2-4:ユスティナの眠れない夜

 ユニティの無事を確認したあとも、ユスティナはナタリオと基地の中を見て回った。


 ユスティナが来ていると聞きつけて、基地のあちこちにいたプリムローズ隊の隊員たちが集まってきた。そのため話し相手には困らなかったし、昼食は兵士用の食堂でおいしい料理をご馳走してもらった。


 午後はプリムローズ隊の訓練を見学させてもらった。騎馬を走らせながらバリスタを的に当てる姿はやはり神業としか言いようがない。そのあとも馬小屋で馬を触らせてもらったり、鹵獲したブラックナイトを使った実験を見学したり、まるで親戚の家へ遊びに行ったときのように構ってもらえた。


 しかし、夕方になって宿舎へ戻ってくると途端に虚無感が込み上げてきた。


 みんなは大人だから子供の自分を心配して構ってくれる。

 でも、自分にできることはなにもないし、明日にはこの宿舎を出て村の生き残りたちの元へ行こうと思っている。それに口には出してこそいないけど、きっと多くの人たちがユニティに乗るのを期待しているはず……。


 宿舎の部屋に一人でいるとそんなことばかり考えてしまう。

 そうして、自室の書き物机に向かっていたときだった。


「ユスティナ、夕食を持ってきたよ」


 廊下の方からベロニカの声が聞こえてくる。

 彼女はドアを開けるなり「はわっ!?」と驚きの声を上げた。


「ランプもつけないでどうしちゃったのっ!?」

「ちょっと考え事をしてて……」

「とりあえず明かりをつけちゃうね」


 ベロニカは台車に置いてあるランプから、ユスティナの部屋にあるランプに火を移した。

 暖かみのある灯りが部屋の中を明るく照らす。


「あの……お夕食、ユスティナと食べてもいいかな? お手伝いさんたちの中に仲良く話せる人がまだいなくて……」

「……う、うん。いいよ」


 ベロニカが自分も働き始めたばかりだと言っていたのを思い出す。


 部屋に一人でいても気が滅入りそうだし、それにベロニカとはもっと話してみたかった。基地にはたくさんの人が暮らしていて、プリムローズ隊の人たちも親切にしてくれるけど、自分と同い年くらいの女の子は彼女しかいない。


 ユスティナは廊下に止められた台車から食事を運ぶのを手伝った。

 シチューの入った皿とライ麦パンの盛られたかごを書き物机に並べる。

 二人で夕食を食べられるのが相当に嬉しいのか、食事を運んでいるベロニカの三つ編みが本当に楽しそうに跳ねていた。


 ユスティナとベロニカはベッドに並んで腰を下ろして夕食を取り始める。朝に焼いたというライ麦パンはすっかり固くなっていたが、温かいシチューに浸すと柔らかくなっておいしく食べることができた。

 このシチューに入っている野菜の中には、もしかしたらコーンヒルの村で採れたものも入っているんじゃないか……そんな想像がふと思い浮かぶ。


 お父さんと二人で作ったシチューがまた食べたいな……。

 せっかくおいしく食べていたのにまたさみしい気持ちになってきた。


「ねえ……ベロニカのこと、聞いてもいい?」

「うん、いいよ」


 上手く話を切り出すタイミングがつかめず、やや唐突な聞き方になってしまったものの、ユスティナの問いかけにベロニカは快く頷いてくれた。


「ベロニカはどうして働いてるの?」

「……私、孤児だから」


 どういう気持ちで言ったのか、ベロニカはこちらを向いてはにかんでいた。

 ランプの明かりの下でもほおにハッキリ赤みが差しているのが見える。

 眉毛も今朝と同じく優しそうに垂れ下がっていた。


「もしかして、戦争で……」

「うん。一年くらい前、戦争が始まったばかりのときにね……ブラムスの反乱軍がいきなり私の住んでいる町に襲いかかってきたの」

「私と同じだ!」


 戦争の恐怖はいつも唐突にやってくる。

 それも戦争が始まったばかりの頃なら、ベロニカにとっては青天の霹靂だったろう。


「私のお家は街のパン屋さんで、私はいつもパンの配達を手伝ってた。その日も王国軍の基地にパンを配達しに行ったんだけど、ちょうどそのときに反乱軍が町を襲撃してきたの。私は基地の中に保護されて助かったけど、お店に残っていた家族は……」

