その地獄の名は、底無しの熔鉱炉【アビス・ルカス】


 もし【地獄】いう世界が実在するのなら、目の前にあるそれは、まさに【地獄】そのものを凝縮したかのような姿カタチをしていた。


 その物体カタチは、沸滾にえたぎりドロドロに熔けた鋼のよう。超高温を帯びて赤黄色に揺らめく表面は、止め処なく流動して模様を変化させながら、薄灰色の煙をもくもくと湧き立たせている。


 その形状カタチは、巨大な人間のようヒトガタ。5メートルはあろうかという巨躯から伸びる、チンパンジーのような長くとろけた腕に、その図体を支えるための太く短い脚。ぐつぐつとえる体表に浮かび上がってくるのは、拳ほどの大きさの気泡と――。


 助けを求めるかのように両腕を広げた、人間ヒトの上半身のようなカタチをした、どろどろな突起物。それらは巨体の赤黄色い表面から這い出てこようとするかのように湧き出でて、すぐさま熔鋼の中へと引き込まれていき、また別の上半身が入れ替わるようにして浮かび上がってくる。その度に次々と響くのは、呻くような声、喚くような声、泣き叫ぶような声。


 それは――罪なき数多の人間たちヒトビトをその身に熔かし込んだ、底無しの熔鉱炉アビス・ルカスの成れの果ての姿カタチ


 熔かし込んだ人間たちヒトビトの恐怖が、哀しみが、怨念が、執着が、未練が――熔鋼の表面に人間ヒトのようなカタチを成して、無数に浮かび上がっては、引き摺り込まれるようにして沈んで、また浮かび上がっては、引き摺り込まれて――を延々と繰り返していた。


「こ――これは――なんて、非道い――」


 熔け混ざった人間たちヒトビトの変わり果てた姿を、その凄惨な末路を目の当たりにして、瑞穂は思わず口元を押さえていた。胃が引き攣り、痛みにも似た酸っぱさが喉元に込み上げる。


「ふははっ――どうだ、素晴らしいであろう、神秘斬滅ルナイレイズの少女と枷の男――そして、裏切り者のNo.11Elevenよ」


 ホールに響き渡る老人の声。底無しの熔鉱炉アビス・ルカスの後方に、子供ほどの背丈の小さな人影が佇んでいるのが見える。それは、身体の半分以上を機械カラクリのようなものによって構成され、しわくちゃな表皮の所々に電子部品や金属の欠片のようなモノを埋め込んだ、異形の姿をした老人だった。


 ノエは異形の老人へと向き直り、ぽつりと瑞穂たちへと呟いた。


 あれこそがすべての元凶――【雷匠調教トニトルスマギステル】の二つ名を持つ元四天王の魔族マギアイドラ、ティマニタである――と。


「ティマニタ――ワタシ貴男アナタに生み出されはしたものの、従属するようになった覚えはないですが――裏切り者という表現は正確ではないのでは」


 鈴の音のような声を張り、ノエは老人ティマニタへと応える。


「ふむ、我が素晴らしき研究成果を停滞させておきながら言ってくれる。

 底無しの熔鉱炉アビス・ルカスの制御には、スミノより抽出した高純度な魔力の塊が必要だった。ゆえに灼零核アルバコアに由来する魔力核マギアコアを――つまり、お前を準備したのだ。

 ――にもかかわらず、お前は愚かにも実験体の身体を使って逃走した。そのせいでワシの計画には大幅な狂いが生じたのだぞ――」


「そう――だからこそ・・・・・ワタシは逃げた。そして死のうとした。アレの制御のために必須となる部品パーツであるワタシが消えれば、底無しの熔鉱炉アビス・ルカスの研究は水泡と化す。そうすれば、【姉さん】のような――殺され、熔かされ、啜られる犠牲者がこれ以上増えずにすむから――」


 ノエの言葉にティマニタは弾けるような嗤い声を上げた。


「がははははっ――【姉さん・・・】、か。お前、身体ボディに使っているその屍体の残留思念に、思考を引きずられているのではないか? ふむ――見たところ随分と混ざって・・・・しまっておる。せっかくの純粋なコアだったものが――いや、純粋だからこそ、こうも容易に人間などと混ざってしまったのやもしれぬ――これは強引にでも、その屍体とコアとを引き剥がし、再精製せねばならぬな――!」


 ティマニタは言い放つと、跳び上がった。老人とは思えぬ瞬発力に、二つ名に持つ雷の如き一瞬かつ鮮烈さを帯びた素早さ。瞬時にノエの懐に飛び込んだ老人は、その少女の胸元に埋め込まれた魔力核マギアコアを捥ぎ取らんと、しわだらけの腕をぐいんと伸ばす。


