第2話

「……まずいぞこれは」

「昨日からなんなんだ? 何が起きている?」

「もう少し観察する必要はあるが……事態は控えめに言って最悪だ」

「見せてみろ。……これは…!」

「詳しいことはそのうち分かるだろう。うまく軌道が変わるとよいのだが……」



…………………………………………



 翌日、学校に行くと数人の警察官がいた。その脇には、私をいじめていた女子たちが項垂れていて、各家庭の親御さんもやって来ていた。

 どうやら昨夜、警察署に匿名の通報があったそうだ。提供された情報を基に捜査、一夜で加害者と被害者を特定して学校に来た。ということらしい。

 女子たちのお母さんが、必死な雰囲気で私に謝ってくる。

 本当は、許したくなんてない。でも、昨日誰かがあの光景を録画していたようで、彼女たちは現在ネットで大バッシングを受けていた。加えて、学校から強制退学を通告されたらしい。

 映像の最後にはヒマワリも映っていたから、彼女が撮ったものではない。結局、人間が面白半分に録画したものだ。

 許せはしないが、もう彼女たちは社会的に死んだも同然だ。甘いと言われるかもしれないが、私はこれ以上彼女たちを苦しめるつもりはない。

 彼女たちは学校から出ていき、反対に私は教室へと向かう。ようやく地獄の日々から解放されるというのに、その実感が湧くことはなかった。

 結局、普段と変わらない授業を受け、放課後を迎える。教科書を鞄に詰め込み、教室を出て帰り道を歩く。

 いつもは決まってどこかに呼び出され、虐待を受けていた。それが無くなり、何をすればよいのか分からなくなる。

 今日も日差しは強かった。いつもと変わらない風景がそこにはある。

 街路樹を世話するロボットに、道路の清掃を行うロボット。スーパーの前で話し込むおばちゃんを見ていると、熱中症にならないか心配になる。


「――香織」


 名前を呼ばれた。

 誰だろうとそちらを見ると、ヒマワリがいた。笑顔で手を振っている。


「ヒマワリ……」

「昨夜の件、一応、警察には通報しておいたけど……大丈夫でした?」

「うん。今日、退学になったよ」


 ……これ以上、言葉が続かなかった。彼女と何を話したらいいのか分からない。

 どうにか次の言葉を絞り出そうと苦労していると、ヒマワリの方から喋ってくれた。


「このあと時間がありますか? お連れしたい場所があるのですが」


 連れていきたい場所? 暇をもて余していた身としてはありがたい申し出だった。断る理由もないので、おとなしく彼女についていく。

 白黒の世界が流れていく。すっかり色を失った町を見ながら、ヒマワリの後を追いかけていく。

 どこに行くのだろう? ただ、それだけが気になった。


「着きました。香織にこれを見せたくて」


 そこは、どこにでもあるような普通の花屋さん。でも、そこには普通でないものがあった。

 それは……店先に置かれた向日葵ひまわりの花。でもそれは、美しい黄色の花弁を咲き誇らせていた。いじめを受けて以来、すっかり脱色された私の世界にある、唯一の色がついた花。

 よく、分からない。これまでも向日葵の花なんて何度も見てきた。だというのに、その花だけが美しい黄色の花弁はなびらを咲き誇らせている。

 そして私は、気がついた。同時に、目頭に熱いものが溜まる。

 なるほど。確かに「ヒマワリ」だ。


「ヒマワリ……貴女の髪は綺麗ね」


 いつのまにか、ヒマワリの体に色が宿っていた。先ほどまでの白黒とは大きな違いだ。

 しっかりとした金色の髪。短く切り揃えられたその髪は、作り物だという雰囲気を一切感じさせないほどに美しいものだった。

 太陽の花としても名高い向日葵。私の冷えきった心へと温かな光を注いでくれる。

 ヒマワリは、手にした花をレジへと持っていった。そして、美しくラッピングしてもらった花束を抱えて帰ってくる。


「この花は、私の名前の花。私を作った方は、私が誰かの太陽になれるように、とこの名前を付けてくれました」

「……だから、暗く沈んだ私と関わりを持った?」

「それもあります。でも、それ以上に私の中で処理できない感情が生まれたのもまた事実」


 ヒマワリは、少し照れくさそうに微笑む。それから、深く息を吸って持っていた花束を私に向けて差し出してきた。


「向日葵の花言葉をご存知ですか?」

「えと……ごめん、知らない」

「黄色の向日葵の花言葉は……『あなただけを見つめる』です。私は、いつまでも香織だけを見つめたいと思いました。だから、香織が困った時は頼ってください。近くにいる私を頼ってください」


 差し出された花束が、滲んだようにはっきりと見えなくなる。体が震える。胸が苦しくなる。

 ヒマワリから花束を受け取り、しっかりと胸に抱えた。その時から、私の世界は一変する。

 失われた色彩が取り戻される。白い空には、懐かしい青色の輝きが戻ってきた。

 まだ薄い色合いではあるが、私には分かる。これらはこの先、本来の美しい色を取り戻すだろうと。私に、その輝きを返してくれるだろうと。


「香織? 泣いているのですか?」


 ヒマワリに指摘されて、初めて気がついた。瞳から、熱い涙が流れ落ちる。

 ずっと、冷たい闇の底に沈んでいた。誰からも助けられることもなく、孤独と苦痛に苦しんできた。

 そんな私を、闇から救い出してくれた。こうして、日常が美しいものだと再認識させてくれた。

 そんな私の救世主の名前は――ヒマワリ。太陽。

 彼女は、まるで本当の太陽のように私を明るく照らしてくれた。冷たい暗闇から、明るい世界に連れ戻してくれた。

 私は、これからヒマワリに何を返していけるのだろう? それでも、一つだけ分かることがある。

 ヒマワリは、私を笑顔にするために頑張ってくれた。ならば、こんな泣き顔を見せてはいけない。

 だから、涙でぐしゃぐしゃの顔で笑顔を作り、ヒマワリに見せる。言葉は……一言だけでいい。


「ありがとう……ね」


 私のその言葉に、ヒマワリが満足そうな笑顔を返してくれた。

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