2-5:急報と決意の朝
明くる日、ユスティナはやはり村の人たちのいる避難所へ向かうことにした。
洗濯してもらった自分の服に着替えて、宿舎の玄関先で迎えの馬車を待つ。
馬車を待っている間、王国軍の兵士たちや基地で働いている人たちが通り過ぎていった。ユニティの乗り手であると知って話しかけてくる人もいれば、ユスティナが避難所へ行くことを知って元気づけてくれる人もいた。
そういった人たちと話している間、ユスティナはずっと上の空だった。せっかく話しかけて励ましてくれているというのに言葉が頭の中をすり抜けていくのだ。まるで自分自身が空っぽになってしまったような感じがした。
空はこの基地へ来た日と同じような灰色の雲に覆われている。
気分がすっきりしないのは天気のせいだ、と決めつけたくなってくる。
そうして待ち合わせの時刻が迫ってきたときだった。
太い三つ編みを跳ねさせながら、宿舎の中からベロニカが飛び出してきた。
「よかった! 間に合った!」
かなり急いできたらしく、彼女の額を大粒の汗が伝っている。
朝食の後片付けや掃除洗濯で忙しいはずのこの時間、まさかベロニカと会えるとは思わずユスティナも笑みがこぼれた。
お互いに駆け寄った二人は自然と正面から手を繋ぎ合う。
昨日出会ったばかりなのにもう十年来の付き合いのような気持ちだった。
「見送りに来てくれたの!?」
「うん。避難所に行けば会えるってわかってたけど……やっぱりね」
「ありがとう、ベロニカ。本当に……本当に嬉しい」
ユスティナは膝から力が抜けてしまいそうになる。
ベロニカと別れるのがこんなに苦しいなんて、まるで依存しているみたいだ。昨日知り合ったばかりの人に依存するなんて心が弱っている証拠だろう。
二人は花壇を囲んでいるレンガの縁石に並んで腰を下ろす。朝ご飯はちゃんと食べられたのか、昨日の夜はちゃんと眠れたのか、避難先で必要になりそうなものはないのか……ベロニカは色々なことを気遣って聞いてくれた。
「……ねえ、もしよかったらユスティナも基地で働かない?」
「えっ!?」
ユスティナは思いも寄らぬベロニカの提案に面食らった。
「全然考えたことなかったなあ……」
「仕事はたくさんあるから急に辞めさせられるようなことはないし、少なくとも朝昼晩ってご飯は食べさせてもらえるよ。反乱軍が基地を狙って攻撃してくるかもしれないけど、そんなのは国中のどこにいたって同じようなものだしさ」
ベロニカの割り切り方にユスティナは思わず感心した。
確かに基地で働いていれば食いっぱぐれることはないだろう。ベロニカやプリムローズ隊の人たちとも会って話すことができる。でも、やはり即答することはできなかった。戦場に向かう兵士たちを横目にのうのうと生きることなんて今はもうできる気がしない。
私は生き残った人たちのところへ行くんだ……。
そうするしかないじゃないか、私には戦う勇気なんてないんだから。
「――隊長! プリムローズ隊長!」
突然、ナタリオが大声を出しながらこちらに向かって走ってきた。
それからすぐに宿舎から軍服姿のプリムローズが飛び出してくる。
何事かと思ってユスティナは反射的に立ち上がっていた。
「確認できたのか?」
「はいっ!」
ナタリオとプリムローズがちらりとユスティナとベロニカの方を見る。
それから二人はそそくさとその場を離れていった。
子供たちには聞かせられないと言わんばかりの行動が引っかかったのか、あるいは冷たい態度を取られたような気がして寂しくなってしまったのか、それとも二人のただならぬ雰囲気から危険なにおいを感じ取ったのか……自分でも分からなかったが、ユスティナは吸い寄せられるように二人の背中を追いかけた。
「宿営地に留まっていた反乱軍一個大隊が進軍を開始しました。敵の戦力が約千人、その中にブラックナイトが少なくとも百体は見られます」
「百体か……うちだけで相手をするには多いな。各地に散らばっていたブラックナイトを集めてきたのだろう。しかし、それだけの戦力が集合するのを待っている間に相当な物資を消費したはずだ」
