エピローグ What a wonderful world ~この素晴らしき世界~


 それから時は流れ――――


 スペイン ナバラ地方。


 コンコンとノッカーの音が玄関に響き、老執事のセバスチャンが扉を開けて応対を。

 郵便配達人がエアメールですと一通の封筒を差し出す。

 ご苦労と言って受け取り、扉を閉める。

 いったい誰からだろうと差出人の名前を確認した時――――


 老執事は慌ててザビエル家一同のいる食堂へ駆け込む。


「皆様! た、大変です!」

「どうしたんだ? 騒がしいぞ」

「なにがあったんだセバスチャン? 大きな声を出さないでくれ。今日は母さんが珍しく体調がいいんだ」


 父の傍らでフリアンがたしなめる。


「それが……フランチェスカお嬢様からお手紙が来ております」

「なんだと!?」


 一際大きい声をあげた長男は手紙をひったくって開封すると、三枚の便箋びんせんが入っていた。


「あの子から? お願い、見せて」


 ふたりの母であるフローレンティナに手渡す。その筆跡は間違いなく娘のだ。

 

『オラ! 親愛なるママとパパへ。あとついでに兄さんも』


 相変わらず自由奔放な文章に母がくすっと笑う。


『ここんとこ忙しくて手紙出せなくてごめんなさい。でもようやく落ち着いてきたので、手紙を書きました。

 あたしがシスターになるのをやめて家を出て数年が経つけど、みんな元気かな? あたしは元気だよ。もちろんアンジローもね。

 それでね、あたしの友だちもアンジローのお兄さんもみんな元気でやってるよ。』



 日本 東京。


 安藤の兄、一郎は仕事場のオフィスにてかちゃかちゃとキーボードを叩く。

 ディスプレイには加工中の映像が浮かび上がり、さらにディスプレイの向こう側にはアシスタントのスタッフ三名が編集作業に取り掛かっている。

 一郎の会社は数年前から規模をどんどん拡げ、いまでは自宅を仕事場にしていたのが、こうして立派なオフィスを構えるところまできた。


「社長。今日、空き時間はありますか? クライアントから新規の依頼でぜひ今日いずれかの時間で会いたいと」


 紅一点のスタッフが受話口を押さえながら言う。


「ちょっと待ってくれ。スケジュールを確認するから」


 いまや社長となった一郎は手帳のページを開いて今日のスケジュールを確認する。


「ええと……あ、そうか」


 忘れていた。今日はどうしても外せない大事な用事があるのだ。


「悪い。スケジュールはいっぱいみたいだ。先方には丁重にお詫びして、今度こちらから伺いますとお伝えしてくれ」

「わかりました」


 受話口を離して社長の意向を伝える。


「社長、いよいよ今日ですね!」

「あとは俺がやっときますんで、早退しても構いませんよ!」

「あのなぁ……社長の俺が先に帰るわけにはいかないだろ! だから今日はお前らも早く帰っていいぞ!」

「マジすか!?」

「やった!」

「ただし! そのかわり来週の月曜は残業してもらうぞ!」


 うへぇっと落胆の声をあげるふたりに通話を終えた女性スタッフがくすっと笑う。



 ――――京都 祇園四条。

 

「はい、はい。わかりました。ではそのようにお伝えします」


 通話を終えた神代舞は受話器を戻す。

 

「まいー。お願いこっちきてー!」


 スタッフが手を合わせながらこちらにやってくる。言われずとも用件はわかっている。

 

「また? ほんとに増えてきたね」


 デスクから席を立ち、カウンターへと向かう。そこには案の定、海外からの観光客が。

 英語でまくし立てるが、舞は冷静沈着に対応する。


「Calm down please. What happened?(落ち着いてください。どうされましたか?)」


 流暢りゅうちょうな英語で観光客を安心させ、次に相談を聞く。

 英語が話せるスタッフに巡りあえて安心したのか、破顔しながら何度も礼を言う。

 手を振って観光案内所を出ると、さっきのスタッフが近寄ってきた。


「さんきゅ! 英語話せるひとがいて助かったよー!」

「あたしとしてはまだまだなんだけどね。あ、あたしそろそろ退勤時間だから」


 腕時計を見る。今日は午後半休を取っているのだ。


「はーい。お疲れ様! どこか行くの?」

「うん東京にね。懐かしい友だちに会いに行くの」


 観光案内所の職員であり、外国からの観光客の通訳を務めるだけでなく添乗員も務める舞はショルダーバッグを肩にかけて案内所を後にする。



『みんなそれぞれ活躍してるけど、もちろんあたしも活躍してるよ! あたしのほうはというと――――』


 

