第49話 趣味:野球観戦(意味深)
人間関係の拗れって拗れるときはほんとびっくりするくらいスムーズに拗れるもので、全盛期の某二遊間のゲッツーかってくらい滑らかにいってしまう。
水上さんと休憩時間に軽くお話をした翌日、浦佐の家出四日目。この日の出勤は僕と水上さんと井野さんだったのだけど……。
例によって、出勤前にスマホをいじっていた僕と水上さん。そこに会話はなく、ただただ気まずい時間が流れていた。
「……お、お疲れ様です……」
今日は土曜日ということもあって、カジュアルっぽい私服でお店に来た井野さん。薄い青色のジーパンに、シンプルな真っ白なカットソーという格好だ。
「あ、お疲れ様―」
「……お疲れ様です」
なんてことだ……。水上さんのテンションが低すぎて、普段から大人しい井野さんと区別がつかない口調になってしまった。……逆に、普段がこれの井野さんが落ち込むと一体どうなるのだろうかっていう、純粋な興味はある。
まだ夕礼まで時間に余裕があるので、井野さんもまだ制服には着替えず、荷物だけロッカーにしまってスマホを片手に空いている僕の近くの椅子にちょこんと座る。
「……あ、あの、八色さん……」
「うん? どうかした?」
そして、井野さんは申し訳なさそうに顔をすくめては、僕にこう切り出した。
「さ、再来週の木曜日って、空いてますか……?」
「えっと……空いてる、けど……何か?」
僕はスマホに保存しているシフトの写真を確認して、そう答える。
「……私の父、野球の試合を見に行くのが好きで、たまに球場に行くのが趣味なんですけど……、仕事の知り合いからチケット三枚貰っちゃったから来ないかって言っていて……」
その瞬間、僕ら三人を取り巻く空気が止まった。いや、より正確に言うなら、水上さんの周りの空気が凍った。僕はそっと水上さんの様子を窺ってみるけど……。
あれ……? 思ったより、怖い顔をしていない。……というよりは、むしろ悲壮な雰囲気が流れている。
「えっと、ちなみにどこに?」
「神宮球場みたいです」
これで千葉とか横浜とか言われたら断ろうかと思ったけど、神宮ならほぼ新宿だ。
「あー、なるほど……ちなみに、あとの一枚は誰が?」
僕とお父様で二枚。でも、貰ったチケットは三枚だ。
「……今のところ、私が行くことに、なってて……」
ガタッ。椅子の足と床がぶつかる音がして、つられるように僕はそちらに視線を移す。
「……今度は父親同伴父親同伴父親同伴」
ガタガタと何かこの世の終わりを目にしたような震え声でそう呟いている。井野さんは不思議なものを見る表情で水上さんのことを一瞥したのち、また僕のほうを向く。
「ど、どうでしょうか……?」
すがるような目線を横から感じるけど、とりあえず気づかなかったことにしておく。
「……まあ、その日は予定ないから別にいいけど、僕でいいの?」
なんか、父、娘ときたらそこは母なのでは? とも思うけど。
「父、八色さんのこととても気に入ったみたいで……『次はいつ家に来るのかい?』としょっちゅう聞いてくるんです……。なかなか来ないから、じゃあそれなら自分から会いに行こう、そう考えたみたいで」
……あれですか、僕は会いに行けるアイドルみたいなものなんですかね。いやあ、再会することを祈られたり、会いに来てもらったり、偉くなったなあ僕も……。
「……父親公認、親との仲も良好……そ、そんな……」
そして今ガクガクブルブルと震えていらっしゃる水上さんのことも僕は心配です。大丈夫でしょうか……。
さらに、そんな彼女を見た井野さんが僕に、
「水上さん、どうかされたんですか……? さっきから様子が変というか……」
耳打ちをしたのがトドメになったのだろう。
魂が抜けたように水上さんは完全にフリーズしてしまい、夕礼が始まる直前まで再起動することはなかった。
こうなると、水上さんは僕に近づかないようになってしまった。あちゃあ……宮内さんが立てたフラグを綺麗に回収しちゃったよ……。拗れたなあこれは……。
なんか変に爆発しなきゃいいんだけど……。
休憩後の配置もかなり悩んだ。いや割と真面目に。どう組み合わせても気まずくなるイメージしか湧かない。土曜日だからボトムとはいえまあまあの混雑になる。カウンターは確実にふたり必要だ。僕がカウンターに入ると、水上さん、井野さん、どちらと一緒になっても棘が生まれる。……どちらも水上さんに、だけど。
じゃあ僕が補充でこのふたりにカウンターを任せるというのもありはありだけど、変なスイッチが押されたりしないか不安。結論、どうしたかと言うと──
「ありがとうございました……」
僕が泥を被るような形にさせていただきました。井野さんには、大好きなBL漫画の棚を整理してもらっている。時折気味悪い声が売り場から聞こえてくるのは、恐らく、井野さんのものだ。
レジから戻ってきた水上さんは、生気のない表情のまま、機械のようにラベルを本にぺったんぺったんと貼りつけていく。……のはいいけど、
「ちょ、水上さんっ、それ本じゃなくてテーブル、テーブルにラベル貼ってるよっ」
時折ボーっとするあまりそんならしくないミスもするようになってしまった。彼女がこんな変なミスをするのは珍しい。
「あ……す、すみません……」
ようやく我に返った水上さんは、ペコペコと頭を下げつつ、貼ってしまったラベルを剥していく。
……これ見るの、ほんとに研修はじめたての井野さんがやらかして以来だぞ……。
早くなんとかしてもらわないといけないのだけど、どうすれば……。
と、考えごとをしていると、
「こんばんはー、今日もこっちゃんはお休みかな?」
今度は紙袋をふたつ持った津久田さんが、花でも咲かせたようににこやかな表情でお店に現れた。
「は、はい。今日もお休みですね」
「そっかあ、浦佐さんに聞いた通りだね。こっちゃん、私に嘘のシフト教えてることがわかったので、ちょっとお仕置きしないとだめかもなあ」
……とりあえず、心のなかで合掌しておきます。お疲れ様です。小千谷さん。
「今日は本なんだけど、いいかな?」
「いいですよ、……水上さん、お願いしていい?」
このまま単純作業だけやらせているとよくないと思った僕は、気分転換になるかと思い津久田さんの買取を振ることにした。幸い津久田さんは常連だし、気のいい人だ。多少やらかしても笑ってくれる度量もある。今の水上さんに任せても、本だけらしいしなんとかはなるだろう。
「あれ? 初めて見る人だね、新人さん?」
「……は、はい」
「そっかあ、新人さんかあ。みなかみさん、でいいのかな? なんか顔がしょげてるぞー。そんな顔しているとお客さん不安になっちゃうよー」
「え……あ、はい……すみません」
「ほらー、にっこりにっこりー。笑って笑ってー」
津久田さんのテンションなら、あるいは何か起きる……のか?
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