第4話
私たちは、展望台から降りて表通りまで帰ってきた。
すっかり陽は沈み、藍色の空が一面に広がっている。ポツリ、ポツリと空に輝く小さな点は、星の煌めきだ。
夏の夜になると、小さな虫たちが鳴いている。高い音を鳴らし、命を繋ぐ大演奏会を開いているのだ。足元で鳴いているはずなのに、音が降ってくるように聞こえるのだから不思議だ。
二人で、完全に人々が消えた町を進む。さすがに、そろそろ町の違和感が気になってきた。
町を歩いているのは、清掃や日常会話を楽しむロボットだけ。人間の姿はどこにもない。
「どうしたんだろう?」
「分かりません。ですので、後ろの方々に聞いてみましょう」
ヒマワリが振り向いたので、私もつられて後ろを見る。視線の先には、こちらに近づいてくる二人の男性がいた。
迷彩柄の服装で、装甲車両を待機させているその姿は、見間違えるはずもない。彼らは、自衛隊に所属する二人だ。
「君たち何してるんだ!? 早く避難待機場所に向かいなさい!」
……避難? どういうことだろう?
分からない、といった表情を浮かべていたのだろう。自衛隊のお兄さんたちが顔を見合わせた後に説明してくれる。
「ニュースを見てないか? 今日、NASAから日本政府に緊急で連絡があったんだ。小惑星が地球に向けて接近していると」
「小惑星……」
「その大きさは、大気圏で完全に燃え尽きないほどのものらしい。そして、焼け残った破片が日本に降り注ぐとの算出データもある」
血の気が引いた。考えるだけで恐ろしい。
日本が終わる。私が生まれ育ち、嫌な思い出もあり、また同じように幸せな思い出があるこの町が――東京が灰塵に帰すかもしれない。
目の前がぐらつき、その場に座り込んでしまう。心配そうにお兄さんが駆け寄ってくれるが、その前にヒマワリが私を支えてくれた。
「でも、それじゃ避難しても意味は…!」
「落ちてくるのは、琵琶湖から東と北海道より南のどこかと予測されている。だから、我々自衛隊のヘリや民間の交通機関で君たちを西日本と北海道に避難させている」
「だから急ぎなさい。あの車両で避難待機場所まで送ってあげるから」
半ば強引に車両に詰めこまれ、その避難待機場所とやらに連れていかれる。
怖い。すごく怖い。
震える私の手に、ヒマワリが優しく蓋をしてくれる。恐怖は完全に拭えないが、それでも少しは落ち着くことが出来た。
藍色の空に、いつの間にか雲が広がっていた。薄い墨色の雲は、見上げる人々の不安を掻き立てるように流れていく。
避難待機場所に到着した私たちは、車両から降りる。そこには、緊急で用意されたバスや輸送ヘリがたくさん待っていた。とにかく早い避難をするため、家族や友人関係なしに車両に詰め込まれていく。
こんな光景は、東日本の至るところで起きているらしい。臨時のダイヤを組まれた新幹線が休むことなく走り、日本中から政府がバスをかき集めて避難に使っている。
戸惑いを隠せないでいると、背中をおばさんに押された。
「早くしておくれ。急がないといけないんだから!」
「すいません……」
しっかりとヒマワリの手を握りしめ、歩き出していく。私の負担を軽くしてくれているのか、背中を擦るヒマワリの腕は止まらない。
バスに乗ることが出来た。それでも、座ることは出来ない。入り口ギリギリに立たされているような状態だ。
バスの中にいる人たちは、完全にパニックを起こしていた。小さな子供は泣き叫び、その声に苛ついた短気な大人が怒声を張り上げる。そしてそんな大人を、別の大人が怒鳴って口論になっている。
それでも、運転手や誘導係の自衛隊員は何も言わない。彼らも、それどころではないんだ。
順次バスが出発していく。空からは、飛び立ったヘリコプターのローター音が聞こえてくる。海上に待機している空母に向かう最終便だ。
最後に、私たちのバスが出発した。東京の町に別れを告げて。
しかし、走り始めて一分もしないうちに急ブレーキが踏まれる。遠くから、取り残された少女が一人走ってきていたのだ。
「乗せて! お願い!」
運転手がドアを開けるが、車内にはもう余裕がない。頑張ってスペースを確保しようにも、一人分の隙間はなかった。
その少女がドアの前に立つ。そして、私と同じタイミングで驚きに目を見開いた。
「香織……」
「……芹那さん」
彼女は、私をいじめていた女子たちのリーダーだった。かなり薄れてはいるが、まだ嫌悪感が拭えない。
私の姿を見て何を思ったのか、芹那さんが一歩下がる。無言でうつむき、運転手に早く行くように指を差した。