 都内のマンションの一室。


「みんな、今日も見に来てくれてありがとー!」


 教会の礼拝堂をバックにしてヴェールを被り、修道服スカプラリオに身を包んだフランチェスカがカメラに向かって挨拶を。


「それじゃ今回も視聴者の方からお悩み相談のコーナーにうつりまーす」


 画面外から視聴者から送られてきたハガキを取り出す。


「えーと、今回は都内在住のP.N.いちごちゃんからです。悩みの相談は……」


『はじめましてフランチェスカさん。私は都内の中学校に通う三年生です。悩みというのはもうすぐ高校に上がるのですが、友達がひとりもいなくて周りが知らない人ばかりで不安でしかたがありません。

 もしかしたら仲間はずれにされたり、いじめられたりするのではないかと毎日が不安でたまりません。こんな臆病な私にアドバイスをお願いします』


「うんうん。確かに新しい環境だと不安は付きものよね。そんないちごちゃんにはこの言葉をおくるわね! “あなたがたの思い煩いを、いっさい神にゆだねなさい。神があなたがたのことを心配してくださるからです”(ペテロの手紙第5章7節)」

「ちょっとまったー!」


 フランチェスカの後ろから飛び出すようにして現れたのはうさぎのぬいぐるみだ。


「なに? パムパム。いきなり出てこないでよ。あたしの独壇場なんだから」

「そうは言っても、神さまに委ねるなんて解決策になってないじゃないか!」

「あーそうね。確かに言えてるわ。あたしもこのチョイス、ミスったんじゃないかと思ってる」

「ちょっ、言い方!」


 パムパムが白い前足でびしっとツッコミを。


「でもね、もしかしたらいちごちゃんと同じ悩みや不安を抱えている子はいると思うの。悩みや不安がない人なんて絶対いないのよ。あ、神さまだけは例外ね」


 うんうんとぬいぐるみが頷く。


「いいこと言うじゃん」

「あら、こう見えても元シスターよ? 見習いだけど。とにかく、不安に思っているのはあなただけじゃないわ。あたしがついてるからね」

「ボクもいるぞ!」

「そろそろ時間ね。また次回の配信で会いましょう。チャオ!」


 カメラの前で手を振り、収録が終わるとフランチェスカはふーっと一息ついて椅子から立ち上がる。

 パムパムはそれきり動かなくなり、それと同時に後ろの礼拝堂が消え、無地のスクリーンに変わり、部屋の照明が点く。


「お疲れ様でしたー! 今回も良かったですよ!」


 カメラを回していた桧山ひやまがねぎらいの言葉を。


「ありがと。それより完成した動画みせて」


 桧山が傍らのノートパソコンを操作し、動画を見せる。


「うん! よく出来てるじゃない! パムパムもまるで生きているように見えるし」

「タイミング合わせるの難しいんですよ。これ」


 ぬいぐるみに仕込まれたマニピュレータのスイッチを指差しながら。


「あら? トップユーチューバーさんが弱音を吐くなんてらしくないわね」

「とんでもない! ここまで来れたのもフランチェスカさんのおかげですよ! 神代さんの観光案内の動画だけじゃネタがあまりなくて……フランチェスカさんが参加してくれて嬉しいっす!」

「いーのいーのどうせヒマだったし。あたしの聖書の知識もまだまだ捨てたもんじゃないわね。あ、いけないもうこんな時間だわ」


 腕時計はもうすぐ6時を指していた。

 

「いよいよ今日ですね! 動画の編集と片付け終わったら行きますよ!」

「ん、じゃ向こうで待ってるわね」


『見習いシスターだったときの知識を活かして動画配信で視聴者の悩み相談に乗っています。あとそれ以外としてはスペイン語や英語とフランス語講座なんかも。いよいよあたしの恋人、アンジローのことなんだけど』



 修道服から私服に着替えたフランチェスカは最寄り駅から電車に乗り、二回乗り換えるとやがて目的地の最寄り駅に着いた。

 改札を出て右側にある商店街のアーケードを目指す。

 かつてフランチェスカが見習いシスターだったとき、よく通っていた場所だ。馴染みの店もあれば閉店してしまった店舗もある。

 程なくして目的地が見えてきた。

 それは白を基調とした小さな洋食店で、ドアの横には赤と黄の横線に国章の入ったスペイン国旗が垂れ下がっている。

 ドアを開けて入ると中は右側に四人掛けのテーブル席、奥は五人ほどが座れるカウンター席が奥まで続く。


「アンジロー、いる?」

「ちょっと待って。いま出るよ」


 すると奥の厨房から姿を現したのは純白のコックコートに身を包んだ安藤であった。


「なかなか似合うわよ。それ」

「そう? ここの雰囲気と合っているか自信なかったけど……」

「だいじょーぶだって。ほら馬子まごにも衣装って言うじゃない」

「それ褒め言葉になってない……」


 フランチェスカがあははと笑う。


「そろそろ友だちがくるから準備しないとね。そこのエプロンとって」


 