「……ごめん、辛いことを思い出させちゃったよね」

「いいんだよ。誰かに聞いてほしいって思ってたから」


 ベロニカが空になったスープ皿にスプーンを置いた。

 彼女の手は小刻みに震えており、置く際にスプーンがカチカチと音を立てる。


 さっきまで懐かしむような表情をしていたのに、すでにベロニカの顔には暗い影が差し込んでいた。幼げな彼女の横顔に深い陰影がつき、隣から見ていてドキッとするほど顔立ちが大人びて見えた。


「反乱軍の目的は町にある食料だった。狼のように飢えた反乱軍の男たちは、町の人たちを殺しながら町中の食料を食らいつくしたの。私のうちのパン屋も襲われていて、パンの並んでいた商品棚は荒らされてた。それにパパとママと……まだ言葉もしゃべれなかった弟は……」


 ベロニカの目から涙のしずくがこぼれ落ちる。

 言葉を覚える間もなく亡くなった幼子のことを思い、ユスティナも胸が痛くなってくる。


 戦争になると誰でもそんな残酷になってしまうのだろうか?

 それとも人間は元から残酷なのか?

 戦争のときだけ残酷になるなら、戦争の間に犯した罪は許されるべきなのか?


 お父さんならどう考えるだろうか、とユスティナは思いを馳せた。


「戦争の起きるような世の中が悪い。反乱軍がみんな悪いわけじゃない。そう言う人もいるけど……私、やっぱり反乱軍を許せない。ブラムスの人たちは反乱軍のやっていることを知っていて応援してるの? そうだとしたら、私……誰も許せそうにないよ!」


 ベロニカが激情に駆られてベッドから立ち上がる。

 膝に置いていた空っぽのスープ皿が床に落ちて、割れこそしなかったものの大きな音を立てた。その音を聞いて多少は冷静さを取り戻したのか、ベロニカが取り繕うように不器用な笑みを浮かべてスープ皿を拾い上げた。


「ご、ごめん……こんな恨み言、聞いても楽しくないよね……」

「ううん、いいよ。人にはなかなか言えないことだもんね」


 きっと数日前までの自分ならベロニカの考えを恐ろしく思っていたに違いない。住んでいる国が戦争しているからといって、自分自身が経験しなければ戦争の本当の恐ろしさは想像できないのだ。そこにどれほどの苦しみと憎しみがあるのかを……。


 ベロニカがエプロンの端っこで涙に濡れたほおを拭った。


「……ねえ、今度はユスティナのことを聞いてもいい?」

「もちろんいいよ」


 ユスティナはベロニカに請われて自分のことを話した。

 コーンヒルという田舎の村で育ったこと、自分を産んだときに母親は亡くなったこと、神父である父親と二人で暮らしてきたこと、生まれ育った村の人たちが好きだったこと、平和な日々を反乱軍に壊されてしまったこと……。


「ベロニカも知っていると思うけど、私があの巨大な像に乗ってきたの」

「うん、軍の人たちが噂してるのを聞いたよ。ユスティナが巨神って呼ばれてる像に乗って反乱軍をやっつけたって……ねえ、やっぱり反乱軍と戦うのは怖かった? それとも巨神に乗っている間は平気になるの?」

「乗っている間は無我夢中だから……でも、今になってすごく怖くなってきた」


 ユスティナは背筋に寒気を感じて自分の体を抱きしめた。


「反乱軍を許す気持ちにはなれない。けれど、巨神にはもう乗りたくない。やっぱり人を殺すのって恐ろしいことだよ。私は生き残った人たちと安全な場所で平和に暮らしたい。明日にはもうここを離れようと思う。たとえ、お父さんがいなくても……」


 そう口に出してみて初めて疑問が浮かんできた。


 私、本当にこれから平和に暮らせるのかな?


