昨日も思ったけど、限りなく若妻感漂う。中途半端に開いたカーテンから差し込む朝陽に、菜箸を持つ水上さん。
……一瞬、エプロンに水上さんの私服が幻覚で見えた気が。そもそも僕のジャージを着ているからそんなはずないんだけど。
水上さんが朝食を作っているのをよそに、顔を洗ったり、寝間着から外向け用の服に着替えたり、ポストに刺さっているDMとかチラシを回収。
……なんだこれ、ますます若い夫婦の休日の朝みたいになっている気がする。いやいや待て待て。
水上さんばっかりでこういう風景を想像できるのはおかしい。おかしすぎる。
とりあえず、同じシーンを井野さんで妄想してみよう。そうだ。きっと井野さんでも同じシーンが脳内に浮かぶ……はず。
……いや、途中で料理に使うソーセージを妙にいやらしく触って自爆して鼻血出してそうだし、そもそも井野さんが料理するイメージがなかなかつかない。申し訳ないけど、卵を割るの失敗して服に卵かかってそう。
とりあえず、別のイメージ、別のイメージ……。
「……鼻血しか出てこねえ」
「……? 何か言いましたか? 八色さん」
「え? あ、ごめん、なんでもないよ」
いけないいけない、つい声に出してしまった。
ラーメン屋のお客さんとでもカップリングを成立させるような子だ。いついかなるときに鼻血を暴発させてもおかしくない。いや、わかっていたはずだけど、それが僕のイメージのなかでも出てきてしまう。
……なんだったら、エッチするときも鼻血出しそうだし……。って何考えているんだ僕は。
「朝ご飯できました……。とりあえず無難に目玉焼きにハムやサラダをつけたんですけど、大丈夫ですよね……?」
脳内に浮かんだ光景をすぐに消し去り、僕は両手に美味しそうな香り漂う目玉焼きが乗ったお皿を持つ水上さんに目をやる。
「あ、今回はちゃんと調味料確認したので、味に問題ないはずです……。味見もしたので」
僕が何も言わなかったので、彼女は過去にしでかした砂糖むすびに砂糖がゆといった数々の可愛らしいミスを口にして、今回は大丈夫、ということを強調する。
「えっ、あ、そ、そっか、それなら安心だね」
「八色さん、変な味がしても何も言わずに食べてしまうので、嬉しいと言えば嬉しいんですけど……」
やや頬を赤く染めた水上さんは、トンとテーブルに朝食が乗ったお皿を二枚並べる。
「食パンは何枚にしますか?」
その流れで膝を折ってかがんでいた彼女は、僕の顔を見上げながら続けて聞いてくる。透き通った美しい瞳が、まじまじと僕の顔に照準を合わせる。
「……ぱ、パンくらいは自分で焼くから大丈夫だよ」
その上目遣いにも思わず見入ってしまいそうになり、いかんいかんと台所に逃げ込もうとする。
何回言ったかわからないけど、綺麗系な顔立ちしているから、普通にしているだけでも殺傷能力があるのに、上目遣いなんかされた日には致命傷で死んでしまう。
「そ、そうですか……?」
「水上さんは何枚?」
台所の納戸に常温で保存している食パンの袋を手にして、トースターの扉を開ける。
「私は一枚でお願いします……」
「オッケー」
僕も一枚で充分だし、一度で終わりそうだ。
焼きあがるまでは特にすることはないので、また部屋に戻ってもいいんだけど、部屋には水上さんが座って待っていて、今戻ると色々悶々としそうなので台所で立って待つことに。
……で、話を戻そう。別に井野さんが鼻血を出すのが嫌いなわけじゃない。……あの子はプラス吐くこともしばしばあるけど。楽しいは楽しい。
……ただ、水上さんの場合は楽しいっていうか……それにプラス安心できるっていうのがある、のか。いや、愛が重たくてたまに怖いことをしでかすことに関してこれっぽっちも安心できないんだけど。
ただ、今みたいに日常の部分に関しては……しっくりくるっていうか……なんというか。
「そういえば、
……うん、こういう部分はちっとも安心してないからね。
「す、睡姦って……。僕がマニアっぽい性癖を全部兼ね備えていると思わないで欲しいんだけど……」
部屋越しに話す水上さんは、どこかほっこりした様子だ。あからさまに頬を緩めるとかではないけど、声色が少し明るい。
「声我慢とかして欲しければ、言ってくだされば頑張りますけど」
だからそういう単語をどこで仕入れているのあなたは。もしかしなくても性の知識僕より詳しいとかそういうことない? そのうち僕の知らないプレイとか趣味嗜好が水上さんの口から出てきそうだけど?
「……いや、その……僕の、その、おもらしっていう性癖も、言ったことあるだろうけど恋人にして欲しいとかじゃなくて……その、単に僕が……って朝から何言ってるんだ僕」
「好きな人の好きなことをしてあげたいって思うのは、変なことでしょうか……?」
「……へ、変ではないけど……」
限度があると思うんだよね。しかもそれって、趣味を共有するときの台詞じゃ。一緒にサッカー見たいとか、はたまた音楽聞きたいとか、それとも雑貨集めとか。
そうしているうちにトースターから音が鳴り、パンがほどよく焼きあがった。
「お皿持ってきますね」
水上さんがすかさず目玉焼きの乗ったお皿をふたつ持って、僕のもとに。……こういうところはさすがです。
「でも、こうしていると、なんだか新婚の夫婦みたいですね?」
「んっ……」
ぼ、僕が思っていることを……。
「あれ、八色さんももしかして同じことを考えてくださっていたんですか?」
僕がむせたのを見て、すぐ隣に立つ水上さんはちょっと嬉しそうに笑う。
「い、いやっ……えっと……」
「交際ゼロ日婚でも私は構いませんよ?」
……ああ、これだと水上さんの思うつぼだ……。
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