「偵察の情報によるとやつらの食料はちょうど空っぽ。間違いなく進軍しながら、どこかの村を襲って食料を調達するはずです」
ナタリオが話しながら地図を開いてプリムローズに見せた。
「進軍ルートから判断するに……ここ、イオナの村を狙うのは間違いないでしょう」
「イオナっ!?」
そう声を張り上げたのはユスティナの後ろをついてきたベロニカだった。彼女は物陰から飛び出すなり、プリムローズとナタリオに駆け寄った。
「ちょ、ちょっと……どうしたの、きみっ!?」
ナタリオが飛びかからん勢いのベロニカを呼び止める。
ベロニカは潤んだ瞳でプリムローズとナタリオを見上げた。
「イオナは私の故郷なんです! やっと村に人が戻り始めたばかりなのに……」
「お、落ち着いて! とっくに早馬を出してある。避難は間に合うから!」
「で、でも……建物とか……畑とか……」
「それは可能な限りなんとかしようと思っているが……」
ナタリオの歯切れが悪い言い方から察するに、反乱軍がイオナの村に入ること自体は止められないのだろう。プリムローズ隊が大急ぎで駆けつけたところで、反乱軍と戦えるだけの体力を残していなかったら意味はない。しかし、万全を期して戦おうとしたらイオナの村は反乱軍によって完全に蹂躙されてしまう。
「急いで向かえばもしかしたら……」
諦めがつかないらしく、ベロニカが二人に問いかける。
ナタリオは頭を抱えて唸った。
「反乱軍に対抗して戦力を揃えていたら村の襲撃に間に合わない。少数で向かえば間に合うかもしれないが戦力が足らない。近くにいる部隊を先攻させて足止めしてもらって……いや、百体のブラックナイトを止められるわけがない」
これには流石にプリムローズも名案が浮かばないらしく黙ってしまっている。
でも、ここに新しい戦力が加わったとしたら……。
絶望的な状況でも一筋の光が見えるかもしれない。
「私がユニティに乗りますっ!」
ユスティナは衝動に突き動かされて物陰から飛び出した。
「きみまで聞いていたのかっ!?」
プリムローズが目を丸くして、それから呆れたように天を仰いだ。
「あれほど嫌がっていたじゃないか!」
「でも、ユニティなら駆けつけられます。ベロニカの故郷を守れます」
「確かにユニティとうちの隊で今すぐ出発すれば、反乱軍がイオナの村に入る前に到着できるだろう。ブラックナイトが何機出てきても怖くない。しかし、単刀直入に聞くが……きみは敵を殺せるのか? 生身の人間を相手にするときもあるかもしれないぞ?」
プリムローズに問いかけられた瞬間、ユスティナはその場に緊張が走るのを感じた。
ナタリオは「そんな酷なこと聞きますかね……」と引きつった顔になっている。
ベロニカに至っては奥歯をカチカチと鳴るほど真っ青になっていた。
「そんなこと、気にしていられる場合じゃないんですよね?」
あなたのときもそうだったように、とユスティナは問いかける。
プリムローズの判断はほんの数秒で済まされた。
「ユスティナ・ピルグリム、きみを今からプリムローズ隊に入隊させる。ユニティに乗り込んで出発の合図を待つように……もしも途中で逃げ出すようなことがあれば、正規の軍人と同じく逃亡罪に問われるがそれでも構わないか?」
「……はいっ!」
ユスティナは見よう見まねで敬礼する。
プリムローズはあえて厳しいことを言って、自分を戦いから遠ざけようとしてくれているのだろう。でも、今のユスティナに必要なのは立ち向かわざるを得ない状況だった。自分で物事を決められなければ、決めなければいけないようにすればいい。
「ごめん、ユスティナ!」
青ざめた顔をしたベロニカが横から抱きついてきた。
「私が無茶を言ったから、ユスティナがとんでもないことに……」
「いいんだよ、ベロニカ。私、戦ってみたいんだもん……」
ベロニカの体をそっと押しのけて、ユスティナはユニティに向かって走り出した。その言葉が自分の本心から出たものなのか、それは彼女自身にも分からなかった。
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