 戦争が終わらない限りはどこにいたって恐怖はつきまとってくる。それに村の人たちと一緒に暮らしていたら、ずっと死んでしまった人たちのことを考えてしまいそうだ。それにもしかしたら、自分は村の人たちから恨まれているかもしれない。自分がもっと頑張れていたら、さらに多くの人たちが死なずに済んだはずなのだから……。


 ベロニカはやっぱり私に戦ってほしいのかな?


 そうに違いないのは分かっている。だって、客観的に見たら自分は戦うべきだ。王国軍にはユニティの力が今すぐ必要で、ユニティさえあれば救える命があるのだから。別の操縦者を探すなんて悠長なことは言っていられない。


 でも、ベロニカは最後まで「巨神に乗って戦ってほしい」とは言わなかった。反乱軍に対する復讐心を胸の内に抑え込み、こちらの心情をおもんばかってくれているのだ。そんな彼女の優しさが今のユスティナには不思議と苦々しく思えた。


 どんな選択肢に手を伸ばしても辛く思えてくる。

 自分はこれから一生、こんな気持ちのまま生きていくのだろうか?


「……ユスティナと友達になりたかったな」


 夕食を終えて去って行くとき、ベロニカはそんなことを言った。

 ユスティナは「もう友達だよ」と言いたかったけど言葉が出なかった。


 ×


 ベロニカとの夕食を終えたあと、ユスティナはベッドに潜り込んで眠りについた。


 しかし、昨日と違ってなかなか眠ることができない。


 ナタリオに連れられて駐屯地を歩き回り、色んなものを見たり、色んな人と話したりして心も体も疲れている。それなのに布団にくるまって目を閉じると、まるで暗闇の中へ引きずり込まれるような嫌な感じがして飛び起きてしまうのだった。


 ユスティナは居ても立ってもいられず、パジャマ姿のまま部屋から出た。真夜中の宿舎には月明かりが差し込んでおり、暗さに目が慣れてくるとランプなしでも歩くには不自由しない。


 あてもなく歩いていると、宿舎の中庭に一人の女性がいるのを見つけた。石造りのベンチに腰を下ろして、わざわざティーセットで持ち出してお茶を飲んでいる。


 後ろ姿に見覚えがあるなと思っていたら、


「……ユスティナ?」


 いきなりその人が――プリムローズが振り返ったので驚いた。


 軍服ではなく彼女も支給品のパジャマを着ており、長く伸ばした淡い桃色の髪をポニーテールにしている。

 昼間の軍人然とした気品のある姿から一転して、プライベートな時間を過ごすためのラフな格好になっていた。


「向かい側の窓に姿が映ってたから……どうした、眠れないのか?」

「はい……なんだか寝るのが怖くて……」

「せっかくだから、もう一杯もってこよう」


 プリムローズがティーセットを持って中庭を離れる。

 しばらくして戻ってくると、彼女はティーカップに二人分の紅茶を入れてくれた。息を吹きかけて冷ましながら飲むと、上品な茶葉の香りと砂糖のほんのりとした甘みが口いっぱいに広がって、そわそわしていた気持ちが少し落ち着いた。


「うちの実家から送られてきた茶葉なんだ。オーウェン家の領地にはミゼル王国で一番大きな茶畑があって、領民は一年中おいしいお茶を飲むことができる。毎年王室へ献上しているくらいだから味は折り紙付きさ」

「王様も飲んでいる紅茶なんですね」

「そう考えるとリッチな気がするだろ?」


 プリムローズがちょっと自慢げに微笑む。

 昼間の凜々しさからは想像もできないような子供っぽい表情を目の当たりにして、なんだかユスティナは無性に嬉しくなってしまった。大人で貴族で軍人で隊長のプリムローズでも、得意げに自慢する子供みたいな顔をすることもある……自分と彼女も同じ人間なのだと思えて嬉しいと同時にホッとする。


