第187話 き、気まずい……
あまりにも水上さんの顔が腫れぼったかったので、見かねた僕はトレーニングがてら水上さんと小千谷さんをお客さんの目につかないソフト加工場に幽閉させた。ま、まあいつか教えないといけなかったから、ちょうどいいと言えばちょうどいいのだけど。
……多分、あの顔で売り場出したら、お客さんがみんな心配して声かけちゃうの躊躇ってしまう。水上さんにもよくないし、お客さんの居心地が悪くなるのもいただけない。
ま、まあこういうアクシデント的に配置が決まってしまうのは多々あることで、そう珍しいことではないからいいんだけど。……ほら、このお店のフリーターの人って基本的に満身創痍だから、たまに壊れることあるし。たまに。日本の非正規雇用の縮図を見ている気がするけどそこは頑張れ霞が関ということで。
そんなふうにして迎えた休憩後の時間。僕はカウンター、水上さんと小千谷さんはソフト加工場に引き続き配置しているなか、とても心配そうな顔つきをした小千谷さんが僕のいるカウンターにやってきた。
「……やべえよ、水上ちゃんの顔が死に過ぎて怖いって、八色何か知らないのか?」
「ぼ、僕に聞かれても……本人は映画見たからって言ってますけど……」
「映画見ただけであんなに顔腫れるんだったらこの世から涙なんか消えるわけないだろ」
……いや、何どさくさに紛れてクサい台詞吐いているんですかあなた主人公か何かですか? あと世の映画好きに今すぐ謝ってください。今すぐに。
「そもそも、普段感情なんか滅多に表にしない水上ちゃんが夜通し泣く時点でただ事じゃねえだろ。八色、さてはお前何かやらかしたな?」
「……なんでそこで僕が出てくるんですか」
「女が泣くなんて男か親族が亡くなったかって相場が決まっているんだよ。そもそも誰か亡くなったならバイトどころじゃないだろうし、じゃあ男ってわけだよ」
事実かどうかは知らないですけど、その勘の良さを少しは自分のことに使ってあげてはいかがですか? 津久田さんが不憫ですよ。……いや、最近はあなたが不憫なんだっけ。なんだ、この不憫な者同士のカップルは。残念にもほどがあるでしょ。
「水上ちゃんの交友関係は俺は知らんけど、身近な男と言えば八色だし、じゃあ八色絡みかなーって。第一週四で来ているバイト先の先輩だぜ? 一年の半分以上はここのバイトに費やしているんだ、何か知ってるだろ多分」
「……その論理で言えば小千谷さんも水上さんの先輩ですけど」
「俺は直属の上司ではないもの。たまにしか水上ちゃんと関わらないし、第一水上ちゃんを泣かせる方法が思い浮かばない」
確かに、水上さんが泣くイメージは湧かないけど……。
「井野ちゃんと浦佐だったら簡単なんだけどなー」
軽く最低なことも言いましたね。発言の落差がデカすぎるんですよ小千谷さんは。
「井野ちゃんはとりあえず八色のあんなことやこんなこと言っておけば勝手に泣いてくれるだろうし、浦佐は身長いじりしていればそのうち泣くし」
「へー、じゃあ私は何をしたら泣くの?」
「そうだな、佳織は……えっ?」
僕と小千谷さんの雑談の輪に、ぬるっといつの間にかお店にやって来ていた津久田さんが混ざった。
「ねえ、こっちゃん教えて? 私はどうやって泣かせるの?」
ニコニコとあからさまに作った営業スマイルを津久田さんは浮かべる。多分……仕事をするうちに覚えたものなんだろうけど、知り合いに、しかも幼馴染の小千谷さんに向けるとなると、また別の意味を持ちそう……。
「え、えーっと……そ、その……えーっと……」
「年下の女の子を泣かせる趣味があったなんて、私悲しいなー。こっちゃんがそんな人だったなんて、私ショックだなー。ねえ、知ってる? 撃っていい人間は、撃たれる覚悟がある人間だけだって言葉」
「さ、俺は仕事に戻ろうかなー。おーい、水上ちゃん。なんかわかんないところあるかー?」
踵を返してソフト加工場に逃げ込もうとした小千谷さんに、津久田さんはさらなる追い打ちをかける。
「あ、そうそうこっちゃん。最近ウチの会社、パソコンの買い替えをしたんだけど、その際に古くなったパソコン、私の家で引き取ったんだよねー? 売りたいんだけど、いいかな?」
「……は? ぱ、ぱそこん……?」
足の向きはソフト加工場、しかし顔の向きだけは津久田さんに振り返った小千谷さんは、みるみるうちに青ざめていく。
「な、なあ。八色君、君パソコンの買取って──」
「できなくはないですけどカウンターが事実上ゼロになりますね。ながら仕事で査定できるほどパソコン詳しくないですし。水上さんのトレーニング僕が見るので、小千谷さんその査定お願いしていいですか?」
「え、で、でも……」
「僕が査定すると、適正価格の五割増しとかで買い取っちゃうかもしれないなー、不安だなー」
「だあ、もうわかった、俺がやる、俺がやるからそれでいいだろ?」
「ふふ、やった、じゃあこっちゃん、お願いね」
と、笑顔マシマシで津久田さんはノートパソコンを買取カウンターに置いて、そして、
「で、どうやったら私を泣かせることができるの? それも教えて欲しいなあ、こっちゃん」
「た、助けてくれえ、八色おおおお」
「いらっしゃいませー、こんばんはー。当店先ほど、コミックの大量入荷、大幅値下げを行いましたー、是非ご利用くださーい」
「無視するなあああああ」
あなたが軽はずみな発言するのがいけないんです。さ、僕は自分の仕事やらないと。うん。
「あ、あの小千谷さん、ブルーレイの研磨ってどうやれば……」
と、タイミング悪く、ブルーレイディスクを指にはめて水上さんがカウンターに出てきた。
「あー、ごめん水上ちゃん、今俺パソコンの買取やってるから、八色に聞いて。八色でもある程度は答えられるはずだから」
「……なんですかその僕はソフト加工においては無能だ、みたいな言い回しは」
「実際浦佐よりは下手くそだろ?」
「……そうですけど。……で、ブルーレイの研磨だっけ? そうだね──」
僕がそんな水上さんに話しかけると、一瞬だけ複雑そうな顔を作ったのを僕は見逃さなかった。いや、複雑そう、というよりは、ほんの僅か、不安そうな顔色だろうか。
うん? そんな顔、本格的に初めて見たぞ? 本当に僕何かやらかしたのか?
今まで水上さんに襲われることはあれど、不安がられたことは一度たりともなかったはず。なんせ僕は捕食される側だったから。
それが、今は……ええ?
気づかないうちに水上さんの気に障るようなことでも言ったのか、やったのかな……。心当たりがないから尚更なんだけど。
それとも、僕が年末までに決めるって言ったのが不満だったりしたのか……? 口では大丈夫って言ってはいたけど……。
うーん、わからない……ほんとによくわからない……。
頭のなかにクエスチョンマークが多数浮かびながら、僕は水上さんにソフト加工について聞かれたことを順々に説明していた。仕事は仕事だからね。
閉店後、一応水上さんからお礼は言われたけど、その表情は晴れないまま。
僕の疑念もますます影を濃くする結果になってしまった。
どうでもいいけど、小千谷さんはこってり津久田さんに絞られたみたいで、パソコンの初期化をしながら、「もうバイトの後輩を泣かせたりなんてしません」と泣きながら誓わされることになっていた。
……逆にどうしたら勤務中に泣く結果になるんだ……。
それはそれでまた、気になる。
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