 安藤がオープンした小さなスペイン料理店のプレオープンで最初に客として入ってきたのは舞だった。


「あ、まいまい!」

「神代さん。ひさしぶりですね!」

「ひさしぶり! 送ってくれた画像で見たけど、良い雰囲気じゃん! つーか、まいまい言うなっての」


 カウンター席に腰かけ、店内を見回す。

 安藤いわく、本場のバルをイメージして設計されているのだそうな。


「高校の同級生が建築士やってて、設計してもらったんです。そのおかげで安くすんだんですよ」

「へぇ! あ、これがピンチョスってやつ?」


 カウンター上に並べられた料理を指差す。様々な食材で作られた、串に刺さった手の平サイズのそれはまるでミニチュアのようだ。


「スペインのバスクが発祥で、そこのバルの人たちから色々教えてもらって自分なりにアレンジしてみました」


 どうぞとヒルダと呼ばれるオリーブと唐辛子とアンチョビを一本の串で留めたピンチョスを差し出す。

 串をつまんで口に運ぶ。


「なにこれ! 美味しい!」


 ピンチョス初体験の舞が目を輝かせる。そこへ二人目の客、桧山が入ってきた。


「オープンおめでとう! いい内装だな!」


 舞の隣に腰かける。


「お疲れ様。配信はどう?」


 フランチェスカがピンチョスを差し出しながら。


「いやあ今回も数字がうなぎ登りですよ! これもひとえにフランチェスカさんのおかげで」

「あたしも手伝ってるんですけど?」


 舞がじろりと睨む。


「そ、それはもちろん! 神代さんにもひとかたならぬご尽力もいただいてます!」

「それにしてもびっくりよ。まさかあんたたちが付き合ってるなんて」

「あたしが京都の観光案内所に勤めはじめた頃にこいつがやってきて、外国人観光客の通訳を頼まれたのが縁でね……気づいたらいつの間にか付き合うことになったってワケ」

「懐かしいな。お前が最初に作った動画で神代さんとフランチェスカが勝負するやつ」


 安藤がしみじみと言う。


「夏祭りのやつね。あたしも楽しかったなー……まさか、あの後フリアン兄さんが来るなんて思わなかったわ」


 その時、ドアが開いた。


「フランチェスカちゃん!」


 入ってきたのは安藤の母だ。父が後に続く。


「ママさん! お義父さんもおひさしぶりです!」


 母と両手でハイタッチを交わし、こちらへとテーブル席に案内する。


「いいお店じゃない! それにしてもフランチェスカちゃんがあたしの娘になるなんてねぇ……」

「まったくだ。一郎もはやく嫁を見つけてほしいもんだ」


 噂をすればなんとやら。タイミングよくドアが開いた。


「おー、もう盛り上がってるな」

「あ、兄ちゃん来てくれたんだ」

「かわいい弟とフランチェスカさんのためだからな。それより良いもの持ってきたぞ!」


 鞄から瓶を取り出す。


「開店祝いのシャンパンだ!」


 一同からおおっと歓喜の声。

 安藤がグラスを取り出し、フランチェスカが注いで配る。

 全員に行き渡ったところで一郎が乾杯の音頭を。


「それでは! 開店祝いと、弟とフランチェスカさんの婚約に乾杯!」

「かんぱーい!」


 かちんとグラスとグラスが触れ合う小気味よい音が響く。

 

「そういえばさ、結婚式いつ挙げるの?」

 

 舞がグラスを片手に尋ねる。


「結婚式は挙げるつもりなんですけど、開店準備で忙しいからまだ先になるかなと」

「あと、スペインへの渡航費も稼がないとね。だからアンジロー、しっかり働いてよね」


 肘でうりうりと小突く彼女とはははと苦笑いする彼の薬指には婚約指輪がきらりと輝く。



『今はどたばたしてて忙しいけど、必ず近いうちに挨拶に行きます。そしてその時は教会で挙式を――――』

 


 がちゃりとドアが開いた。入ってきたのは見知らぬ顔だ。

 プレオープンだと知らないで入ってきたのだろう。


「あ、すみません。いまプレオープン中なので……」

「いいじゃない。せっかく来てくれたんだし」


 こちらへどうぞと席をすすめる。


「迷えるお客様、よくぞいらっしゃいました! 当店は本場スペインのバルで修行したコックがおもてなしを。そして元見習いシスターのあたしが悩みや人生相談に乗ります!」


 すうっと息を吸い、ばっと両手を広げるように。


「我は道なり!(ヨハネ伝第14章)」



 The end.

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見習いシスター、フランチェスカは今日も自らのために祈る 通りすがりの冒険者 @boukensha1812

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