第191話 本気の謝罪案件

 結論から言おう。やっぱり何も起きないはずがなかった。


 この日は、たまに来るちょっと忙しい日で、買取がひっきりなしにやって来たり、レジに長い行列ができたりしていた。


 休憩前から休憩明けまで、その流れは続いていて、カウンターに常に三人以上が籠る展開。まあ、要するに、休憩明けは夜番全員がレジか買取に当たっていたわけだ。


 ようやくその混雑が緩和されたのは、閉店一時間前。長いレジ打ちからようやく解放された僕と小千谷さんは、ふうと額の汗を拭いつつ疲れた表情で顔を見合わせた。


「なんか今日はやけに混んだなあ、何かあったっけ? 八色」

「……一応水曜日なんで、ノー残業デーではありますけど……」

「ノー残業デーくらいであんな混むことはないと思うけどなあ」


 水曜日も金曜以外の他の平日に比べて、ちょっと混むなあって感覚がすることは多いけど、言って誤差みたいなもの。ずっとレジだけを打つってくらい忙しくなるのは稀だ。


「水上ちゃんも、よく買取回しきったなあ。ひとりで何件捌いた?」

「……そ、そうですね……多分十件は超えているんじゃないかと思います……」


 カウンター裏に置いてある飲み物を軽く呷る小千谷さん。

「それだけの量をひとりで捌ききれたら水上ちゃんもそろそろ昇給だなー。なあ、八色」

「まあ、そろそろかもしれませんね……」


 僕もそれにならうようにペットボトルのお茶を一口含む。

 ……なんか、退職する前に研修を担当した浦佐・井野さん・水上さんを全員昇給させて終わりになりそうな雰囲気がするなあ。これは。


 浦佐と井野さんは週三でそれぞれ二年と一年半、水上さんは週四で半年だ。そろそろ、って思ってもいい頃だ。


「辞める前に三人一気にキャリアアップなんてさせたらある意味伝説よ、八色」

「……そもそも同じスタッフが研修を担当した後輩がこれだけ残るのも珍しいですし、その後輩が同じ時期に同じような業務量をこなすのも珍しいですし。普通に行ったら○○世代って言われるような黄金期になりますからね」


 まあ、黄金期になる前が一番大変なんだと思いますけど。

「そうなったら俺はお役御免かなー。ま、八色が辞めた後もめちゃくちゃやばい、ってことにはならなさそうで安心だよ。よっし、俺はちょっくらバック下がってやりかけの家電片づけてくるわ。それいいよね? 水上ちゃん」


 今日のフロコンは、水上さんだ。なので小千谷さんも彼女に指示を仰ぐ。これからは、こういう光景がもっと増えていく。


「は、はい。大丈夫です……」

 買い取った本やソフト類をそれぞれカートに移していく水上さん。さっきまで色々物が積まれていた買取カウンターもスッキリ綺麗になって、これでとりあえず通常の業務に戻れそうだ。


 そう思った矢先、ひとりの男性客がやや浮かない顔をして空っぽになった買取カウンターの前にやって来た。すぐに水上さんが対応に入ったので、その間に僕は止まっていた本の値付けの作業を再開したのだけど……。


 ……ん? なんか、トラブっている?

 男性客と水上さんの話が、なかなかに長い。かといって、何か商品を手にしていたり、在庫を調べてもらっているような感じでもない。


 すると、慌てた様子の水上さんが、お客さんから貸してもらったレシートを片手にソフトの買取分を乗せるカートに向かって、忙しなく何かを調べ始めた。

 うーん、大丈夫かな……?


 一分くらいしてから、水上さんはお客さんのもとに戻って話し始めるも、今度はすぐに僕のもとへと困り切った表情でやって来た。


「どうかした?」

「……えっと、それが……もしかしたら、ゲームソフトを一本、査定漏れしたかもしれなくて……」


 いつも落ち着いた調子で話す彼女だけど、このときはそれとは毛色が違う、完全に沈んだ声音で僕に説明した。

「……マジで?」


 それは普通にまずい。


 査定漏れとは、単純に査定を忘れてお客さんに金額を払わずに品物を引き取ってしまうことを指す。わかりやすく言えば、借りパクの上位互換みたいなものだ。


「……多分さっきの忙しい時間帯に来たお客様なんですけど、レシート見たら、持ってきていたはずのソフトが印字されてないってことで、確認しにきたみたいで……」


 僕は顔色が真っ青になっている水上さんの肩越しに、件のお客さんの様子を一瞬窺う。……ちょっと怒ってそうだなあ。それは当然なんだけど。


「ちなみに、そのソフトは何かわかる?」

「先週発売の、プチットモンスターの新作で……」


 ……なるほど。買取分が乗ったカートにそのソフトはぱっと見五本以上は乗っかっている。これでは判別がつかない。


「オッケー。後は僕が対応するから、バックから小千谷さん呼んで、一瞬だけカウンター守ってもらって」

「はっ、はいっ……」


 飛び跳ねるように水上さんはスタッフルームに走っていき、反対に僕はそのお客さんに、


「申し訳ありません、一分程度で確認終わらせますので、もう少々お待ちいただけますか?」

 とすぐに断りを入れる。大声を出すタイプのお客さんではないみたいで、無言で頷いてはその場に佇んでいる。


 その間に水上さんと小千谷さんも戻ってきて、小千谷さんはタイミング良くやって来たレジのお客さんの対応に入った。


「あ、あの……なんとかなりそうですか……?」

「ゲームソフトだからすぐにわかるよ。ちゃんと在庫管理している商材だから、未加工の在庫数と、あそこにあるゲームソフトの本数が合わなければビンゴ。それでもわからなければ防犯カメラもチェックしなきゃだから長くなるけど……」


 僕はカウンターに設置してあるパソコンで、プチモンの最新作の在庫数をチェックする。未加工在庫、つまりはまだ売り場に出していない在庫は七本。


「水上さん、そこにあるプチモンのソフトの本数は?」

「え、えっと……八本です……」


 はいビンゴです。完全にやらかしてます。


 さあて、どうやって対処すればいいかなあ……。言いがかりに近いクレーム対応は日常のようにやっているけど、今回のに関してはこちらに非があるから、どうしようもないんだよな……。最悪宮内さんに電話を繋いで、宮内さんから謝ってもらうパターンにもなり得る。


 ……さて、久しぶりに本気でまずい謝罪案件が来た。


 まあ、日ごろから後輩がやらかしたときに頭を下げるのが先輩の仕事と、井野さんには特に言っているので、頭を下げに行きますか。後のことは知りません。


 ああ、でも胃は軋むなあ……。膝も半分笑いそうだし。

 しかしお客さんを無駄に待たせるわけにはいかないし、

「お客様、確認終わりまして──」


 その後、どうなったかと言うと。


 とりあえず僕が謝るだけで済みました。三十分くらい謝り倒したけど。まあ、それくらいで済むならいいほうだ。多分優しいほうだろう。


「ご迷惑をおかけして申し訳ありませんでした」

 お客さんが帰ったのを確認して、とりあえず一息つく。


「お疲れ、八色。まあまあ長かったな」

「覚悟はしてたんで平気ですよ。ただ……」

 水上さんのテンションが完全に死んでいるな……これ……。

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