夢幻拘束【ソルバインド】


「僕の名前――えっと、ショウマ。名字は――思い出せないけど」


「だーから、【ミョウジの概念が無い】んだって」


 ナルは笑いを堪えるように呟いた。


 ミズホは再び大きな溜息をついて肩を竦める。


「そのファンタジーな概念、ショウマさんからも【断ち切り】ましょうか?」


「い、いや、いいよ。大丈夫」


 ショウマは慌てて手を振り、周囲を見回した。


「それより、ここは――?」


「うーん……この見渡す限りの草原からすると、たぶんここはイクセの大草漠だねぇ」


 頭に手をやりながらナルは呻くような声を出す。


「落下地点を制御できないのが転異魔術のお約束とはいえ、厄介な場所に墜ちたもんだ。


 ここさ、一見、緑の生い茂ってる豊かな地に見えるけど、生えているのは煮ても焼いても食えない雑草ばかりで、そんなのが無限に広がる不毛の地。


 もちろん生物なんかいやしない。またの名を、誰が呼んだか【緑の砂漠】」


「えぇ……。そんな場所、聞いたことがない」


 ショウマは困惑しきったように空を仰いだ。


「そりゃそうですよ、ショウマさん」


 ミズホは呆れたように瞳を細めて、またまた大きな溜息をついた。


「ここは私たちのいた世界ではない、【異世界】ですからね。私たち、そこにいる魔術師のお姉さんに無理やり【異世界】に連れてこられたんですよ」


「い――【異世界】って――そ、そんなアニメだかゲームみたいなことがあるわけ――?!」


「今更すぎるでしょ二人とも」


 ナルは手をひらひらと振りながら、ショウマとミズホを交互に眺めた。


「まあ、あたしとしては【神秘斬滅ルナイレイズ】の力を持っている子さえ召喚できればよかったんだけどね……まさか【おまけあなた】まで一緒に転異させちゃうとはね……ん?」


「【おまけ】って――誰のせいでこんなことになったと――!」


 ミズホは少し怒ったような声を出し、ナルに詰め寄ろうとした。


 その時、ナルは何かに気付いたように小首をかしげた。近づいてきたミズホをぐいっと上から手のひらで押しのけると、ショウマへと歩み寄り、彼の手足をまじまじと見つめた。


「あなた……手首足首についてる、この鎖みたいなのは何? まさか、こういう趣味なわけではないでしょう?」


 そう言われて初めて、ショウマは自身の手足の重みに気付いた。見ると左右両方の手首と足首に鎖のような金属製の枷がガッチリと嵌められていた。


「な――なんだこれ?!」


 ショウマは驚いて、泳ぐような目付きで自身の手足に絡み付いた拘束具をひとつひとつ確認した。


 血のように赤みがかった右腕の手枷。


 痣のように紫がかった左腕の手枷。


 腐ったような緑の滲む右脚の足枷。


 古傷のように青黒い左脚の足枷。


 ショウマの身体に付いていた枷は全部で4つ。いずれも不気味な色をして、彼の両手両足で呪いのような鈍い輝きを放っていた。


「うわ……これは……」


 ミズホも覗き込むようにショウマの手足の枷を見つめ、何かを想像したのか、若干引いたように呟いた。


「外せないのでしたら、私が【断ち切り】ますが……」


「ちょいまち、つかもっち!」


 ミズホの言葉を遮るように、ナルが割って入る。


「つ――つかもっち?」


「ツカモトって名前だから、つかもっちだよ。あなたのあだ名。可愛いでしょ?」


「う……うーん……」


 腕を組んで不本意そうに呻くミズホをよそに、ナルは続けた。


「そんなことより、この枷……魔術でできてる。それもぶったまげるくらい格が高くて、高純度すぎて魔力の塊なのに物理的に顕現してて……まさに、【夢幻拘束ソルバインド】と呼べるものだよ」


「【夢幻拘束ソルバインド】――?」


 理解が追いついていない様子で、ショウマは曖昧に呟く。


「うん。要はめっちゃめちゃ超強力で、もし神様がいるなら神様レベルなくらいの超絶にキツい封印ってこと。それはつまり、神様でもやっとこさ力を抑え込めるくらいの【ヤバい奴】が、その枷によって封印されている可能性があるかもってことなのよ」


「な、何でそんなものが僕の手足に?!」


「それはこっちが訊きたいわ! 何でそんなトンデモないものがあなたに引っ付いてんのよ……それに……」


 ナルは横目でミズホの方を見やる。


「何の因果か【神秘斬滅ルナイレイズ】の力を持った子までいて……この状況はあたしとしては非常に怖い!」


「『何の因果か』もなにも、あなたが無理やり連れてきたんですからね?」


 ミズホは溜息をつくのも諦めたように、ふうと鼻で息をしてツッコミを入れる。


「いや、それはそうだけど……【夢幻拘束ソルバインド】の近くに【神秘斬滅ルナイレイズ】の力を持つ者がいる状況って、魔術師の立場からすると【爆弾の近くにある花火の点火スイッチをいつでも押せる】みたいな状況に感じるのよね」


「押すなよ? 絶対押すなよ? ――ってやつですか。私もバカでは無いですから、ショウマさんの手足にある枷が、そういう危険なものだとわかっていれば無闇やたらに【断ち切る】なんてことしませんよ」


「あの――さっきから話が読めないんだけど――」


 おずおずとショウマは尋ねた。


「そもそも、さっきから話に出てきてる【神秘斬滅ルナイレイズ】ってのは、何なの――?」


 ナルは眼をパチクリさせて、ショウマの顔を真正面から見つめた。


「ああ、そこから説明する必要があるんだっけ……えーっと、【神秘斬滅ルナイレイズ】って言うのはね……」


 その時、遠くから耳をつんざく大音響が鳴り響いた。


 そこはショウマ達以外は誰も居ない筈の大草漠。三人はハッと我に返ったように一斉に頭を上げ、お互いに顔を見合わせた。


 聞こえたそれは、無数に重なり合う獣の咆哮だった。



 ○●



火狼ケオリュコス――!」


 真っ先に咆哮のする方向へと振り向いたナルは、視線の先、大草漠の中で染みのように犇めいている猛獣の群れを見つけ、その名を叫んだ。

 

 彼女の言うとおり、それは巨大な狼の形をした炎の獣だった。


 一体あたりの大きさはトラックほどはあるだろうか。その数は少なくとも見積もっても十体はいるように見える。緑の大草漠を焼き払い咆哮を響かせながら、炎の獣の群れはこちらへと一直線に向かってきていた。


「あ、あれは何?!」


 そのあまりに現実離れした異様な光景に、ショウマは腰を抜かしていた。


「あれは火狼ケオリュコス。全身に炎を纏い、強靭な四肢で地獄の火山を駆け、彷徨う死者を喰らうと言われる魔獣マギアビーストだよ」


「ま……魔獣……?!」


 驚きに絶句するショウマを尻目に、ミズホは口早に問いかける。


「でも、ここは火山でも地獄でもありませんが――なぜ、そんな魔獣がここに?」


「いい質問だね、つかもっち! でもね、それを説明する時間はちょい無さそうだよ」


 ナルが言い終わる前に、数十体の魔獣は三人を取り囲んでいた。

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