第12話 でも、こっそり恋する女の子は変わると強い
「いいですか、大体女性にむっつりとかそういうことは言っちゃだめですし、水上さんもデリケートなことを聞かない。水上さんだって聞かれたら答えたくないでしょ?」
閉店後、スタッフルームに引き上げた僕はさきほどやらかしてくれた小千谷さんと水上さんに予定通りお説教をしている。
「……や、八色さんがどうしても知りたいって言うなら……答えてもいいですよ?」
「えっ」
はたまた問題発言をした水上さんに反応したのは、僕ではなく井野さんだ。先に私服に着替えた彼女は、もう帰る準備が整っていた。
「……別に僕は知りたくないんで答えなくていいです」
僕を襲った水上さんにとって、それを教えることに抵抗はない、と……。なんてこった。
「んー、八色―、俺もう帰っていいー?」
「小千谷さんは小千谷さんで反省してないですね」
「反省なんてもんは学生のうちにゴミ箱に捨てたー。犬にでも食わせておけあんなもん」
「……それはそれで羨ましい生きかたですね」
絶対に真似しないけど。
「お、小千谷さん……ところで八色さんの性癖って……」
でまだそれ引きずってたの水上さん。どれだけ気になってるんだよ……。
「えー? でも素面で話すことじゃないしなー」
小千谷さんは勿体ぶってなかなか話そうとしない。それに業を煮やした水上さんは、
「わかりました。だったら飲みながらでいいんでっ」
「え? 水上ちゃんってもう成人しているの?」
意外そうに口をすぼませる小千谷さん。……もう誕生日来たってことなんだ。そういえば一浪したことは聞いていたけど、誕生日までは把握してなかったな。
「はい。四月に二十歳になりましたので、もうお酒は飲めますよ」
「ふーん、そっかぁ……じゃあ行っちゃう? 明日は休み?」
「はい、休みです」
「そっかそっか……じゃあ俺ら居酒屋で酒飲んで帰るわ戸締りよろしくねー八色パイセンー。水上ちゃん、先に更衣室で着替えていいよ。俺は外でパパっと済ませるから。八色パイセンに捕まる前にずらかるぞ」
そして慌ただしく水上さんは更衣室に入り、小千谷さんもまだ井野さんがいるというのに制服を脱いで上半身を露わにする。
「……あれが、こた×たいの攻め側の体……」
井野さん? 何唾飲み込んでるの? さっきフォローは入れたけどだからむっつりって言われるんだよそのへんわかってる?
「おっし、帰るわ八色、じゃあなっ!」
「八色さん、お疲れ様ですっ」
流れ星が通り過ぎていくような速さで、あのふたりはお店を後にしていった。
「……井野さん。僕がバイト辞めたあとのお店は任せたよ」
「……わ、私には無理ですっ、あんなノリにはついていけませんっ」
ブンブンと顔と手を横に振って否定する彼女。うん。僕も無理。
「……とりあえず、帰ろうか。僕らは明日も出勤だし、早くお布団入って寝たいよね……」
「お、お布団……」
なんでそこで顔を赤くする? 何も僕変なこと言ってないよね? え? この子の頭のなかもしかしてピンク色でいっぱいなの?
「……なんか、もう、いいや……うん」
お店から新宿駅までの道のり。基本的に無言のままだ。お互いにスマホをいじりながら、何も話すことはなく淡々と歩いていく。バイトの疲れのせいだろうか。それとも突っ込みに疲れたせいだろうか。
「……あ、あの……八色さんは……むっつりな女の子ってどう思いますか?」
その静寂を打ち破ったのは、悲しいかなこの話題。開き直ったのかな。井野さん。
「ぇ……えっと……」
しかしまあなんて答えにくいことを聞いてくるんだこの子は。
「ま、まあ……興味を持つことは変じゃないと思うよ。僕も高校生のときなんかそんな感じだったし」
「……周りの同級生とかからは……もう済ませたとかそういう話ばっかり聞こえてきて……私、地味だし趣味もあまり人に言えたものではないですし……今まで彼氏なんてできたこともないですし、そもそも私なんかを好きになってくれる人なんているのかなっていつも思っちゃいますし……」
体を縮こませて、駅の喧騒に巻き込まれて消えそうなくらいの大きさで井野さんは呟く。
「いや、そんなことないって、井野さんは十分魅力がある女の子だと思うよ。僕に言われても嬉しくないだろうけど」
「お世辞ならいいですよ……。八色さん、優しいから私なんかにも他の方と分け隔てなく接してくれますし……浦佐さんや水上さんに比べても、愛想もないし、元気もないし……」
「そこまで自分を貶めなくてもいいって。井野さんは十分可愛いよ。それに、水上さんも言ってた。井野さんは垢抜けると一気に変わるだろうって」
「……例えば、どんな感じにですか?」
「え? いや、そこまでは水上さんからは聞いてないからわかんないかな……」
「や、八色さんの主観でいいんでっ」
足を止めて、前髪で隠れている目でじっと僕のことを見つめて彼女はそう尋ねる。
「えっと……井野さん、目もとにあるほくろが可愛いから、思い切ってその長い髪切って眼鏡もコンタクトにする、とか」
超絶適当な意見だけど、求められたからには答えるのが筋だろう。
「……八色さんは、短い髪のほうが好みなんですか?」
「どっちかって言うとね。ミディアムショートくらいが一番好きかな……」
「そ、そうなんですね……そっか……そうなんだ……あっ、ありがとうございますっ、私、ちょっと急いで帰るのでここで失礼します、お疲れ様でしたっ」
するとまだJRの改札までは距離があるけど、ペコリと一礼をした井野さんはとてとてと走って僕より先を行き始めた。
そしてゴールデンウィークも終盤の、五月五日。出勤前の時間をスタッフルームで水上さんと浦佐で駄弁って過ごしていると。
「お、お疲れ様です……」
見知らぬ女の子がスタッフルームに入って来た。あれ、こんな子アルバイトにいたっけ? 中番の子が今日は夜入るとか?
なんて考えていると、僕の隣に座っていた水上さんがいきなりガタンと音を立てて椅子から立ち上がった。
「み、水上さん……? どうしたのいきなり……?」
続いて、駄弁りながらもゲームをしていた浦佐までもが、握っていた携帯機をテーブルに落とした。
「う、浦佐……?」
「八色さん、気づかないんですか?」「太地先輩、本気で言ってるっすか?」
「え、え……?」
僕が呆けていると、売り場から宮内さんが一旦戻ってきたようで、
「みんなお疲れ様―、って井野さん? どうしたの髪バッサリと切ってー。眼鏡も外したから誰かと思っちゃったじゃないー。見違えるように綺麗になったわねー」
え? 彼女井野さんなの? ……あ、確かに目もとにほくろある。
「……や、八色さん……どうですか? 八色さんの好みと合ってますか……?」
井野さんがそう言った瞬間、隣に立っている水上さんが怖いくらいの笑顔でこちらを振り向いた。いやいやいや僕のせいなの? これ。
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