第203話 一枚上手の水上さん

 そして夜も深くなり、もうふたりが帰らないといけない時間になった。

 いそいそとコートを着たり、荷物をまとめたりして大人しく帰宅の準備をしている。


 ……とりあえず、この調子ならすんなりいきそうだな……。

 正直、後輩ズに粘られて家に居座られるケースも最悪想定しないといけなかったから。……ふたりのキャラならそうだよね。


 でも、今日は素直に帰ろうとしてくれている。一安心……。

 なんてホッと胸を撫で下ろしていると、


「……? 井野さん? テーブルの下に、お財布と定期落としてますけど」

「ひゃっ、ひゃぅ! ……あ、アリガトウゴザイマス……タスカリマシタ……」

 そんなやり取りをしている水上さんと井野さんが。


 ……やはり狙っていたなむっつりスケベ姫。同じ手は二度も食らわない……ぞ? 気づいたのは水上さんだけど。


 さらに視線をベッドの布団へと向けた水上さんは、スウっと目線を細め、おもむろに右手でベッドのなかをまさぐり始めた。

 その行動に多少驚きながらも僕もじっと見ていると、


「あと、筆箱と参考書も忘れられていますけど……」

 水上さんの右手から井野さんが使っている勉強道具が取り出された。


 おい井野。何をどうやったらベッドにペンケースなんて混入するんだ。もう確信犯を通り越してテロリストでは?

「……ぅ、ぅぅ……ありがとうございます……水上さん……」


 涙目になりつつ水上さんからものを受け取る井野さん。……泣きたいのはこっちのほうだよ。油断も隙もあったものじゃないよ……まったく。


 これ、さすがに大丈夫だよね? もう井野さんの忘れ物ってないよね? さすがに不安になってきたから、とりあえず僕は家のなかをひと通りチェックし始める。

「……も、もうあとは何も忘れてないです……ううう……」

「なら……いいけど……」


「お、お邪魔しました……」

「また機会があったら、お邪魔しますね、八色さん」


 井野さんは名残惜しそうに、水上さんは満足気な表情をして彼女たちは僕の家を後にした。……まあね、水上さんの場合、井野さんの策略を封じたわけだから、上機嫌にもなるよ。


「さて……」

 とりあえず、キスマークがついたところに絆創膏でも貼っておくか……。貼ったところでバレるんだろうけど、直接見られるよりはマシ……なはず。

 何はともあれ、お風呂沸かそう……。


 お風呂に入ってリフレッシュしたところで、僕はベッドに寝転んで読みかけの本を再び読み始める。そのうち睡魔に襲われるだろうから、あとは睡眠欲に身を任せるだけ……。


 と、思っていたんだけど。

「あれ……?」


 寝転がった視線の端、勉強机の足元に、何か光るものを見つけた。

 小銭でも落としたのかな……。

 不自然に思った僕はのそのそとベッドから起き上がり、視界に入ったそれを拾い上げようとするけど……。


「あ」

 これって……鍵、だ。僕の家のとは違う。

 と、いうことは……。

 僕が異変を察したその瞬間。


 ピンポーン。

「…………」

 というか、この鍵、見覚えがあるんだよなあ……。


 深夜二時。こんな時間にインターホンを押す人なんて数が知れている。恐る恐る玄関に向かってドアを開くと、

「……すみません、家の鍵を忘れてしまったみたいで……」

 一応申し訳なさそうな顔をしている水上さんが、目の前に立っていた。


「今日、泊めてもらっても、いいでしょうか……?」

 ……駄目って言っても泊まるよね、水上さんなら。っていうか、僕の家の合鍵も持っているはずだし。


「……い、いいよ」

 僕に残された選択肢は、これしかなかった。


 水上さんを家に上げて、お風呂に入ってもらっている間にしばらく出番がなかった寝袋を用意。胃がミシと軋む音を聞きながら、水上さんがお風呂から出てくるのを待った。


 三十分くらいして、いつか水上家でも見たお風呂上がりの彼女が部屋に現れる。そのときと違うことと言えば、全裸じゃなくて僕のジャージを着ていること、くらいだろうか。


「……はい、鍵」

「あ、あったんですね、よかった……。道に落としていたら大変なことになってたんで……助かりました……」

 嘘なのか本当なのかわからないけどそれはよかったです。


「おやすみ中、でしたか……?」

「いや、本読んでたからそういうわけじゃ……」


 僕と同じシャンプーを使っているはずなのに、なぜか僕よりいい香りを漂わせている水上さんは、ふとすんすん、と鼻を鳴らして何かを嗅ぎ始める。


「……あの、何か匂ったかな……?」

「いえ……生臭くないなあって思って」

 やめて、それ結構ダメージ強いから言わないで。高校生のとき美穂に「お兄ちゃんの部屋ちょっと変な匂いするー」って母親の前で言われたときの僕のいたたまれなさを思い出すからやめて。


 駄目だ、思い出したら急に恥ずかしくなってきた。もう寝よう。それがいい。

 いたたまれない過去を振り払うように、ぶんぶんと顔を左右に振って僕は寝袋に入ろうと立ち上がって、


「……僕は寝袋使うので……ベッドはどうぞご自由に使ってくだ──」

 水上さんにそう言おうとした。けど、その言葉は途中で打ち切られて、代わりに、


 ボスっていうベッドのクッションに人がふたり落ちる音が響いた。


「──さい……?」

「……家主の八色さんを寝袋でなんておやすみさせるのは申し訳なさすぎます。でも、私が寝袋使うって言っても駄目っておっしゃるに決まっているので、一緒に寝ましょう……?」

 仰向けに寝転がった僕を押し倒す形で、水上さんは僕に密着し、耳元で囁く。


「い、いや……それはさすがにっ……」

 彼女から離れようとするけど、がっちり両手は僕の体の左右に、両足は僕の足にからみついていて、無理に逃げようとすると多少手荒な真似をしないといけない状態。


「……それに、今は冬ですよ? 床で寝たら風邪を引いちゃいます。また私が看病に行くのは構わないですけど……こうして一緒に寝たほうが暖かいですし、一石二鳥です」

 二羽目の鳥が何なのかは聞かないでおくね。


 水上さんの細くて柔らかい身体が、これでもかと僕に触れられて、正直気が気でない。さっきも言ったけどいい匂いがするから尚更。


「……きっと、井野さんともこういうことしたんですよね? 不公平なので……私ともしてください」


 ……キャンプのときにやったのでぐうの音も出ない。

 彼女の要求を断る術を、見つけることができなかった。

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