第189話 新生活の話
「た、多分っていうか絶対僕らじゃなくて、わざわざ八木原君に連絡してきたってことは、八木原君じゃないとだめなんだよ、うん」
相談事に意図があろうがなかろうが第三者が絡むとろくなことにならない。好転することもあるかもしれないけど、その逆も十分あり得る。
「……いや、それはわかるんですけど……電話とかラインじゃなくて、あーちゃん、わざわざこっちまで来て直接話をしたいって言っていて……」
おう……。なるほど、それはそれで重たい。
水上さんが住む尾久は比較的筑波には近いとは言え、やはり片道で四桁は下らない交通費だ。学生が何の気なしに出向ける場所ではない。
「そもそもあーちゃんがこうやって誰かを頼るなんてこと、僕は見たことないですし……どんなこと話されるか身構えていて……」
言ってみれば、いきなり美穂が実家から東京にやって来て僕に話したいことがあるって転がり込むようなものか。……スケール感に多少違いはあるとは言え、雰囲気はそういうものだろう。で、僕も美穂がこっちにいきなりやって来たらそりゃどんな話をされるんだろうってドキドキもする。
「……大丈夫だよ。だって元カレでしょ?」
「先生僕とあーちゃんの関係性知った上でそれ言ってますよねっ? 別に僕ら特別仲がいいわけでもないですからねっ?」
ああ、僕以外に突っ込みがいるってなんて安心できるんだろう。こんなボケになってないボケまで拾ってくれるなんて……。
「でも、やりたいって言うくらいの仲なんでしょ?」
おかげで水上さんのなかで男は「とりあえずやりたい」と考えている生物っていう認識を持って、僕の貞操その他諸々が危険にさらされたのだから、これくらいはしてもいいだろう。
「ちょ、え? あーちゃん、先生にそんなことまで話したんですかっ?」
「うん」
まさかそんな言葉が僕の口から出ると思ってなかったのか、電話口の向こうの八木原君は「ほわっ! いっでぇ……」と、タンスの角に小指でもぶつけた悲鳴をあげた。
「……小指かな?」
「惜しいです、親指です……でも痛いものは痛いです……」
「それはお疲れ様……」
「そ、それで……ぼ、僕がそう言ったのは……わ、若気の至りみたいなもので……」
まあ、わかるよ。十八とか十九歳ってめっちゃ性欲高いもんね、無駄に。何故かは知らないけど。
「気持ちはわかるよ……。で、おふざけはこの程度にしておいて……。そんな、お金貸してとかそういう事案ではないと思うから、ある程度肩の力は抜いていいと思うよ」
っていうか、それを言い出したら本格的に重さのベクトルがおかしいことになるから。
「そ、そうですか……?」
「そうそう、話聞く側が緊張したらする側も緊張しちゃうしね。リラックスしていいよ」
「は、はい……。わかりました、ありがとうございます、先生」
ひとまず納得の声色で八木原君は話したので、解決はしたのだろう。ただ……、
「……あと、そろそろ僕を先生って呼ぶの、やめない?」
いい加減こそばゆくなってきた。教員免許持ってないし、先生呼びはなんか……むずむずする。
「いえっ、先生は間違いなく僕より先に生まれていらっしゃるので僕の先生です。これからも先生呼びで通させてもらいます」
「……まあ、うん。好きにしていいよ、うん」
突っ込もうかとも思ったけど、そもそもあまり八木原君とは関わらないだろうから、やっぱりどう呼ばれてもいいや。
「それじゃ、相談落ち着いてやってね」
「はい、では失礼しますっ」
そうして八木原君との電話は切れた。
正直、かなり何を相談するか気になるけど、そこは触れないほうがいいだろう。僕には相談しないってことは、つまりはそういうことなんだから。
次のシフトの日、その日は僕、井野さん、浦佐の三人で回す日だった。件の水上さんは二日続けてシフトに空きを作っていて、恐らく八木原君のいる筑波に、この二日間の休みを使って会いに行っているのだろう。
「そ、そういえば八色さんって、春からどちらに住むとか、決まっているんですか?」
休憩後のカウンター、隣で作業している井野さんに話しかけられる。
「あー、実はまだなんだよね……」
ぼちぼち引っ越し先も探し始めてはいるんだけど、いまいちピンと来るものはない。これまでの経験で、風呂トイレ別、脱衣所はあるワンルームがいいって希望はあるけど。
……いやだな、社会人になっても脱衣所の有無で日常にひとさじのスパイスが混ざるのって。
「も、もう勤務先とかは……」
「それは確定してる。中野区って通達が来ているから、その近辺かなあとは思っている」
僕が中野区、と口にすると、一瞬パアっと顔を井野さんは輝かせた。……あれかな、意外と近かったってことかな。そうだね高円寺の隣、中野だもんね。近いどころの話じゃないね。
「中野区だったら最悪今の家のままでもいいんだけど……、地獄の満員電車乗りたくないし、もうちょっといい部屋に住みたいっていうのはあるし……。そろそろちゃんと不動産屋行って調べないとなあ……。あ、引っ越しと言えば、井野さんは大学も実家から通うの?」
「は、はい。受ける大学、全部都内なんで、ひとり暮らしする必要もないかなって……。あと、お父さんがひとり暮らし『は』危ないから嫌だって言っていて……。ちょっと憧れはあるんですけど……」
うん、ひとり暮らし「は」危ないんですね。なんとなくわかりました。ここで井野さんのお父さんが意図するところを掴めた僕は、もうお父さんのお友達と言ってもいいのかもしれない。……いや、実際友達だろう。一緒に野球見に行ったり、キャンプ行ったり。
どうせ、冗談みたいな口振りをして実は本気で、「ああ、でも八色君とシェアルームするなら全然いいよ」とか言うんだろう。きっとそうに違いない。
「円ちゃんはひとり暮らしを止められているから、実家から通うんすか?」
すると、定位置のソフトの加工場から、両手に加工済みになったゲームソフトの山を抱えた浦佐がやって来た。
「う、うん。そうだよ」
「浦佐はどうするの?」
「自分、受ける大学のキャンパスが全部都区内にあるっすから、近いところにひとり暮らししようかなって思っているっす。満員電車はもうこりごりっすからね」
まあ、僕と似たような感情か。東京で暮らす場合は、多少無理しても勤務先や通学先に近いところに住んだほうがいいとか、俗説には言うしね。
「まあ、あとひとり暮らしだと誰の目を気にすることもなく、ゲーム実況の撮影もできるっすし。なんだったらスタジオ的に使うかもしれないっす」
あー、はい、確かにあなたの場合だとそれもあるから尚更ひとり暮らししたいかもね……。
「でも、やっぱり都区内のアパートってちょっと高いんすよね。両親はひとり暮らしするなら食費は出すけど家賃と水道光熱費は自分のバイト代でどうにかしろってスタンスなんで、どうしようかなあって」
なるほど、浦佐の家は自分で責任を取れるなら好きにしろって方針なのね。まあ、らしいと言えばらしいか。
すると、そこまで話すと、ピコーンと浦佐が閃いたとばかりに、
「あ、そうだ。自分と円ちゃんでシェアルームすれば、安上がりになるんじゃないっすか?」
そう言いだした。
……うん? 地味に名案だったりするのか?
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