§054 「俺は、お前のことが好きだ」

「ずいぶん遠い所まで来ちゃったね」


 私は未知人くんの手を取って、ずんずんと歩き続けた。

 まるで何かから逃げ惑う少女のように。


「これ以上進むと花火大会が始まるまでには戻れなくなるぞ」


「そっか。じゃあこの辺で見る? 多分ここからでも花火見えるよね?」


 未知人くんはスマホを出して位置情報や花火の情報をすぐさま調べてくれる。

 本当にそういうところ優しいよね。

 私のこんなわがままを笑顔で受け入れてくれるんだから。


 私はもうこの場所で花火が見たい気持ちになっていた。

 私と未知人くん以外に誰もいないこの場所で。

 私と未知人くんのためだけに流れる時間、私と未知人くんだけに打ち上げられる花火を堪能したかった。


「角度的にはあの海べりなら見えると思う」


 そう言って、未知人くんはわずかに湾曲している海岸線を指差す。


「さすが私の優秀な彼氏」


 こうやって自分の地位を確かめるように、噛みしめるように『彼氏』という言葉を吐く私は本当にずるい女だと思う。

 もうとっくに結論は出ているのに……。

 彼といると決心が揺らいでしまうからだめだ……。


「じゃあ、あの辺に座ろっか」


「そうだな」


 海岸線の岩場に腰を下ろす私と彼。

 段々と口数は少なくなり、花火大会の始まりを予感させる。


 私は自然と彼の手に指を這わせる。

 それに応えてくれる彼の手。

 頭を彼の肩に預ける。

 それに応えてくれる彼のがっしりとした肩。


 ああ……温かい。

 彼はなんて温かいんだろう。

 すべてを包み込んでくれるよう。


 このまま……このまま……時間が止まってしまえばいいのに……。


「ねえ……未知人くん」


「なんだい……希沙良」


「私……ちゃんと『彼女』できてた?」


「最高の彼女だったよ」


「私の『好き』はいっぱい伝わった?」


「両手じゃ持ちきれないくらいたくさんね」


「私が生まれ変わってもまた『彼女』にしてくれる?」


「絶対だ」


「……そっか」


 その言葉が最後に聞けてよかったよ……。


 しばしの沈黙の後、彼が口を開く。


「なあ……希沙良」


「…………」


「希沙良?」


「…………」


 私は彼の言葉に返事をしない。

 だって、彼のこの後の言葉がわかっているから。

 そりゃどんなに鈍感でもわかるよ。

 何か月間、未知人くんの彼女をやってきたと思ってるのよ。


 でもね……それはだめなの。

 ルール違反なの。

 この期間はね……幻に終わらせるのがちょうどいいの。

 私のような悪魔のような女の……一刻の気の迷い。

 それに振り回されてしまった男の子の悲しい物語。


 私の能力のことを知ったら、彼はきっと絶望してしまう。

 そんな彼を私は見たくないの。

 だから今日は『お別れ』するためにここに来たんだよ。


 でもね……未知人くんと付き合ってる時間は本当に本当に楽しかった。

 私の人生の中で一番楽しかった。

 未知人くんは私を変えてくれた。

 男のことを物としか思ってなかった私に『好き』という感情を教えてくれた。

 本当にありがとう。

 未知人くんには感謝してもしきれないよ。

 この思い出は私の中で生き続けるから……。

 だから、笑ってお別れしようね……未知人。


(ヒュー…………………………ドンッ)


「始まった」


 私は思わず声を出す。

 遠くから歓声や拍手の音が聞こえる。


「ああ……綺麗だな」


「本当ね……幻みたい……」


 そのまま私と彼は静かに花火を見上げた。

 それぞれが何かを考え、何かを想い、何かを噛みしめていたんだと思う。

 

 ふと彼に目をやると、彼の瞳には色鮮やかな光の花がゆらゆらと揺らめいていた。

 それはまるで水面に浮かぶ睡蓮のように。


「(今日まで本当にありがとう。私の大好きな王子様)」


 浴衣の上から胸にかけた『約束の鍵』をギュッと握る。

 

 私の声はきっと花火の音にかき消されてしまったと思う……。

 ……それでもいいの。

 この気持ちは私の心の中に大切にしまっておくから……。


「おい希沙良……あれ見ろよ」


 未知人のふいの声に導かれるように、彼の指差した方向に目をやると、はぁっと息を飲んだ。


「これって……」


 そこにはまるで海を割ったように小さな浮島へとつながる細い道ができていた。

 蓮の花を咲かせていた水面に突然現れた一本道。

 そうだ。宮島は潮流の関係から潮の満ち干きが激しいんだ。

 干潮のときは普段なら海に沈んでいる厳島神社の大鳥居まで歩いていくこともできるし。


 私と彼は目を見合わせると、お互いにクスっと笑って立ち上がった。


 彼の手は私を浮島へと導いてくれる。

 まるで水面を歩くように。


 浮島に着いて、彼は先にひょいとよじ登ると、手を差し伸べてエスコートしてくれる。

 本当に見違えるほどに紳士になったよね……未知人。

 私の身体は彼の力で宙に浮くように持ち上げられ、彼の腕の中にすっぽりと収まる。


 きっと私たちは水面に立ってるように見えたと思う。


「なんか人魚姫みたいね……」


 私は思わずロマンチックなことを口にする。

 そして、同時に寂しい気持ちになる。

 私は知っている。

 人魚姫は最後は王子様と結ばれることなく、魔女の呪いで海の泡になってしまうことを……。


(ヒュー…………………………ドンッ)

(ヒュー…………………………ドドドドンッ)

 

 咲いては散りを繰り返すスターマインが、夏の終わりを告げている。

 ああ……もうすぐ終わる。





「希沙良……俺は、お前のことが好きだ」





 それはまるで時間が止まったような感覚だった。

 私の胸がトクンと高鳴る。


 想像していた言葉。

 でも想像をはるかに上回っていた言葉。


 聞きたかった言葉。

 でも聞きたくなかった言葉。


 手を伸ばせば掴める幸せがそこにある。

 でもそれは私の幸せであって、彼の幸せじゃない。


 私は意識していないと飛び出していきそうな言葉をぐっと飲み込む。

 涙が零れ落ちそうになるのも必死に我慢する。


 そして、私は言う。


「私ね、未知人に隠していたことがあるの……」






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