第143話 ぐったり八色君

「いやー、楽しかった楽しかった」

 キャンプ場から撤収し、家へと戻る帰り道。運転席で上機嫌そうに言う章さん。

「…………」

 そんな章さんとは対照的なテンションの僕、と何故か顔が青白い井野さん。


「あと少しで八色君の最寄り駅に着くからねー。それまでの我慢だから」

「ひぅっ……ぅ、ぅぅ……」

「あああ、はいっ、袋っ、袋っ!」


 身体をうねらせて前傾姿勢を取り出した井野さんに反応して、僕は大きなビニール袋を彼女の口元に持っていく。

 ……結論を言おうと思う。


 井野さんは帰り道も車に酔った。というわけで、今も吐きそうになっている。

「行きも帰りもこんなことになるなんてね、ほんと八色君がいて助かったよ」


 なんで? 昨日ちゃんと井野さん寝てたよね? お化け騒ぎとかあったけど、五、六時間は寝ていたよね? 寝息まで立ててたよね?

「……僕はこんなことになるんだったら章さんとふたりでキャンプに行くことを選択してましたよ。僕今日これからバイトなんですよ……ああ、吐くなら事前に言って! はい、はいっ!」


 ……いや、これもうただ単に井野さんが車に弱いか、実は昨日も寝不足でしたの二択なんじゃないでしょうか?


「円だけ電車で帰ればよかったかもね。電車だったら酔わないから」

「ほんとその通りすぎてもはや後悔する暇もありませんよ。ああっ、ちょっと待ってちょっと待って、今袋替えるからまだ待ってっ!」


 そんなさ、二日連続でこんなことすると思わないよね……? とほほ……。

 とまあ、帰りも主に僕の絶叫が止まらないある意味でハイテンション、ある意味でローテンションの騒がしい車内になりました。


「お、お疲れ様です……」

「おー、八色。お疲れーって……なんかすっげー顔がやつれているんだけど、どうかしたか?」


 それから、お昼前に家に帰った僕は軽くシャワーを浴びて、二日間で溜めた洗濯物を一気に減らして、お昼を食べてと休む間もなくお店にやって来た。おかげで足が石のように重たいし動かない。


「……お、小千谷さん……今日僕売り場出たくないです……」

 僕がそう言うと、小千谷さんは雷に当てられたように衝撃的な顔をして、神に訴えかける大げさな口調で話しだした。


「お、おお、なんてことだ。あの売り場を愛し売り場に愛された男・八色が『今日僕売り場出たくないです』だって? 革命だ、これは由々しき事態だ。おお神よ、我々に救いの手を」

「…………」


「普段の八色だったら『なんですか神ってそんな話じゃないでしょ』とか突っ込みを入れるのに今日はそれがないだと? これは本格的にやばいかもしれないな」

「もう僕は疲れているんです……余計な体力使わせないでください……」

 スタッフルームの机の上に私服のままへなへなと突っ伏す僕。そのタイミングで、


「お疲れ様っすー」

 半袖に短パンという小学生の夏休みか、と言いたくなる格好の浦佐がやって来た。まあ疲れているから言わないけど。


「あれか? 昨日の休みから実はよくあるAVの企画モノで何発も出してきたのか? それでそんなにぐったりしてるのか?」

「もうなんでもいいですよ……」

「「え」」


 小千谷さんの適当な発言にも適当に返すと、ちょうど来ていた浦佐が驚愕の表情で僕のことを見てくる。小千谷さんも同じ。

 ふたりは僕から距離を取ったロッカー前に集まって、ひそひそとコミュニケーションを取り始める。


「い、いくらなんでも嘘っすよね? 太地センパイがそ、そのAVに応募して出てってくだりは……」

「多分嘘だと思うけど……八色があんなにふにゃふにゃしているのなんて俺初めて見たぞ。ツッコミにキレがないどころかツッコミを放棄しているからな」


「そ、そうっすよね……安心したっす……」

「ふーん? 安心した、ねえ」

「ちょ、ちょっと何ニヤニヤしてるっすかおぢさんっ。べっ、別にそういう意味じゃないっすからねっ、ほ、ほんとにっ」


 おふたりはいつも通りみたいで何よりです……。ああ、動きたくない……。疲れたよ……。

「みんなー、お疲れ様あ。あらあ? どうしたの太地クン。そんな歌舞伎町で男にナンパされてきたみたいな顔色してえ」


 そこにいつでもどこでも爆弾を投下してくる宮内さんの登場。これはもしかしなくてもカオスの予感が。

「……あら? もしかして本当だったりするのかしら?」


「いや今の八色は魂が抜けているんで何言ってもまともな返しはしないんであてにしないほうがいいです。おい八色、今日のフロコン俺がかわればいいのか? そしてお前をソフト加工に幽閉すればいいのか? それで満足か? 満足なのか?」

「わーい、ソフト加工なんていつぶりだろうなあ……」


 なんて気の抜けた声を僕が出すと、ロッカー前の井戸端会議に宮内さんも加わり、ひそひそ話を再開する。


「あの太地クンが売り場じゃなくてソフト加工に入りたがるなんて。採用してからそんなの見るのワタシ初めてよ」

「なんか今日の八色、色々とおかしいんすよ。売り場出たくないとか言い出すし、ツッコミも放棄しているし」


「あれ? そういえば、太地センパイって円ちゃんとキャンプ行くとかなんとか言ってたっすけど、それってもしかして昨日今日だったりするっすかね?」

「は? 八色そんなリア充みたいなイベントを消化していたのか? 許せんな。っていうかそんな面白いイベントがあるなら俺も誘えよ。っていうか、それ知ってるならAVのくだり心配する必要なかったんじゃ」


「ひ、日にちまでは知らなかったんすよっ。……いや、おぢさんと円ちゃんプライベートで関わりないじゃないっすか。自分もないのに、いきなりキャンプなんて誘えるわけ」

「マジレスはやめろ浦佐」

「……じゃ、じゃあそろそろ夕礼、にしないっすか……?」

「そうだな」「そうだね」


 僕が突っ込みを放棄すると、どうなるのかなと不安にもなったけど、なんとかうまいこと着地はしてくれたようだ。


 いや……昨日今日とあれだけ身を削るイベントからの、後途も多難だったんだ。

 もう何もしたくないくらいぐったりともなるよ……。お店に来ただけ褒めてもらいたい……。


「た、太地センパイー。夕礼っすよー。制服に着替えてくださいっすよー」

 その日のバイトは、基本的に接客する必要がない浦佐の定位置、ソフト加工に一日中籠って仕事をさせてもらった。


 浦佐はずっとブーブー言っていたけど、今日くらいは許してくれ……。

 こんな状態で接客したら、暴走した井野さんばりに失言をかましそうだ……。

 時折やってくるAVの加工物にピクリともせず、僕は淡々と作業を行っていた。

 

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