§027 「……ありがとう」

「ちょっと状況がわからなくて混乱してるんだけど、簡単に説明してもらえるか」


「……うん」


 俺は混乱している頭を押さえながら、更科の言葉を一つ一つ整理していった。

 体調のこと、学校のこと、お見舞いのこと。

 当然、さっきの更科のデコピタについての説明はなかったけど……。


 俺の目を見つめ言葉を選びながら話す更科は、やはりいつもと違って、どこか元気がない気がした。


「って感じで、未知人くんのお母様が私のことを『彼女』と勘違いしちゃったんだよね。なんかごめん」


「ああ……。うちのオカンってそういうところあるから。こっちこそなんかすまん」


「私は別に構わないけど」


「オカンには訂正しておくから」


「……うん。ごめん」


「そんなに謝るなよ」


「……ごめん」


 俺は絨毯にちょこんと正座をしている更科に目を向ける。

 今日の更科はパールグレーのカーディガンを羽織り、この前ショッピングモールで買ったイヤリングを身に着けている。

 短いスカートはカーディガンの裾で隠れてしまい、俺の角度から見ると、まるでスカートを履いていないようにさえ見える。

 真っ白に露出された太ももがなんとも艶めかしい。


「……更科」


「なに?」


「……悪い。もう我慢できない」


「えっ」


 そう言って、俺は更科に詰め寄る。

 そう。俺は好奇心旺盛、血気盛ん、食欲旺盛な高校2年生でござる。

 高校生の男女が部屋に2人。

 女の子がちょこんと正座。

 更科はどんどん口数が少なくなる。

 こんな状況、耐えられるわけないじゃないか……。


「ちょ……ちょっとやめてよ。いっ……痛い」


「抵抗するなよ。動くと逆に痛いぞ」


「んっ……はっ……」


「…………」


「…………」


「…………」


「いっ! ……!」


「お前がいつまでも湿気た面してるからだろ! 俺が気まずくて耐えられないんだよ! しおらしくするのマジでやめろ!」


 俺は『じゃんけんブルドッグ』の勢いで「たってたってよっこよっこ~」と更科のほっぺをつまみまくる。


「わかった! わかったから、とりあえずほっぺつまむのやめて」


 ハムスターのような顔をした更科が涙目で懇願してくる。


「まったく。マジでそんなの更科らしくないぞ。『私の代わりに風邪をひけたことを光栄に思いなさい』くらいのことを言ったらどうだ?」


 俺は彼女の透き通るような色白のほっぺからパチンと手を放す。

 すると、更科は、はぁはぁ言いながら、俺のことを睨みつけてきた。

 その目には少しだけいつもの勢いが戻ってきていた。


「あんた私の可愛い顔にどうしてくれるの! 美少女が台無しじゃない!」


「美少女はどんなに変顔しても美少女だろ!」


「なっ……! 褒められてるのかけなされてるのかわからないし! 希沙良ちゃんがお見舞いに来てあげてるだけありがたいと思いなさいよ!」


「押しかけお見舞いのくせに偉そうにするな! お見舞いなら差入れの1つでも持ってこい!」


「なんで私がそこまでしなきゃいけないのよ!」


「俺は『とらや』の羊羹が食べたいんだ!」


「私はどら焼きがいい!」


「ジャイアンみたいな性格してなにがどら焼きだ!」


「あなたのものは私のものなの。早くどら焼き買ってきなさい!」


 こんな小学生のようなやり取りをひとしきり繰り返し、俺も更科も同時に力尽きた。

 ベッドに倒れこむ俺。

 俺の部屋に寝転ぶ更科。

 ちょっとくつろぎすぎじゃないかとツッコミを入れるのは今日はやめておく。


「ねえ……未知人くん」


「なんだ……更科」


「……ありがとう」


「何に対する『ありがとう』か心当たりが多すぎてわかんねーな」


「1つ目、私を傘に入れてくれて」


「おいおい。全部言う気かよ」


「たまにはいいじゃない」


 更科の愉快そうにくすくすと笑う声が聞こえる。


「2つ目、私を車から助けてくれて」


「逆にからかわれてる気しかしないんだが」


「私は借りを作りたくないの。心の中でモヤモヤしてるんだったら、こうやって言葉にした方がずっといいわ」


「更科らしいのかもな……」


「3つ目、私にブレザーをかけてくれて」


「ブラの色だけは心に刻んでおいたけどな」


「いちいちコメント入れなくていいから」


「……へい」


「4つ目、私に気を遣ってびしょ濡れになりながらも傘を貸してくれて」


「あのまま更科のブラを見続けたら、どうにかなりそうだったからな」


「5つ目、罪悪感に押しつぶされそうだった私を元気づけてくれて」


「いや……あれはムラムラしたんでつい」


 スッと身体を起こし、ベットの端に腕を乗せる更科。

 俺と更科の視線が交わる。


「最後……」


「んっ……まだあるのか?」


「最後は……」


 妖艶な笑みを浮かべる更科。


「うぅ~ん……これはやっぱり秘密かな」


「なんだよ。めっちゃ気になるじゃんか」


「ふふ、ミステリアスな女の子の方が魅力的に見えるでしょ」


 そう言って、更科は小首を傾げてにへらっと笑う。

 

 そういえば、更科は最近俺の前で笑うことが増えてきた気がする。

 出会った頃は、どちらかといえば、嘲笑に満ちた笑いという感じだったが、最近では心から楽しそうに。

 これはもしかしたら、俺の更科に対する気持ちが変わってきているからそう見えるだけなのかもしれない。

 それでも、更科のこんな笑顔が見れるなら風邪をひくのも悪くないかなと思う今日この頃だった。


 その後、俺と更科は取り留めもない話をして、更科は、もう時間だから、と言って帰っていった。

 更科から渡されたブレザーはしっかりとアイロンがかけられており、ほんのりといい匂いがした。


 オカンからは「可愛い彼女さんね」とからかわれたが、今日は説明するのも面倒だったので、テキトーに流してベッドに潜り込む。


 そういえば……頭の整理が追い付かなくて完全に忘れてたけど、俺が起きたときのデコピタは……いったいなんだったのか……。


 そんなことを考えつつ、俺の意識はまどろみの中に沈んでいった。



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