第164話 本能としては間違っていない

 その日の仕事中、井野さんは機械みたいにカチコチになりながら動いていた。 

「……だ、大丈夫? 井野さん?」

「ひゃ、ひゃい……。だ、大丈夫です……」


 ……本人は大丈夫と言っているけど、本に貼るラベルがさっきから一冊ずつずれている。数学の参考書にスピリチュアルの本のラベルが、そのスピリチュアルの本に文芸書のラベルが、みたいな感じに。


「……その割には、さっきから色々やらかしているけど……」

 間違えて貼られたラベルを剥して、正しい本に張りなおすフォローを入れつつ、僕は遠い目で井野さんに言う。ちなみに水上さんは補充に出ている。


「すっ、すすすすみましぇん……」

「べ、別に怒っているわけではないけど……」

「……そ、その……い、今まで浦佐さん以外の人に遊びに誘われることなんてなかったので……あ、慌てちゃって……」


 おう。あまり聞きたくないお話でしたね。……まあ、僕のときは基本井野さんから誘っているし、高校で友達いないのなら浦佐しかいないだろうしね。


「普通にしていていいと思うけどね……。そんな命を取られるわけでもないし……」

「で、でも……い、今まで全然そんな関わりなんてほとんどなかった水上さんから誘われるなんて……何か裏があるんじゃないかって……」


 もう完全に水上さんイコールヤバい人、の認識が井野さんに出来上がっているよ。そりゃあまあ僕と井野さんがふたりで行くところ行くところに出没するし、僕の家の鍵をピッキングしているところも目撃しているはずだし、そうなるだろうけど。


「……た、単純に井野さんと仲良くしたいだけなんじゃないかなあ……」

「や、八色さんに……は、裸を見せるのを恥ずかしがらない水上さんですよ……?」


 ……恥ずかしくないってことはないと思うけど。水上さんの場合、恥ずかしいって感情より僕とどうにかなりたいって欲が先行するだけで。……何冷静に分析しているんだ? 僕。


「つ、津久田さんも同伴するんだし、何もないよ、うん」

「そ、そうだといいんですけど……」


 一瞬、売り場でゲームソフトの補充をしている水上さんと僕の目が合う。すると、微かにニコッとした笑みを向けて、また棚に向かっていった。

 ……この意味深な笑みはなんなんだろう。


 いいや、考えるのはやめよう。頭が痛くなるだけだ。

「……み、水上さんもいい子だから。基本は。だからそんなに穿ったふうに見なくてもいいと思うよ……?」

「…………」


「ど、どうかした……?」

 急に井野さんが黙り込んでしまうから、不安になって僕は聞いてしまう。


「……し、仕事中だから仕方ないですけど……あ、あまり他の女の人の誉め言葉聞いちゃうと……わ、私だって、し、嫉妬しちゃうんですからね……?」

「……それはすみませんでした」

 以後気をつけますね……。


「あ、お売りいただけるお客様ですねー、お伺いしまーす」

 そんな雑談も挟みながら、今日も営業時間を過ごしていった。


 バイト終わり、新宿駅のコンコースで井野さんと別れたのち、水上さんとふたりになる。そのタイミングで、

「……ところで、どうして井野さんと買い物行こうって提案したの?」

 なんだかんだで気にはなっていたのでその質問をぶつける。


「……自分で言い出しておいてうやむやにするのは気分が悪いので」

 やはりか。嘘はつきたくないみたいですね。

「……それだけ?」

 ただ、それだけだとちょっと理由に足りないというか……。


「……八色さんがなかなか私を選んでいただけないので、競合相手の井野さんのいいところを探ろうかと思って……」

 想像していたよりかはホワイトな理由だった。いや、水上さんなら「これ以上八色さんにこだわると痛い目に遭いますよ?」とか「一万円渡すので諦めてもらっていいですか?」とかやりかねなさそう。……割と真面目に。


「へ、へぇ……」

「……ついて行きたいですか?」

「いえ、僕は遠慮しておきます」

「……即答はさすがに傷つきますよ? 八色さん」


 と言われても……水上さん、井野さん、津久田さんの間に入って歩ける自信がないです。なんていうか、全員癖がある人なので……。いや、癖がなかったとしても無理です……。そんな空間恐ろしくて歩けません……。


「まあ、別にいいんですけどね。それに、井野さんとは今後もお世話になる同僚ですし、親睦を深めておいて損はないと思いますし」

 ……おっしゃる通りだと思います。というか、そのふたりには仕事という意味でも関係をよくしてもらわないとまあまあ困るふたりなので……。


「あ、でも八色さんが今すぐ私を選んでいただけるなら、何も問題はないんですけどね……?」

「それはちょっとできない相談かなあ……」


「……そういえば、そろそろ危険日なんですけど……どうですか?」

 久しぶりに聞いたねそれ。結構久しぶりな気がするよ? どうですか? って誘い文句としては限りなく違う気がするんだよ。普通逆じゃない? 安全日だから安心してくださいって誘うのが普通じゃない? ……そこらへんが水上さんらしいというか……なんというか。


 いや、まあ本来子供を産むためにする行為だから生物の本能としては間違ってはいない……のか?

「……うん、無理は禁物だからね。ははは。じゃあ、僕はここで」


「……八色さんだったらそうやってはぐらかしますよね……。はい、では、また次のシフトで。お疲れ様でした」

「うん、お疲れ様―」


 ……とりあえず、後で井野さんにそれとなーくフォローを入れといてあげよう。せっかくのお出かけなのに、ビクビクしながら迎えるのは不憫でしかない。

 あとは、そこで何事も起きないことを祈るばかりです……。


 ホームに上がって快速電車を待ちながら、ポチポチとスマホでタイムラインを眺める。そろそろハロウィンまで一か月を切るということで、ちょくちょくそれ関係の広告やツイートが流れてくるようになってきた。


 今までハロウィンとは無縁の生活をしてきたからさして関心もないのだけど……。

 ……今年はお菓子は用意しておいたほうが自衛になるかな……。


 じゃないと、いたずらと称して何されるかわかったものではないから。

 お菓子会社の戦略に乗るようで気は進まないけど、今度買い物に行くときに小分けになっているチョコレートや飴を買っておこうと考えつつ、やってきた電車に乗り込んで家路へとついた。


 ……ハロウィンが過ぎたらいよいよ年末か……。今年は帰省するって言っちゃったから、帰らないといけないんだよなあ……。

 色々と考えないといけないことが増えてきたなあ……。

 まあ、そのうち特急券とか押さえるとして。


 井野さんにライン送っておこう……。

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