第72話 決戦! 美食クラブ 後編


 三人がクローシュを同時に開け、皿に載ったものを見るなり、驚きの声を上げた。

 立会人である支配人も気になり、首を伸ばして料理の正体を見極めようとする。

 はたしてそこにあったのはパエリアだ。だが、それは彼らのよく知るパエリアではない。

 なぜならそれはだったからだ――――。


「こ、これがパエリアだと……?」


 蓋を手にしたままドンが言う。

 確かにオレンジ色に輝くその米はパエリアの体を成してはいる。

 「そのまま手に持って食べてみてください」と安藤が両手で持つジェスチャーを交えながら。


「え、スプーンは使わないの……?」


 エステルが不安そうにラケルを見るが、彼女はこくりと力強く頷く。黙って食えと言わんばかりに。


「そう、わかったわ」


 エステルは意を決して三角形のそれを手にする。手にふっくらとした感触と程よい温度を感じながら。

 そして頂点からぱくりと食べた。


「美味しい……! 私たちが食べてるパエリアとは違って柔らかいわ!」


 するとそれを皮切りにして小男もかぶりつきはじめた。


「うめぇ! 米に鶏肉の出汁ダシが効いてやがる!」


 そんなふたりの反応を交互に見比べ、やがてドンも手に取って豪快にかぶりつく。


「! これは……中にエビを入れてるのか!」

 

 左右に割ってみると中心からぷりっとしたエビの身が現れた。

 

「ドンのはエビ入りだったみたいですね。お二人さんには別のを入れてあります」

「ムール貝だ!」


 そう言う小男のパエリアからはムール貝が。

 「私のはタコよ!」とエステル。


「よく思いついたわね。パエリアをこんなふうに調理するなんて!」

「いえ、これも日本のおにぎりをアレンジしたんです。保温のためクローシュを使いました」

「そうなの。でもこれも美味しいわ! むしろ今までなぜこの発想がなかったのか不思議なくらいよ!」

「ありがとうございます! そう言っていただけると嬉しいです」

 

 照れくさそうに頬をぽりぽりと掻く。

 途端、テーブルがばんっと激しく叩かれ、一同がドンのほうを見る。


「ふざけるな! さっきからバスク料理を日本風にアレンジしたものを出しやがって! 俺はこんなものはバスク料理とは認めねぇ!」


 ぎりっと歯軋りをしながら安藤を睨む。

 その気迫に押されそうになりながらも安藤はきっと前を見据える。

 小男の通訳を聞き終えると口を開いた。


「俺はふざけているつもりはありません。むしろ、ふざけているのはあなたのほうではありませんか?」

「なんだと?」


 ドンのこめかみがぴくぴくと震える。それでも安藤はさらに続ける。


「料理はレシピ通りに作られているかどうかで良し悪しを決めるものではありません。それどころか、その殻を破ることでもっと美味しい料理が生まれるはずです」


 小男がおろおろしているのでエステルが代わりに通訳を務めることに。それを聞き終えたドンは怒りを露わにした。


「屁理屈こねやがって……!」


 ドンが立ち上がって安藤を睨む。支配人はただ成り行きをおろおろと見守るだけだ。


「伝統ある料理を守ろうとするその気持ちはよくわかります。ですが」

 

 すぅっと息を吸う。


「ですが、さらなる可能性を秘めているにも関わらず、それを頭ごなしに否定するのは逆に料理を冒涜ぼうとくすることになりませんか?」


 もちろんバスク料理もですと付け加える。


「若造が……この俺に意見するとはな」

「ドン、お願い。乱暴はやめて」


 愛人が宥めようとするが、それで怒りが収まる様子はない。

 険悪な雰囲気を変えたのはふわりと立ち上りはじめた良い匂いだ。厨房のほうを見るとラケルがトレーを手にしてこちらにやってくる。


「Zer moduz postrea?(デザートはいかが?)」

 

