第72話 決戦! 美食クラブ 中編
厨房に戻った安藤はすーっと深呼吸する。深く息を吸い、ゆっくりふーっと吐いていく。
ついにここまで来た……。
そもそもフランチェスカを追ってここ、サン・セバスチャンに来たのがはじまりだ。
少ない手がかりで彼女を探し、途中でドンの妨害も受けた。時にはあと少しというところまで来たにも関わらず、結局会えなかったこともあった。
もう手がかりがない今、これが最後のチャンスだろう。そして滞在期限でもあるタイムリミットは明日までと迫っている。
おまけに後ろで控えているドンを満足させられなかったら、そのまま彼女に会えずに帰国することになる。
そう考えると胸がきゅっと締め付けられ、腹にずしりと重りがのしかかったような感覚が。
すーっとふたたび深呼吸。
大丈夫……ラケル先輩と一緒に考えて、満足のいくまでやったんだ。だから大丈夫……。
後ろから部下の小男が「まだか!」と呼ぶ声ではっと我に返る。
「すみません! ただいま!」
あれこれ考えてもしょうがない。すでに
「お待たせしました」
そう言って戻ってきたときは手に料理が載ったトレーを手にしていた。
「まずはピンチョスです」
テーブルにトレーを置き、ラケルと一緒にピンチョスを三人の前に。
「三種のピンチョスです」
「ほぉ……」
ドンの前に出されたそれは一本の串に上からプチトマト、エリンギ、最後にここではピミエントスという名で呼ばれるししとうがそれぞれベーコンに包まれて刺さっていた。
「美味しそうだわ」とエステルが串を手に、部下の小男はくんくんと匂いをかぐ。
「ふむ。見た目はいいが、問題は味だ」
そう言うとドンは口を開け、一番上のプチトマトを食する。
ぷちっとトマトが潰れる音を立て、そのままもむもむと
「なるほど、オリーブオイルとニンニクで煮てあるのか」
「はい、アヒージョにしてみました」
「ふん、こんなものはどこのバルでも思いつくものだ。可もなく不可もなくといったところか」
そう批評をくだすと残りもむしゃりと串から抜いて口の中へと消えた。
エステルが「美味しかったわよ」とフォローしてくれ、小男は指に付いた汁を舐めとる。
「さて、これで終わりってわけじゃないんだろ? 今のはいわば先制のジャブっていったところだ」
「もちろんです。今のはほんの小手調べですから」
ここまでは予想通りだ。
次の料理をトレーから出す。
「どうぞ」
「な、なんだ。これは……」
ことりと置かれた皿を見るなり、ドンは目を丸くする。あとのふたりも同じ反応だ。
皿には二つの料理が並んでおり、左から俵型にした
次は同じように米をルッコラで巻いてピンチョスピンで留め、上には
いずれも手のひらに収まるサイズである。
ごくりと思わず支配人が唾を飲み込む音が。
「もしかしてこれ、スシ?」
エステルがひとつを手にして言う。
「はい。ピンチョスを寿司風にしてみました」
「すごい! こんなの初めて見たわ!」
「くだらん!」
和やかな雰囲気をドンの声がすっぱりと断つ。
「スシといえば日本の料理じゃないか。こんなものはバスク料理じゃねぇ!」
帰るぞと席を立つところへ安藤が「待ってください!」と止める。
「たしかに寿司の形になっていますが、食材はすべて現地で調達したものを使っています。よってこれも立派なバスク料理です」
小男の通訳を聞き終えたドンはふんと鼻を鳴らす。
「若造がいっぱしの口をききやがって……」
「お願い、少しでもいいから食べてあげて……!」
エステルが助け舟を出す。ドンは舌打ちをひとつくれるとどかりと腰を下ろす。
「まあいい。問題は味だ。半端なものだったら即刻帰ってもらうぞ」
そう言って左端のピンチョスをつまむ。赤いペースト状のものが載ったものだ。
「この赤いのはなんだ? トマトではないようだが……」
ふんふんと匂いを嗅ぎ、口に放り込む。
ハモンセラーノの香ばしさが赤いペーストと混じり合って絶妙なハーモニーを奏でる。
ドンは味の正体を見極めようと舌全体に神経を集中させた。
独特の甘みと酸味、そしてかすかな辛味。
これまで様々な食材を吟味、堪能してきた経験からやがて結論にたどり着く――――
「これは……ピキージョピーマンか?」
「はい!」
安藤の傍らでラケルもこくこくと頷く。
「なるほど、ピーマンをこういう風に使うとはな……」
充分に咀嚼したあと、ごくりと飲み込んで次に帆立が載ったピンチョスを。
「うむ……やはり帆立と赤胡椒のマリアージュは完璧だな」
どうやらこれも合格点だ。エステルと小男も舌鼓を打ち、安藤はほっと息をつく。
「ピンチョスの次はタパスだったな?」
「はい。今から」
厨房へ戻ろうとしたところへ、すでにラケルが先回りしてトレーを運んでくれた。
礼を言って皿を置く。タパスは
「フリットスか……」
皿には茄子、アスパラガス、玉ねぎ、ピーマンといった季節の野菜が黄金色の衣に包まれている。
「こちらは塩で召し上がっても構いませんが、こちらをお好みでかけて食べてみてください」
そう言ってテーブルに置いたのは黒い液体で満たされた小皿だ。
「これはなにかしら?」
「バルサミコソースではないな」とドンが鼻を近づけながら。
「とにかく食べてみましょう」
エステルがスプーンですくってフリットスにかけ、茄子をナイフとフォークで食べやすい大きさにする。
そして口に運ぶと目を丸くした。
「……! 甘い! 甘いけど、しつこくなくて程よい甘みだわ!」
「これは……黒糖か?」
玉ねぎを咀嚼しながらドンが言う。
「ちょ、ちょっとまって! 黒糖ってオキナワのでしょ? 現地以外の食材を使ってはダメなはずよ!」
「
故郷を思い出したのか、小男が涙ぐみながらフリットを頬張る。
「あなたの言うとおり、これはアンダルシア地方の名産である黒糖です」
昨日、マルガとバル巡りした際に訪れたフリットの名店にて店主からもらったものだ。
「やっぱりな! でもナス以外の野菜にも使うとはな。たいしたもんだ」
うんうんと頷く。
「ありがとうございます。日本には天ぷらというフリットスと同じような料理がありますから、もしかしたらいけるんじゃないかと思いまして……」
「また日本料理か……」
逆にドンは不愉快そうだ。だが、いずれも現地の食材を使って調理されたものなので文句は言えない。
しばらくして三人の皿が空になり、安藤が皿を下げるのと同時にラケルが厨房からトレーを運んでくる。
「タパスの次はパエリアだったな」
ラケルがこくこくと頷く。
「そうです。確かにパエリアですが、普通に調理しただけではつまらないのでひと工夫加えました」
ラケルがテーブルにトレーを置く。三つの皿には銀色の丸いクローシュが被せられていた。
「あら? パエリアって平鍋よね?」
エステルが不思議そうに見つめる。
普通、パエリアは平鍋のままで出てくるものなのだ。
ましてやクローシュで蓋をするなど聞いたことも見たこともない。
蓋を被せたまま三人の前に供する。
安藤が「開けてください」と言ったのを合図に三人同時に蓋を開ける。
「こ、これは……!」
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