06 魔術学
「あなたが編入生かしら? 私は担任のアリシアよ」
「ああ、ノア・メイスフィールドだ。よろしく」
廊下の壁に凭れながらしばらく待っていると、一人の女性がやってきた。
亜麻色の長髪の美人だ。
外見から窺える年齢は二十代前半といったところだが、優れた魔術師ともなると老化を遅らせたり、あるいは不老であることも珍しくはないため、外見だけで年齢を測るのは難しい。
特に、魔術学園の教師という職種はエリートだ。
将来を担う貴族の子弟に魔術を教えるというだけあって、その門戸は非常に狭く、元宮廷魔術師などという肩書きを持つような奴らがゴロゴロ転がっている。
外見から判断できる年齢などあまり当てにできないだろう。
「じゃあ行きましょうか……とりあえず、教室に入ったら軽く挨拶でもしてくれればいいわ」
「了解」
アリシアが扉を開けて教室内に入っていくので、俺もそれに続いて教室へ戻る。
すると、教室内の視線が一斉にこちらへと向く。
若干の居心地悪さを感じながらも、俺は「編入生のノア・メイスフィールドだ、よろしく」とだけ言って、空いている席に座った。
□
「今から話すのは一年の頃にあなたたちが学んだ内容の復習だけれど、しっかり聞きなさいね」
という言葉と共に、アリシアは講義を始めた。
「魔術というのは、本来なら手の届かないような神秘を誰にでも扱えるようにと編み出された技術の体系よ」
学園の西端、巨大なドーム状の施設に集まった俺たちを前にして、アリシアはそう言った。
初回の講義では、生徒各々の魔術の技量を測るため、この訓練施設で実践が行われるらしい。周囲を見渡すと、離れた場所には同じように教師に率いられた学園生の姿が見える。
俺たちが集められた施設には広い空間が広がっていたが、中には何も物が置かれておらず、ただ広い空間といった場所であった。
壁や天井には特殊な塗料で複雑な模様が描かれており、淡く発行している。
この施設は学園内においては射術場と呼ばれているらしい。
周囲に張り巡らされた無数の防護結界によって厳重に区切られた区画で、この中では学生が魔術を実際に使用することも許可されるとか。
主に今のように講義における魔術の実技の際に用いられる他、学生にも開放されているため、血気盛んな学生たちが決闘じみたやり取りをする際にも利用されるという。
「魔法という全能かつ無限の力を、人の手でも扱えるようにしたもの。全能でなく、かつ有限な力へと落としこんだものが魔術と呼ばれるわ」
そのような魔術に対して、魔法というのは文字通りの『何でも叶う力』である――無論、そのような強大な力が誰にでも扱えるわけがなく、歴史上を見ても魔法使いと呼ばれるような人は数人しかいないのだが。
「魔術は魔法使いのような――魔法を扱えるような才能がなくても扱えるように、万人向けに調整された技術よ――尤も、それでも生まれつきの魔力保有量や精製量や属性に対する適性、単純な才能の影響がどうしても無視できないのだけれどね」
言って、アリシアが微笑む。
元が魔法という極端に使い手を選ぶ神秘であったため、そこから派生した魔術にも当然適性というものが存在する。
たとえば、魔力量――これは生まれつき決定される素質の一つで、その名の通り、個人が保有する魔力の量のことだ。
これが大きければ大きいほど、沢山の魔力を蓄えることができるため、必然的に、魔力を潤沢に使用した魔術や、長時間の連続した魔術行使にも耐えられることになる。
そして、属性適性――火、水、風、土、空という五つの魔術を大別する属性への適性数値。
要するに、その属性に類する魔術を扱う才能、それを数値化したもの。
「ともあれ、身も蓋もない言い方をするならば、魔術は魔法の劣化縮小版といったところね。
魔力を使って自由自在に世界を書き換えるのが魔法。
それに対して、魔力という燃料を用い、術式によって定めた通りに世界を改竄する術理こそが魔術だ。
訓練施設の壁面や天井には無数の魔法陣が幾重にも重なるように刻まれている。
これらは龍脈と呼ばれる地面を流れる魔力を吸い上げ、術者の手を離れ、常に防護系の効果を持つ魔術を複数展開している。
この防護を破るのは相当な火力が必要なのは明らかだ。
少なくとも、学生レベルの魔術では傷一つ付くことはないだろう。
「例えば――
アリシアの指先に魔力が集中し、詠唱と同時に小さな火球が点った。
「これは
魔力の供給を止め、アリシアは火球を消すと続けた。
「今の魔術は小規模だから才能がない人でも使えるけど、規模が大きくなったり、効果が複雑になるにつれて魔法から切り取る範囲が広くなる――つまりは魔法に近くなるから、才能がないと使えなくなるわ」