 オーブンから取り出したばかりのこんがりと黒く焼けたそれを皿に載せ、各自の前へと。


「どうぞ、タルタ・デ・ケソです。俺の国ではバスクチーズケーキと呼ばれてます」

「うまそうだ!」

「美味しそう!」


 エステルと小男が称賛するなか、ドンはじろりとケーキを睨む。


「これも日本風にアレンジしてるのか?」

「いいえ、これだけはレシピ通りに作ってみました」

「ちょっと待て。レシピ通りだと?」

 

 あらためてケーキをじっくりと見る。そしてフォークで半分に割り、口に運ぶ。

 しっとりとした感触が心地よく、程よい甘さだ。


「この味……タルタ・デ・ケソが元祖のバルか!」


 サン・セバスチャンにある老舗のバルの名前を口にする。


「はい! そこの店長さんからレシピをいただきました。これだけはレシピ通りにお出ししようと思いまして」


 うぅむとドンが唸る。


「レシピ通りに作ったとはいえ、ここまで完璧に再現するとはな……」


 ひと口ふた口と食べ、残りわずかになると支配人を呼ぶ。


「おい、チャコリを持ってこい。そこの冷蔵庫にあるはずだ」

「はっ、はい! ただいま!」


 支配人が冷蔵庫から瓶を取り出し、グラスに注いでドンの前に差し出す。

 バスク名産である微発泡性で、酸味のあるワインを傾け、ふーっとひと息つく。

 事の成り行きを全員が固唾を飲んで見守る。


「おい小僧」


 突然呼ばれ、安藤はどきりとしたが、すぐに「はい」と答える。


「お前は度胸のあるやつだ。うちの若いやつよりはちっとはあるかもな」 


 ふたたびグラスを傾け、透明の液体を口に含む。口の中で堪能したのちにごくりと飲み込む。


「だがな、度胸と無謀は別もんだ。この俺にバスク料理もどきを食わせるとはな」

「っ! それは……!」


 ドンが手を上げて遮った。


「だが、お前は約束どおり現地の食材を使用し、期限までに完成させた」


 フォークを手にすると残ったケーキをずぶりと刺す。そのままぱくりと食み、もむもむ言わせるとごくりと飲み込んだ。

 

「だが、ピンチョスやタパス、パエリアはいずれも及第点といったところだ。これより美味いものを出すバルを俺はいくつも知っている」


 最後にもう一度グラスを傾けて飲み干し、空になったグラスをかつんと音を立てて置く。

 そして傍らに置いた帽子を取って頭に載せる。


「だが、最後に出たケーキは本物だった。あれは本物のバスクのケーキだ」


 帰るぞとふたりに言い、エステルと小男が席を立つ。

 

「あ、あの……」


 部屋を出ようとするドンを安藤が慌てて呼び止める。

 するとドンが振り向いた。

 

「俺も男だ。約束は守ろう。約束どおり彼女の居場所を知っていそうな人物を連れてきてやる」


 にぃっと笑みを浮かべると、マルガのバルで待てと言い残し、次に扉の傍らに立つ支配人を呼ぶ。


「今日のことをしっかりとその目で見たな?」

「はい、確かに!」


 よしとドンが頷く。


「この勝負、お前らの勝ちだ!」

「だそうよ。良かったわね! おめでとう!」


 ドン直々の勝利宣言をエステルが通訳し、安藤は一瞬その意味が飲み込めなかったが、すぐに部屋を出るドン一行に頭を下げた。

 レストランを出る客に挨拶するように。


「ありがとうございました!」


 しばらく頭を下げていると、ズボンの裾がくいくいと引っ張られる。案の定、ラケルだ。

 

「先輩のおかげです。ありがとうございます!」


 小さな先輩はサムズアップして頷き、これまた小さな手のひらを前に出す。ハイタッチだ。

 美食クラブの部屋でぱぁんと小気味良い音が響く。


 †††


 片付けを終えたふたりはエレベーターで上がり、ホールへと出た。

 ふたりともコックコートのままでラケルは疲れてしまったのか、安藤の背中ですやすやと寝息を立てていた。

 安藤も疲労は限界に達しており、ふらふらとロビーの出口のほうへと向かう。

 やがてフロントの前まで来た。

 また従業員から怪訝な目で見られるのだろう。そう思っていた時――――


 いきなりロビー全体が拍手の音に包まれた。

 ラケルが「んおっ」と頓狂とんきょうな声をあげながら顔を上げ、あたりを見回す。

 見れば、フロントだけでなくベルボーイやドアマン、清掃員さえもがふたりに惜しみない拍手喝采を送っていた。

 そのなかで支配人がひときわ大きい拍手を。

 