 その刹那、白い斬撃が飛ぶ。それは急接近するティマニタをノエから引き離そうとするかのような軌道を描き、仰反る少女の鼻先を掠め、伸ばされた老人の腕をバッサリと輪切りにしていた。


「そんな手で――そんな、沢山の人の命を奪った、血塗られた手なんかで――ノエちゃんの大事な部分には触らせない――」


 ツインテールを仄かな白に染め、瑞穂は刀剣を片手に呟いていた。


 突然の邪魔に、ティマニタは断ち切られた腕を顧みることなく跳び退いた。


「ふん――沢山の人の命を奪った――だと? 命なぞ、【消費する】ためにあるのだが? 人間のような、その大半がただ単に生まれ死ぬだけで世界に何かを成すこともない存在に、そんなものの命などに、【何の意味】があろうかというのだ」


 老人は吐き捨てるように言うと、懐から小さな電子部品のようなものを取り出し、断ち切られた腕の断面へと押し当てる。電子部品は黒い光を迸らせ、拡がるように腕の断面を覆い隠すと、ガチャガチャと音を立てて腕の形状カタチへと変形していき、皺だらけの被膜で覆われていき、やがて断ち切られる前とほぼ見分けがつかないほどの腕へと再生していた。


「こちらも完全に無策ではないぞ、神秘斬滅ルナイレイズの少女よ。その能力チカラドミジウスNo.10の残骸からある程度のデータは取れている。

 あやつドミジウス身体ボディを再生させる能力チカラを行使できなかったのは、その身が再生能力と一体になっていたからだ――故に、神秘斬滅ルナイレイズによって再生能力の流れとその因果そのものを断ち切られてしまえば何もできなかった――そう、はなから一体となっているから断ち切られたのだ。

 ならば、このように外部から再生能力を加えることで問題は解決できよう? 神秘斬滅ルナイレイズは所詮、断ち切ることしかできぬ能力チカラ――外部からの干渉そのものを無効化できるわけではないのだから。

 ふふふ、我が技術によって、神秘斬滅ルナイレイズは再生不能な死の斬撃ではなく、単なる斬れ味の鋭いだけの攻撃へと成り下がったのだ――!」


 老人ティマニタは唾を飛ばすような勢いで捲し立てる。その時――。


ジジイ。言いたいことは、それだけか――?」


 それまで無言のまま少女たちの背後にたち、興味なさげに事態を傍観していた金色の瞳の少年――覇王アシャは、おもむろに口を開き、言い放っていた。


 ティマニタは突然の言葉に眉を寄せる。


「なん――だと――?」


「言いたいことは、それだけか? と聞いたのだ――なぜ今、俺がこの問いをしたのか、理解わかるか?」


 表情を変えぬまま、アシャは言葉を繰り返す。小男ティマニタは眉を潜めたまま不気味に嗤い、灰色の歯を覗かせる。


「何を言っている――頭がおかしくなったか、枷の男。ふふ――よかろう、まずはその減らず口を閉ざすとするか。いかにお前といえども、我が至高の魔装マギアルマの力には勝てぬだろう――コアが無くとも、細かい制御が出来ずとも、お前たちを薙ぎ払い、熔かし尽くす程度のことはできるのだぞ――やれ、底無しの熔鉱炉アビス・ルカス!」


 ティマニタの命令に応えるように、ヒトの形状カタチを赤黄色の溶鋼――底無しの熔鉱炉アビス・ルカスは、その巨躯をゆっくりと動かした。


 アシャたちへと向き合うように蠢く、底無しの熔鉱炉アビス・ルカス。やがてその胴体から、砲身のようなモノが突き出した。魔力を溜めるチャージしているかのような低い音が響き、砲身の中が眩い光を湛えていく。そうしている間にも、どろどろとした表面からは人間ヒト形状カタチをした小さな突起物が無数に、まるで助けを求めるかのように次々と浮かび上がっては沈んでを繰り返していく。


「小娘――聞こえているか」


 静かに歩き、2人の少女たちの前に立ち、アシャは呟いた。


「我が枷を断ち切れ。今が――その時だ」


 その時、底無しの熔鉱炉アビス・ルカスの腹から突き出た砲身より、夥しい量の熔鋼と魔熱エクスハティオとが放たれた。


 まるで決壊したダムから溢れ出る濁流のように、放たれた熔鋼の極太の流れは、少年たちの姿をその一瞬のうちに飲み込んでいく――。



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