アリシアは指先を再度虚空に向けると、詠唱した。
「例を見せると、
先ほどよりもさらに多くの魔力がアリシアの指先に集まり、次の瞬間――虚空に巨大な炎の槍が生まれた。
膨大な熱量は、離れた位置にいる俺たちにも伝わってくるほどだ。
「こんな風に槍の形の炎を生み出す魔術だと、
言って、すぐにアリシアは炎の槍を霧散させた。
「この目安となるのが階梯と呼ばれるものね。ええと、じゃあ……リリーさん、説明してくれる?」
「はい。階梯は魔術を管理研究する組織、
ある程度の基準として、一般的な魔術師の限界到達点が第五階梯と言われている。
勿論、大前提として相応の才能があって、かつ努力を怠らなければ第六、第七階梯、あるいはそれ以上の階梯といった高みへ至ることも夢ではない。
リリーが言うと、アリシアは「はい、リリーさんありがとう」と頷いた。
「さて――ここまでが去年学んだ内容のおさらい、いわば
言って、アリシアが軽く手を振る。
すると施設の床が揺れ、俺たちの前方に巨大な石柱が幾つも出現する。
無詠唱――詠唱を使用せず、術者の想像力だけで世界を改竄する技術だ。
より高い階梯の魔術になるほど術式の重要性が増していくため、無詠唱での発動は難しくなる。
そのため、一流の魔術師ですら実践レベルで使える者は限られているという高等技術。
それを容易く使用したという事実だけで、アリシアの魔術師としての技量が優れていることが分かる。
「全部で三十本、生徒一人につき一本。今から、各々が使える最大威力の魔術で石柱に攻撃して頂戴。使う魔術の属性は問わないわ」
「質問です、先生。この場合、評価はどのように判定されるのでしょうか?」
そう言って手を挙げたのは、レオンハルトだった。
「そうねぇ……これはあくまでも現状の実力を測るための試みだから、評価は気にしなくてもいいのだけれど。まあ、破壊とまではいかなくても、傷を付ける威力が出せれば十分よ。一切傷が付かないレベルだと、もうちょっと頑張りましょう、って感じかしら」
「了解です」
レオンハルトがそう言うと、アリシアは満足げに頷いた。
「さて、じゃあやってみましょうか……じゃあまずはレオンハルト君からで」
「はい」
堂々とした態度でレオンハルトが一歩前へ出る。
俺は軽く周囲を見渡し、隣にいたリリーへ訊ねた。
「なあ、あいつって優秀なのか?」
「……なんで私に聞くのよ」
「他に知り合いがいないからな」
「私とあなたも別に知り合いじゃないでしょうに……まあいいけど。あの男は確か、学年で二番目の成績だったはずよ。そういう点で言えば十分優秀と言ってもいいんじゃないかしら?」
「なるほど、口だけじゃなかったんだな。ちなみに、あいつが二番なら一番は誰なんだ?」
「私よ」
「へぇ……」
そんな応答をしながらも、視線はレオンハルトに向ける。
「
レオンハルトの詠唱と同時に、前方の大気が滅茶苦茶に歪む。
大気が凝縮されているのだ。
そして数秒後、大気が解放され――暴風が吹き荒れる。
アリシアが生成した石柱を一つ、二つ、三つと次々と薙ぎ倒し、粉々に粉砕した。
発生した暴風は術者の手によって前方へ指向性を持たせられているにも関わらず、その余波だけでこちらまで吹き飛ばしかねない威力だ。
『
「威力は中々だな」
「威力は、ね。風の生成から凝縮、解放までの時間が掛かり過ぎよ」
「手厳しいな」
「あなただってそう思ったのでしょう?」
リリーがこちらを見つめている。
俺は肩を竦めた。
レオンハルトがちらりと俺のほうを向き、勝ち誇ったような表情を見せた。俺はそれに気づかなかったふりをした。
……あれが学年で二番目の実力か、と俺は内心で思う。
俺の今回請け負った任務の都合上、あまり目立つのは得策ではない。だから突出して優れた成績を出すことはできないし、逆に手を抜きすぎて劣等生になるのも望ましくはない。
故に、求めるべき立ち位置は平均――いや、編入生という性質状、平均よりは上、優等生程度の位置がちょうど良いだろう。
加えて、優等生であるならば護衛として咄嗟の状況で人前で魔術を使ったとしても、ある程度なら誤魔化しが効くかもしれないという公算もある。
今のレオンハルトの魔術行使を見て、どの程度手を抜けばいいのかは大体判別が付いた。とりあえずは、レオンハルトより一段階か二段階劣る程度の魔術師を演じれば十分だろう。
まあ、尤も……うまく演じることができれば、の話だが。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます