§061 「お久しぶりですね、渋谷先輩」

 私は竜王公園の時計塔の下で一人佇んでいた。


 竜王公園は、広島市西区に所在する総合公園で、昼間はテニスなどを楽しんでいるカップルや家族連れをよく見かける活気溢れた公園だ。

 広島市街を一望できるロケーションも魅力的で、夜景スポットとして取り上げられることもある。


 ただ、この時間になるとだいぶひと気も無くなり、時折、犬を散歩しているおじさんが通りかかる程度。


 私は公園内を走り回る犬を目で追い、テニスサークルと思しき団体を目で追い、ジョギングをしているお兄さんを目で追う。

 そんな光景を10分ほど眺めていると……私に歩み寄ってくる男性が一人。


 私はそれを横目で確認すると、時計塔にもたれていた身体を起こし、その人の方に向き直る。


「やっと会えたね、


「お久しぶりですね、渋谷先輩」


 そこには中学時代ぶりに会う渋谷先輩の姿があった。


 私は気を落ち着けるためにふぅ~と深呼吸して、渋谷先輩に目を向ける。


 長身にスラリとしたスタイル。

 整った顔に色白の肌はあのときから何も変わっていない。

 ただ、ほんの少しだけ男らしさを感じさせる髭を生やし、髪型が長髪から短髪になっているところが、年月の経過を感じさせる。


 渋谷先輩と直接話すのは本当に何年振りだろうか……。

 

 私の人生を狂わせた人。

 私が人生を狂わせた人。

 

「まさか希沙良さんから呼び出されるとは少し意外だったよ。以前オレが送ったLINEは完全に無視されてたからね」


「あのときはすいません。ちょっといろいろと立て込んでたもので。今日は私から先輩にお話したいことがあって連絡させていただきました」


 そう言うと、先輩の顔がパアッと明るくなる。


 その笑顔があまりにも眩しくて、私の心はチクチクと痛みだす。

 そうだよね……先輩は本当はこういう笑顔を見せてくれる人だった。

 だからこそ、私も惹かれていたんだもん。


 でも、私は彼にしまった……。

 あのときの私は『好き』という気持ちがあんな形で暴走してしまうなんて夢にも思ってなかった。

 私はただ、彼にもっともっと私のことを好きになってほしかっただけだったのに……。


「希沙良さん、まずはオレから言わせてほしい」


 彼の瞳が私のことを真っすぐに貫く。


「中学からずっと待たせてしまったけどオレは希沙良さんのことが好きだ。改めて言わせてもらう。オレと付き合ってほしい」


 先輩の言葉に思わず心臓がトクンと高鳴る。


 私に向けられたひたむきな好意。


 私は未知人に会うまで『好き』という気持ちがわかっていなかった。

 いや、能力のせいにして、『好き』という気持ちを考えることを、『好き』という気持ちに向き合うことを放棄していた。

 もしかしたら、中学生のときにはまだ『好き』という気持ちは私の中に存在していたのかもしれないけど、渋谷先輩に襲われてからはそんなものは私の心の中から綺麗さっぱり消えてしまっていた。


 でも、未知人は『好き』という気持ちを考えることの大切さを教えてくれた……。


 未知人に出会って……

 人を好きになる瞬間を知った。

 人が好きと伝えてくれる瞬間を知った。

 その好きが叶わない瞬間を知った。


 これはきっと『好き』に対して真剣に向き合わなければ出会うことのなかった瞬間。

 本当に大切な大切な人生の輝き。


 だからこそ、私はちゃんと『好き』について考える。

 それが私の作り出した幻の『好き』だったとしても。


 そう……渋谷先輩の『好き』はきっと私が作り出してしまったものだと思う。

 だからといって、その気持ちに私が向き合わない理由にはならない。

 彼はいま真剣に私に告白してくれてるんだ。

 だから私はその『好き』という気持ちに真っすぐに答えなきゃいけないんだ。


「渋谷先輩……」


 刹那の沈黙が私と先輩を包み込む。


「気持ちは嬉しいですけど、私は渋谷先輩とは付き合えません」


 いままでの私なら告白された時点で、相手を支配することを考えていた。

 その場をどう切り抜けて、いかにうまく対処するか。

 そもそも『付き合う』とか『付き合わない』という選択肢なんて存在しなかった。

 私は恋愛をする土俵にすら立っていなかったのだ。


 でも、今回は違う。

 未知人に教えてもらったんだ。

 その末にたどり着いた答えなんだ。


 私はちゃんと相手の『好き』に応えるよ。

 もしかしたら、うやむやにするよりも先輩のことをたくさん傷つけてしまうかもしれないけど。


 それでも……これは彼の想いに対する私なりのけじめなんだ。


「先輩……先輩の想いに応えられず本当にごめんなさい」


 私は誠心誠意の気持ちで頭を下げる。

 どうか……私の気持ち……先輩に届いて……。


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