自衛隊の人も、運転手も判断に困っている。このあと、追加で避難車両が来る可能性はゼロだ。ここで置いていけば、万が一東京に破片が落ちてきた場合、彼女は死ぬことになる。
いつまでも進まないバスに、車内から先ほどよりも大きな怒鳴り声が響いた。これ以上は、もう限界だ。
その時、視界の端で金色の糸が揺れた。いや、糸に見えたそれは、ヒマワリの美しい髪だった。
ヒマワリが手をあげている。その時、私はすごく嫌な予感がした。
「ダメ……それは…!」
「……私は、ロボットです。なので、私が降りるので、代わりに彼女を乗せてあげてください」
降りるために動き出したヒマワリの腕を、私は必死になって掴む。こんなお別れなんて、私は嫌だ。
「待って……待ってよ。行かないで…!」
「香織。分かってください。私はロボット。ロボットに代わりはいくらでもありますが、彼女という人間に代わりはいないのです」
「違う! ヒマワリというロボットに代わりなんてない!」
車内からの怒鳴り声は止まっていた。誰も、何も言うことが出来ずに私とヒマワリのやり取りを見ている。
「私が苦しんでいても、誰も助けてくれなかった! それどころか、皆が私を苦しめていた!」
芹那さんが視線を反らす。自らの行いについて、考えを巡らせているのだろう。
車内にいた何人かは、それで気がついたようだ。数日前にネットに上げられた、あのいじめの動画を。
「そんな私を助けてくれたのがヒマワリだった! あなたはただのロボットなんかじゃない! 人の心を理解できる、誰よりも人間らしいロボットなの!」
「香織…!」
「文句なんて言わせない! 人間らしいロボットは……それはもう人と同じでしょ!」
言葉が止まらない。止めようにも、決壊したように溢れ出す想いは制御不能だった。
そんな私を、ヒマワリは優しく抱き締めてくれた。いつもと変わらない声で、耳元で囁いてくれる。
「傷を癒すには、傷をつけた相手を許さなくてはいけません。それは、私には出来ないことです」
「違う……私の傷は……あなたが治してくれた。私の世界に、あなたが色を返してくれた…!」
「それはただのきっかけです。芹那さんを許すことで、香織の傷は完治されます」
涙と笑いが同時に漏れる。ヒマワリが珍しく、間違いの答えを出したことに笑ってしまう。
「たとえ芹那さんとの間の傷は治っても、今度はあなたを失った傷が残る…! その時はどうするの? 許そうにも、あなたはもういない!」
「それは……」
「言ったよね? いつまでも私だけを見ていたいって……困った時は、ヒマワリを頼れって!」
「……」
「なのに……それなのに!」
ヒマワリが、そっと私と距離を取った。そして、バスから飛び降りて芹那さんをバスに乗せる。
感情を感じさせない目で、機械的な音声で、私と視線を合わせて話す。
「私は、多くの人を笑顔にするために作られたロボットです。なので、人命を失わせるわけにはいきません」
……分かった。分かったよ。
だから、もういい。ヒマワリから視線をそらし、溢れる涙を拭う。
芹那さんはどうしようかと迷っていたが、私の肩に手を置いてくれた。空いたもう片方の手で背中を擦ってくれる。
あぁ……この感触……ヒマワリと同じだ。
運転手がドアを閉める。外と完全に遮蔽される直前、ヒマワリの声が耳に届いた。
「最適な解決でないことは承知ですが、お許しください」
最後のヒマワリの行動……私には理解できた。ならば、その想いに私は口を出してはいけない。
バスが離れていく。私は、滲む瞳でヒマワリを見ながら、花言葉を思い返していた。
あの時、ヒマワリが私にくれた向日葵の花束。その意味は「あなただけを見つめる」だが、もうひとつあった。
それは、「憧れ」。憧れの人が、これからも前を向いて歩いていけるようにという、ヒマワリなりのメッセージなんだ。
だから、これでいいんだ。
そう、何度も何度も、自分に言い聞かせながら泣いた。
――そして。
遂に小惑星が地球に飛来。NASAの予測通り、大気圏で燃え尽きることのなかった小惑星は、空中で分解。無数の流星となった破片は、東京の町に次々と落ちていった。
ビルを倒壊させ、道路を穿ち、人々が暮らしていた証を破壊していく。
跡に残ったのは、人工衛星からも確認できるほどの多数のクレーターだった。
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