「……寝るのが怖い?」


 プリムローズの問いかけに対して、ユスティナは素直に首を縦に振った。


「私、迷っていて……このまま、本当に村の人たちのところへ行くべきなのか……」

「それはどうして?」

「私がもっと頑張れていたら、村の人たちは死なずに済んだと思うから……」

「考えすぎだよ、ユスティナ」


 プリムローズが心配を振り払うように首を横に振る。

 ポニーテールに結んだ髪が騎馬の尻尾のように揺れた。


「誰もきみを心から批難なんてしないさ。中には八つ当たりのように言ってくる人もいるかもしれないけど、それは家族の死を受け入れられず心に深い傷を負っているからだ。いつか心の傷が癒えたとき、その人はきっとユスティナに辛く当たったことを反省する。賢いきみなら分かるね?」

「……はい」


 返事をして見たものの、はっきり言って傷ついた人たちの言葉を真正面から受け止められる気はしなかった。もしかしたら「私の方が辛いのに!」と反射的に言い返してしまうかもしれない。だって、自分はそんなに大人じゃない。


「プリムローズさんは戦うのって怖くないんですか?」

「怖くない……と言ったら嘘になる」


 プリムローズが自嘲の笑みを浮かべた。


「私は英雄譚に出てくるような勇者じゃないから、仲間がいるから怖くない……なんて勇ましいことは言わない。貴族として領民を守るのは当然のこと、という使命感も今はあるけど昔は素直にそう思えなかった。ただ単に怖くても戦わなくちゃいけなかっただけさ」

「それは騎士の家系だからですか?」

「その通り。父も母も戦場で武勲を立てている。それなのに一人娘の私がビビって閉じこもっていたら、由緒正しきオーウェン家の面目は丸つぶれだ。もちろん、この面目は単なる格好つけではない。騎士の家系に生まれた娘が騎士らしく行動するからこそ信頼を得られるし、周りの人たちも自然と勇気が湧いてくる」

「……でも、死んじゃったらおしまいです」

「おしまいとは分かっていても行くしかなかった。そうして幾たびも死線をかいくぐってきた末にコツが分かってきた。戦場で死なないようにするためのコツさ。コツが分かると自信もついてくる。私は死なないし、仲間も死なせない。そういう自信はやっぱり実際に戦場へ出てみないと身につかない」


 理不尽な話だ、とユスティナは率直に思った。

 結局は戦場で身を危険に晒すしか、恐怖を克服する手段はないのだ。

 そうして多くの人間は自信をつける前に死んでいくのだろう。


「ユスティナ……きみが気にしていることは分かっている」


 プリムローズが励ますようにユスティナの肩を抱き寄せた。

 彼女の手は暖かくて柔らかく、とても武器を握りしめて戦う人の手には思えない。湯浴みしてきたばかりなのか、ほんのりと石鹸の柔らかいにおいがした。


「ユニティは私たちに任せてくれ。新しい乗り手は必ず見つけるし、たとえ見つからなくても反乱軍には負けやしないさ。これまで一年間、反乱軍の攻撃に耐えてきたんだ。やつらが息切れするまでの間くら必ずい持ちこたえてみせるよ」


 プリムローズの励ます言葉がベロニカの優しい態度を思い起こさせる。

 彼女は立派な大人だから、今すぐ戦えなんて乱暴なことは言わない。ロゴス将軍だってそうだった。厳しい現状について説明しながらも、最後は必ず励ましてくれる。

 でも、それがもう大人に課せられた義務であることにユスティナは気づいてしまった。気づいたうえで素直に受け入れるなんて、そんな器用なことはできそうにない。


「今はただ……安全なところでゆっくり考えればいいさ」

「……はい」


 ユスティナはうなずいたものの、やはり心の中では迷い続けていた。

 こういうとき、お父さんが一緒にいたら私を導いてくれるのに……。

 宿舎の中庭に冷たい夜風が吹き込んできた。

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