「ははは……なんだかヒーローになったみたいですね」


 安藤が気恥ずかしそうにすると、背中におぶった先輩がぽんぽんと優しく頭を叩いてくれた。

 拍手と感謝の言葉を背中に受けながらホテルの外へと出た。

 半日ぶりの外の空気は清々しく、風が肌に心地よい。

 マルガたちが待つバルに帰ろうと歩きだした時、数メートル先に誰かが立っているのが見えた。

 エンリケだ。いつものみすぼらしい格好をしているので間違いない。

 彼もこちらに気づいたらしく、ばつが悪そうにする。

 安藤は元コックのホームレスのところまで来ると、しゃがんでラケルを下ろす。

 いきなり下ろされたラケルは困惑顔だ。安藤と父であるエンリケを交互に見やる。


「それじゃ、あとは父娘おやこ水入らずで」

「!?」

 

 意図を察したラケルがウインクしてその場を去る安藤をおろおろと見る。

 頼れる相手も隠れ場所もない。父娘ふたりのみとなった。


「なぁラケル」

 

 いきなり父に呼ばれ、びくっと身をこわばらせる姿はリスそっくりだ。ついに観念した娘は父と向かい合う。


「な、なに?」

「どうだったんだ? ドンとの勝負は」

「……勝ったよ」

「そうかぁ……よかった」

 

 それまで心配そうにしていた顔がほぐれ、破顔する。


「頑張ったなぁ。お前もアンジローも」

「うん……」


 うんうんと頷く父に対して、ラケルは恥ずかしそうにうつむく。


「そういえば、ゆうべアンジローから聞いたんだが……」

 「なに?」と顔を上げる。


「お前、俺のために店を開こうとしてるんだってな」

「ッ!?」

 

 途端、顔が真っ赤になった。

 エンリケが照れくさそうに鼻の下を指で擦る。


「俺、もう一度頑張ってみるよ。だが、俺ひとりだけじゃムリだ。もう一度、バルを開く手伝いをしてくれねぇか?」

 

 娘を見るが、顔を赤くしたまま何も言わない。見ると肩を震わせている。

 エンリケが「どうした? 大丈夫か?」としゃがむと、娘は涙で顔をくしゃくしゃにしていた。


「ばか……おとうちゃんの、ばか!」


 ぽかぽかと父の胸を小さな拳で叩く。何度も、何度も。


「あたしが、どれだけ心配したと思ってるんだよ!」


 叩くのをやめ、ついに堪えきれなくなった彼女は父の胸の中で泣き、そして父も娘を抱きしめる。


「ごめんよ、ごめんな……これからはとうちゃんと一緒だ」


 †††


 しばらくしてから安藤はマルガたちの待つカサ・マルガへとたどり着いた。

 ドアを開けると営業は終わっているらしく、一階のバルには誰一人いなかった。

 厨房の裏に回って住居スペースへと通じる階段を上がる。

 マルガとその亭主のぺぺはダイニングテーブルで仕事終わりのコーヒーで一服しているところであった。

 疲労に達した安藤を見るなりマルガが席を立つ。


「アンジロー! 大丈夫なの?」

「ただいま、マルガさん」

「ひどく疲れてるわね。それで、どうなったの?」

「今夜、ドンがフランチェスカさんの居場所を知っている人物を連れてきてくれるそうです……だから」


 それ以上は言わなくていいとマルガが制し、安藤を椅子に座らせる。

 だが、安藤は席につくなり、テーブルに突っ伏していびきを立てはじめた。

 ぺぺが大丈夫かとバスク語で聞き、マルガがしーっと唇に指を当てて静かにするように言う。


「疲れて眠ってるんだよ。休ませてやりな」


 傍らからブランケットを取り出してかけてやる。


「お疲れさん、頑張ったね」

 

 戦いを終えた若きコックはブランケットに包まれながら寝息を立てる。

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