第82話 これはピッキングではありません

「むにゃむにゃ……くふふ……お兄ちゃん……むにゃむにゃ……」

 翌朝。ベッドには、こんな寝言を口にしながら心地よさそうに眠っている美穂が。


 昨夜、お風呂から上がってさあ寝るとなって、美穂は当たり前の顔をして僕のベッドに潜り込んだ。……まあ今までなかったわけではないからもうなんでもいいや。ついさっきまで美穂の裸を見て感覚がバグったんだ。一緒の布団で寝るくらいもはやなんでもない。……どうでもいいけど、英和辞典引いて「sleep with A」って引くと、まあ、そういうことになるんだよね。いつ調べたかなんて聞かないでもらいたい。誰だって英和辞典でそういう単語を調べて喜んでいた時期があっただろう。


 今日もシフトがある。……というか、僕がバイト行っている間、美穂はどうするつもりなんだろう。家で留守番でもするのかな。……美穂のことだから、ついていくーとか言い出しかねないけど、ついてきたところで勤務中は面倒見てあげられないし。


 休みの日だったら新宿でも渋谷でも舞浜にある夢の国でもスカイツリーでも連れて行くけど……。

「さて……そろそろ起きなきゃ……ん?」

 なんて考えごとをしていると、何やら玄関から人の話し声がする。それも複数人の。


「……隣の大学生が宅飲みでもしたのかな」

 そう思いつつ寝癖の残る髪をポリポリと掻きつつ玄関のポストを確認しようとドアを開けると、


「ず、ずるいっすよ水上さん、ピッキングで鍵を開けようなんて。そんなのが許されるのはHI〇MANの暗殺者だけっすよ」「そ、そうですよ水上さん、さすがにそれは犯罪ですって」「……何を言っているんですか? これはピッキングではなく合鍵ですよ?」

「「どこをどう見てもそれは鍵じゃないです(ないっすよ)」」


 …………。さ、今日は新聞配達まだ来てないみたいだなー。道にでも迷っているのかなー。就活のために取り始めたところあるから、そろそろ止めてもいいかもしれないなー。学費に回したいし。


 遠い目をして僕は無言で開けたドアをそっと閉じようとした。例えるなら、ちょっと立ち読みして買うかどうか決めようとしたら、たまたま開いたところが地雷シーンだったときとか。グロシーンが苦手とか、暴力描写が苦手とか、色々ね。

 そんな感じ。


 しかし、閉める間際、隙間から僕と水上さんの目が合ってしまう。数瞬後。

「あっ、八色さん……」

 その言葉とともに水上さんがドアの隙間に足を挟んで、閉めかけのドアをこじあけようとする。

「な、なにしてんのっ、ドア壊れる、壊れるからっ」

「八色さんっ、妹さんとはっ」

「そ、そうっすよ、あのあと本当にお風呂入ったんすかっ?」

「……お、お風呂場であんなことやこんなこと……はぅ……」

 なんか……ひとりだけ自爆している人がいるんですが……。そんなことより。


「お、落ち着いて、っていうかなんでこんな朝早くからいるの」

「……そんなの」「決まってる」「じゃないっすか」

 もう何もかもがカオスだ。決死の表情で僕の家になだれ込もうとしている三人。早朝八時から玄関前で騒いで……もうすみません、別に宅飲みしてたわけじゃないのに。


 女子三人とは言え僕ひとりではドアを閉じきることができずに、結果押し入れられてしまう。

「すんすん……すんすん……特に変な匂いはしてないですね」

「にっ、匂い……ひゃう……」

「み、水上さん、何言ってるんすか、さすがにそれはあり得ないっすよ」

 玄関に尻餅をついたまま、僕は部屋に突入した特殊部隊三人を見送る。


 ……あれですか、事後の匂いでも探しているんですか。ゴミ箱の中身漁るんですか? 探偵か。探偵ですか。

「別にそんなことしていないって……」

 部屋に入りテレビの前にそっと座って、動き回っている三人を渋い目をしつつ見ている。


「……い、一緒の布団で……」「寝てるっす……」

「……八色さん?」

「だーもう、だから何もないってっ、妹だから」

 僕らがあまりに騒ぎすぎたからだろうか。ベッドで寝ていた美穂が、ごそごそと動き始めて、


「んん……お兄ちゃん……? あれ……? なんでお兄ちゃんの家に昨日の人たちと……知らない人がいるの……?」

 目を両手でこすりつつ、寝ぼけ眼で部屋にいる三人の顔を見渡している。


「……もしかして、このお姉さんが、お兄ちゃんの彼女とか……言わないよね?」

「それはないから安心して」

「……八色さん、それを即答はちょっと悲しいです……」

 だって事実じゃないですか。僕らただの先輩後輩ですからね。


「そうだよねー、やっぱりお兄ちゃんには私がいるもんねー」

 僕の否定にやはり安心したように、美穂は座る僕の膝に頭を乗せてすりすりしてくる。

「ひっ、膝枕……」「簡単にしたっす……」「私だってしてもらったことないのに……」

「み、美穂、人前でそれはさすがに」

「人前じゃなきゃいいんっすね……」

 もう何もかもがハチャメチャだよ……。もうどうすればいいんだよ。


「……井野さんと浦佐は夏休みだからまだわかるんだけど、水上さん授業は?」

「…………」

 あるんだね、あるんですね。テスト前でしょ授業は行きなさい、大抵テスト前の授業は範囲とか先生によってはテスト問題を公開したりとかするんだから。


「や、八色さんが間違いを犯していないかどうかの確認は単位より重たいんです」

「単位落としまくると親に連絡行くって知ってる?」

「…………」

「ちなみに一限?」

 みたび押し黙る水上さん。おい水上。今から一限のために大学行っても間に合わないんじゃ。


「……早く行きなさい」

「でっ、でも」

「いいから」

 短い間でプレッシャーを与える僕。とうとう根負けしたのか、

「……き、今日のバイトでじっくりお話伺いますからね」

 苦渋の表情をした水上さんはあちこちに目を移してから、苦々しく言い捨てて、そそくさと家から出て行った。


「……で、君ら高校生組は? どうするの? 今日ふたりは休みでしょ?」

 そう尋ねるも、ふたりは水上さんと同様に何も話さない。ノープランか、ノープランで来たのか。


「……ふたりは暇なの?」

「そ、そうっすけど……」「はい……」

 ……高校生の夏休み、それでいいのか。暇でいいのか。

「はぁ……もういいよ、なんでも……」


 もはや突っ込む気力もなくなってきた。膝枕の美穂、単位をかなぐり捨ててまで家に来た水上さん、高三の夏休みを暇している井野さん、浦佐。

 ……絵の具混ぜすぎて真っ黒になったバケツの水かよ。

 ああ、バイト先だけでいいはずだった突っ込みがここ最近自宅でも必要になってきている。……時間外労働の手当って降りないのかなあ……。

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